表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/71

第六章③ マクシム

 午後の柔らかな日差しに包まれた中庭でマクシムは手綱を握り、ヘイロン黒龍の顔をじっと見つめていた。ヘイロンは耳をぴくりと動かし、首をわずかに振る。だが、その目には警戒が残っている。

「ヘイロン、落ち着け」

 低く静かな声で語りかける。威圧ではなく、信頼を差し出す声音だった。

 マクシムはしゃがみ込み、ゆっくりと手を差し出す。

「焦るな。無理に馴れろとは言わない。少しずつでいい」

 ヘイロンは慎重に鼻先を伸ばし、その手の匂いを嗅ぐ。わずかに距離が縮まる。だが次の瞬間、耳を伏せて身を引き、そっぽを向いた。蹄が石畳を小さく鳴らす。

「……無理か」

 マクシムは肩を落とす。怒るでもなく、ただ立ち尽くすしかない。

「どうしてだ、ヘイロン……」

 返るのは冷たい沈黙だけだった。しばらくそのまま向き合っていたが、やがて遠くから規則正しい銃声が響く。マクシムは顔を上げた。

「……あれは、ジョルジュか」

 中庭の端で、ジョルジュが射撃訓練に励んでいる。火花とともに放たれる銃声が、乾いたリズムで空気を刻んでいた。マクシムはゆっくりと息をつく。

「そうか……集中すべきは、こっちだったな」

 マクシムは視線をヘイロンから外し、訓練へと向ける。銃声が止むと、ジョルジュが振り向いた。マクシムは歩み寄る。

「よく励んでますね」

 ジョルジュの目が輝く。

「五鬼衆の一人、マテオさんを何としてでも超えたいのです。ですから、手は抜けません」

 マクシムは微かに笑みを浮かべ、頷いた。

「その気概、忘れないでください」

 二人は短く視線を交わす。中庭には静かな熱だけが残っていた。ヘイロンは相変わらず距離を取ったままだったが、マクシムはそれ以上追わず、背を向けた。そのまま宿舎を出る。潮風が肌を撫でるたび、身体の奥にわずかなだるさが残っていたが、気に留める余裕はない。

 港に着くと、ざわめきの中にリー・ウェンの姿を見つけた。いつものように気配もなく現れる。

「リー、情報が欲しい。最近の動きを手短に」

 マクシムの言葉にリーは片眉を上げ、軽く笑う。

「またですか。いいでしょう。まずは状況整理からいきましょう」

 リーが資料を広げる。

「最近の海賊たちの動きは?」

「大きな動きはありません。先日の戦闘以来、おとなしいものです。エドガー・ロジャースとフェルナンドの処刑が効いているのでしょう」

 リーの言葉に、マクシムの脳裏へあの光景が蘇る。

 歓喜する群衆。絞首台の前で渦巻く熱狂。理性を失った顔の群れ。

「あの群衆の熱狂ぶりは……耐えられなかった」

 マクシムが低く吐き出す。胸の奥に、冷たい嫌悪が広がった。リーは静かに頷く。

「恐怖や支配の前では、人の感情は簡単に歪みます。だからこそ、冷静であることが必要です」

 マクシムは港の風を吸い込み、拳を軽く握る。

「……サン・マロを取り戻せたことは嬉しい。だが、命を差し出すのはいつも戦う者たちだ」

 彼は視線を遠くへ投げる。

「群衆も、王宮も、上層部も……憎くてたまらない」

 波音がその声に重なった。リーは少し身を乗り出す。

「……それは、ゼフィランサスのことですか?」

 マクシムは首を振る。

「いや、彼だけじゃない。すべての尊い同士たちのことだ」

 静かな怒りと哀悼が混ざる声だった。リーはわずかに肩をすくめる。

「……なるほど。ずいぶんと重いものを背負っているようですね」

 マクシムは小さく頷く。

「重荷だ。だが、背負うべきものだ」

 ふと、自分の耳に触れる。黒ずんだ石のイヤリング。冷たい感触が、胸の奥の記憶を静かに呼び起こす。

 マクシムは一度目を伏せ、気持ちを鎮めた。

「五鬼衆の居場所は?」

 リーは首を振る。

「残念ながら不明です。あらゆる海を巡っている可能性がありますね」

「……さすが五鬼衆だ」

 マクシムが息をつく。

「ですが、いずれ手がかりは掴めるはずです」

 リーの言葉にマクシムはしばらく考え、ぽつりと告げた。

「実は、五鬼衆の一人——ルキフェルと約束してるんです」

 リーの眉がわずかに動く。

「約束、ですか?」

「ええ。計画が成功した暁には、ルキフェルが僕を殺す」

 一瞬、二人の間に沈黙が落ちた。

 リーは慎重に言葉を選ぶ。

「……それで、彼らを呼び寄せたいと」

「そうです。時期も近い。だから、五鬼衆を集める必要がある」

 マクシムの瞳に、計画の輪郭が映る。

「その計画、もう詰めていますか?」

「まだです。細部はこれから」

 マクシムの返事にリーはわずかに笑う。

「では、ひとつ情報を。スペイン沿岸部に、裏社会と繋がる者からの報告があります。密かに動く海賊と物資の情報です」

 マクシムの視線が鋭くなった。

「使えそうだな」

「それと、これはポート・ロイヤルから来た船団が広めた噂ですが……個性的な海賊たちと遭遇したそうです」

「個性的?」

「詳細は不明です。ただ、同じ海域で複数の報告があります」

 マクシムは少し考え、低く呟く。

「……五鬼衆の一部かもしれないな」

 リーの目が細くなる。

「可能性はありますね」

 マクシムは一歩踏み出した。

「リーさん。船を一隻用意してほしい。小型のガレオンでいい」

「船を? 用途は」

「隊員を遠出させる。少人数で動ける船が必要だ。水夫も」

「目的地は?」

 マクシムは耳元で小さく告げた。リーは頷く。

「……了解しました。こちらの船を回します。船員もつけましょう」

「いいのですか?」

「……まあ、都合よく船が空いていましてね。特別サービスですよ、お得意先ですから」

 マクシムは軽く頭を下げた。

「助かります」

「ちなみに、誰を遣いに?」

 リーの問いに、マクシムは少しだけ間を置いた。

「まずは全員に話す。その上で、賛同してくれる者を選ぶ」

 彼の声は静かだが、迷いと責任の重さが滲む。

「……難しい選択になりそうですね」

「ええ」

 マクシムが小さく笑、リーは腕を組む。

「船自体はすでに押さえてあります。二日あれば出せますよ」

「相変わらず早い」

「当然です。取引は——」

「スピーディーに行うのが鉄則」

 二人の声が重なる。一瞬の沈黙のあと、互いに小さく笑った。

 マクシムは息を整え、視線を港の先へ向ける。

「あとは僕の隊に話をするだけ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ