第五章② マクシミリアン隊
サン・マロ旧市街。
夜明け前の市場はまだ店を開ききらぬ屋台が並び、かすかな潮風に魚の匂いが混じっていた。だが今そこに立つのは、市民に化けたマクシミリアン隊の面々だった。
リラは籠を抱え、売り物に見せかけた干し魚を並べている。黒髪を頭巾で隠し、口元に柔らかな微笑みを浮かべた。
彼女の隣ではロザリーが古布の山を広げ、客を装ったスザンヌと軽口を叩いている。表情こそ和やかだが、目の奥は鋭く、通りの奥を決して見逃さない。
リゼーヌは露店の裏に控え、薬草を仕分ける手を止めずに、獣道のような路地の先へと耳を澄ませていた。そして、ダヴィットは荷車を引きながら往来を横切り、あえて道を塞ぐように立つ。屈強な背中は、誰であれ不用意に通り抜けることを許さぬ壁となる。
やがて、薄闇の向こうから乱れた足音が聞こえた。三人の海賊が酔ったように笑い声をあげながら現れる。片手に戦利品の布袋をぶら下げ、腰の刃物を無造作に揺らしていた。
「市場はまだ開けねえのかよ」
「食い物が欲しいんだ、早くしろ!」
荒々しい声に市場の空気が一瞬凍った。だがリラは怯まず、にっこりと微笑んで返す。
「お急ぎでしたら、干し魚ならすぐに差し上げられますよ」
彼女の声に気を取られた海賊が籠へと身を乗り出す、その刹那。
ロザリーが布の山から細い刃を閃かせ、スザンヌが懐から縄を走らせた。
海賊が気づいた時にはすでに遅く、一人は喉元に冷たい鉄を突き付けられ、もう一人は腕を絡め取られ地面に押さえ込まれていた。
残る一人が慌てて叫ぼうとした瞬間、荷車の影からダヴィットが躍り出る。巨体に組み伏せられ、声は途切れ、喉を締め付けられたまま意識を失った。わずか数十秒。市場の喧騒はほとんど乱れることなく、三人の海賊は地面に転がっていた。
リゼーヌは落ち着いた声で告げる。
「……一帯、異常なし。今のところ順調です」
リラは乱れた髪を直し、再び市民の笑顔を浮かべる。市場は再び穏やかさを取り戻した。だが誰もが、次の影が現れるのを待ち構えていた。
旧市街の石畳に、再び足音が響き渡る。今度は三人ではなく、四、五人の海賊が入り組んだ路地を駆け抜けてくる。手には棍棒や短剣を握り、鼻をひくつかせながら威勢よく笑う。
「おい、隠れてるなら出てこい! 逃げられると思うなよ!」
リラがさっと籠をかばうように手元に置き、表情は柔らかく、声も軽やかに振る舞う。
「いらっしゃいませ、こんな早くからご機嫌ですね」
その微笑みの下、目は海賊の動きを正確に追う。
ロザリーが露店の奥で刃を握り、スザンヌが巧みに縄を操る。
「行きます!」
リゼーヌが低く囁き、ダヴィットが荷車の陰からすっと飛び出す。海賊の一人が無防備に笑った瞬間、縄が腕を絡め取り、もう一人が後方から押さえ込まれる。残る二人が反撃に出ようとした刹那、ダヴィットが巨体で覆いかぶさり、押さえ込む。
「ここまでだ!」
息を三つ数える間に四、五人の海賊は地面に伏し、もう声をあげられない。市場は一瞬のざわめきの後、再び静寂を取り戻した。
リラが小さく息をつき、微笑みを浮かべる。
「順調……ね」
スザンヌも軽く頷き、次の動きを確認する。
「次の連中が来る前に、位置を整えましょう」
彼らはまだ緊張の糸を緩めず、旧市街の奥へと進みつつ、海賊の動きを監視する。影の中で次の挑戦が静かに待ち構えていた。
港の水面は黒い鏡のように静まり、冷たい霧が足元を這っていた。夜明け前の空気は張りつめ、息を吸うたび胸の奥に冷たさが刺さる。
マクシミリアン隊・第二班——サミュエル、ジョルジュ、ペネロペ、グウェナエルは海賊船の影がゆっくりと揺れる港の一角で、息を殺して様子を窺っていた。
「……静かすぎる」
ジョルジュが囁くように言うと、サミュエルは短い視線だけで応えた。
グウェナエルは周囲の霧、海面の揺れ、海賊船の係留索の位置を確認し、低く指示を出す。
「作戦三を実行する。係留索を切って、海賊の退路を絶つ」
シャルルが提案したあの作戦。海賊は船で増える。逃がせば再び群れを成す。だが船を奪えばただの獣だ。その言葉を全員が思い出す。
ペネロペは火薬袋を素早く取り出し、細い導火線代わりの粉を索の根元へと慎重に仕込む。サミュエルとジョルジュは低い姿勢のまま静かに移動し、別の係留索を確認。刃が滑る。湿った策は噛み切れない。——だから火薬だ。
グウェナエルが囁くように言う。
「焦らない。火花がゆっくり伝わるように……粉の線は細く、均一に」
ジョルジュとサミュエルは息を合わせ、粉を指先で操りながら索の根元に細い線を描いていく。海賊たちはまだ酒に酔って油断しているのか、甲板に影が動く気配すらない。
「導火線、繋がった」
ペネロペが頷いた。
グウェナエルは火打石を構える。その瞳は鋭く、全員の緊張をまとめ上げる指揮官のそれだった。
「始める。ロープから離れろ」
チッ——火花が飛び、粉に触れ、小さな光の筋が生まれた。
「……来てる」
サミュエルの呟きに全員が暗闇の中で固唾をのむ。
光は霧に照らされ、淡く、ゆっくり、係留索へ進む。一瞬の静寂――次いで、パァンッ! と乾いた爆ぜる音が響き、太い索が弾け飛んだ。海賊船がひとつ、音もなく港から離れはじめる。
「次の索!」
グウェナエルの声で全員が即座に次へ移動する。
ジョルジュが粉の袋を開いた瞬間、足元の霧が温度で揺れた。別の索に火花が走り、またひとつ、船が港から滑り出す。
海賊たちは最初、何が起きたかわからず叫びながら甲板に飛び出した。だがその頃には、もう三隻目も沖へ流れている。
「サミュエル、左舷側の索!」
「任せろ!」
夜明け前の静かな港は切断された索が海へ落ちる重い音と、海賊たちの混乱した叫びで満ちていく。
サミュエルは息を切らしながら最後の火薬線を仕込んだ。額には汗、指は震える。しかし目だけは強く光っている。
「これで……奴らは逃げられない」
グウェナエルが火打石を構え、刃のように鋭い声で言った。
「後退準備。切断後は岸壁まで一気に戻る」
最後の火花が索に到達し、バンッ!太いロープの破断音が霧の中で弾けた。見張りに出た海賊が悲鳴を上げる。
「おい! 船が、船がねえぞ!?」
港の海面はざわめき、浮かぶ火花、ちぎれた索、漂う船影が混乱の渦を作っていた。
「退くぞ!」
グウェナエルの声で全員が霧の中を駆け出す。背後では海賊船が沖へ押し流され、海賊たちの怒号と混乱だけが港に残された。第二班は港の影へ消えながら互いに無言で頷き合う。任務は成功した。海賊の退路は完全に断たれたのだ。
宿の窓から港を見下ろしていたマクシムは、炎に照らされる黒煙と、海賊船がゆっくり沖へ流されていく光景を確認すると、拳を強く握り込んだ。胸の奥がざわつき、震えが指先まで走る。それでも仲間の影が無事に動いているのを見て、安堵がほんの少しだけ胸に落ちた。
別任務のダヴィットは、響き渡った爆音に顔を上げる。夜風の冷たさを深く吸い込み、静かに息を整えながら、次に向かうべき場所を見据えた。
港では炎と煙の中、マクシム隊第二班がすでに制圧に動き始めていた。
「……計画通りだ」
グウェナエルが低く呟く。港の石畳に身を伏せながら必死に逃げ場を探す海賊たちを睨む。その背後には係留索を失った海賊船たちが潮に流され、港から遠ざかっていく黒い影が揺れている。
「くそ……まだ動きやがる」
ジョルジュが火花の残光を縫うように飛び出し、石畳へ転げ落ちた海賊を二人まとめて押し倒す。胸に緊張が走っても手の動きは相変わらず淀みない。
ペネロペは残った火薬袋を素早く確認すると、視線を混乱の中心へと向けた。
「係留索は全部飛んだ……。もう港からは逃げられないわ」
サミュエルは息を切らしながらも、海賊たちが海へ突っ込むのを警戒して動線を塞ぐ。連鎖爆発の熱気がまだ残る港で、海賊たちは陸に閉じ込められた事実にようやく気づいた。船を失い、潮風だけが冷たく吹き抜ける。焦りと恐怖の叫び声が狭い港に響く。
「——今だ、散開して追い込む!」
グウェナエルが壁から身を離し、長剣を構えて駆け出す。火薬の煙が視界を曇らせるが、その奥で海賊たちは散り散りに走り出す。彼は最も危険な動きをする二人を選び、刃を閃かせて確実に制圧した。
ジョルジュは素早く回り込み、逃げる海賊の足を払って石畳へ叩きつける。
「混乱してる今がチャンス……一気に押すよ!」
ペネロペは小さな火薬袋のひとつを海賊の逃走方向に撒き、導火線代わりの粉に火花を走らせる。轟音まではいかない、小さな爆裂音。だがそれだけで海賊たちは怯え、退路を誤って仲間のほうへ雪崩れ込んでいく。
「左側! 囲い込みに回れ!」
グウェナエルの声に、サミュエルが即座に反応する。火薬の光が青白く影を揺らす中、彼は駆け出した海賊を肩から組み伏せ、抵抗を封じた。
ペネロペは後方で状況を読み、火薬袋の残りを懐に戻してから軽く手を振る。
「港の封鎖、完了。ここから先は狩りよ」
サミュエルは荒い息を整えつつ、流れていく海賊船の残骸を見送った。
「……よし。陸に残った奴らを追い込めば終わりだ」
散った破片が夜明け前の水面に跳ね、煙が冷たい空気を漂う。第二班は互いの位置を目で確認しながら、旧市街に待つ第一班との合流に向けて動いた。港にはまだ火薬の匂いが残り、炎の赤が水面にゆらゆら反射している。




