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第四章⑤ 総司令部

 朝の光が執務室に差し込み、机の上に並べられた資料の文字を照らす。窓の外では城下町の静かな喧騒が微かに聞こえる。

 エリオットは長い机の前に腰を下ろし、両脇に控えるイザベルとルソーを見据えた。

 アルフォンスは彼らの横に立ち、夜中に整えた資料を整然と机に広げる。

「まず、サン・マロの現状から整理する」

 エリオットの低く落ち着いた声が静かな室内に響く。

 アルフォンスは資料を手に取り、先日の第二艦艇部隊からの報告をまとめたページを指差した。

「はい。海賊たちの居所は港湾区域に集中しており、警備の重点は旧市街の外周と港口に置かれています。密かに情報収集した結果、夜間の哨戒には不備が見られ、侵入の可能性はあります」

 イザベルが眉をひそめ、指を机の資料に沿わせながら問いかける。

「では、我々が奪還を狙う際の主要な侵入経路は、港口と旧市街のどちらが現実的?」

 アルフォンスは地図上のポイントを示し、冷静に答える。

「港口は見張りが少ない反面、海賊の即応部隊に遭遇する危険性があります。旧市街の小道から侵入する方法もありますが、狭く複雑で隊の機動力が制限されます。状況を鑑みると、港口からの夜間侵入を主軸に、旧市街経由を補助ルートとして確保するのが安全策かと」

 ルソーが腕を組み、低く唸った。

「なるほど……港口からの夜襲か。隊員の負担は大きいが、成功率は高いかもしれんな」

 エリオットは頷き、手元の資料をじっと見つめた。

「よろしい。アルフォンス、君のまとめた資料を基に具体的な侵入ルートと補助ルートの案を再整理し、次に示す部隊編成と照らし合わせてくれ」

 アルフォンスは深く一礼した。

「承知しました。各部隊の配置、警備の状況、潜入の時間帯まで精査して報告します」

 イザベルは短く息を吐き、エリオットに視線を戻す。

「大元帥、この作戦にリスクはありますか?」

 エリオットは少し沈黙した後、静かに答える。

「リスクは必ずある。だが、この城と海域を海賊から奪還するためには、避けられない判断だ。だが準備を疎かにすれば、犠牲は最小限に留められない」

 室内に静かな緊張が走る。アルフォンスはその空気を胸に刻みながら、部隊編成や役割分担、侵入ルートの具体案を順序立てて説明した。

「第一部隊は正面突破を担当、第二部隊は隠密行動を……」

 イザベルもルソーも頷きながらメモを取り、作戦の完成度を確認していた。資料の最後まで目を通し、エリオットはゆっくりと椅子の背に寄りかかる。

「……なるほど、よく整理されている」

 アルフォンスは少し胸を撫で下ろす。ここまで来れば大元帥も計画の妥当性を認めるはずだと考えていた。しかし、当のエリオットは淡々とした声の裏で思考は静かに別方向へ滑り始めた。

 会議中、ふと浮かんだのはマクシミリアン・ブーケの顔だった。

 ゼフィランサスの死を巡って、自分に恨みを抱く男。

 かつて有望な候補生として目をつけ、部隊長に推薦したのも自分。

 戦力になると判断した選択に、今更ながら誤算が生じようとしている。

 ——あれほど感情の熱い男を、前線から離さなかったのは失策だったか。

 マクシムが抱える憎悪は、もはや個の感情ではない。

 指揮系統にとって予測不能な危険因子となり得る。

 本来なら、国家反逆を企てた容疑で拘束すべきだ。だが、発覚したのも自分が偶然聞き耳を立てたというだけで物的証拠は何ひとつない。だからこそ、組織として最も合理的な道が一つだけあった。

 ——無害化する。必要なら、遠方で消えてもらうしかない。いっそ、仕事の中で死んでもらうか。

 そこに情も怒りもなかった。ただ軍務を守るための冷徹な判断があるだけ。

 その結論に至った瞬間、エリオットの視線は静かに資料から離れる。そして、何の感情も滲まない声音で告げた。

「……この任務、マクシミリアン・ブーケ隊に一任させていいか?」

 彼の言葉に室内が一瞬静まり返る。イザベルは眉を上げ、ルソーは口元に軽い驚きの笑みを浮かべる。アルフォンスの手元のペンが一瞬止まった。

「え……!?」

 アルフォンスは思わず声を漏らす。予想だにしていなかった決定に胸の奥がざわつく。

 イザベルは少し間を置き、冷静に意見を返した。

「……マクシミリアン・ブーケ隊に一任するのは危険ではありませんか? 部隊としての経験は十分でも、計画の範囲を逸脱した行動をとる可能性もあります」

 ルソーも腕を組み、表情を引き締める。

「同意する。確かに彼らには力量がある。しかし、今回は国家の重要拠点を奪還する任務だ。予測不能な事態に備える必要がある」

 アルフォンスは顔を上げ、必死に言葉を探す。

「そうです……あの隊長は優秀ですが、個人の感情が行動に影響することもあります。……慎重に考えたほうが……」

 エリオットは静かに頷くも表情にはわずかな苛立ちを含ませた。彼は席を立ち、三人の視線を受け止めながら口を開いた。

「理由は単純だ。……彼らを、私から遠ざけたいのだ」

 エリオットは低い声音で続ける。

「私への復讐を企む者達を、最前線に送り出す。あわよくば死線をくぐり、私の目の前から姿を消してくれることを期待している」

「……お前が何を言っているのかわからないな」

 ルソーの手が音を立てて机を揺らした。

「あの時、私はこの目で見て、確かに聴いたのだ。海賊同盟と三度目の戦闘に臨んだ日のことだ。ブレスト港でソフィーを追った私は、ルキフェルがマクシミリアンを打ち倒す瞬間までを目の当たりにした」

 エリオットの告白にアルフォンスは息を呑む。イザベルもルソーもその言葉の重みに背筋を伸ばした。

「私はただ息を呑むしかなかった……。すぐに駆けつけねばと思ったが、風に運ばれる言葉が私の足を凍らせた」

 エリオットの声にわずかな震えが混じる。それでもイザベルは促す。

「その言葉、なんなのですか?」

 その名がかつての親友であり、宿敵でもある存在を呼び覚ます。

「ゼフィランサス」

 エリオットの瞳に影が落ちる。

「マクシミリアンが、あいつの仇を取るため私の命を狙っているという」

 ルソーはエリオットの言葉に眉をひそめ、机を軽く叩いた。

「……暗殺ってことか? それならあいつらを、マクシミリアンをすぐに告発しろよ。国家反逆罪だ!」

 イザベルも目を見開き、声を張った。

「同感です。そんな危険人物をそのまま任せるなんて、到底容認できません!」

 アルフォンスも、青ざめた顔で視線を落としながら頷いた。

「私も同意します……大元帥、それは危険すぎます。この任務を、個人の復讐心に任せるなんて……」

 エリオットは三人の反応を静かに受け止め、目を閉じるようにして深く息をついた。

「……そうだな。確かに君たちの言う通り、リスクは計り知れない」

 彼の声には迷いはないが、同時に厳しい現実を認める重さがあった。

「だが、あの隊には私の目の届かぬところで、どうしてもこの任務を遂行させねばならない事情がある……」

 三人は息を呑み、さらに説明を求める目でエリオットを見つめる。その視線に、彼は静かに、しかし重い口調で続ける――エリオットは深く息をつき、視線を天井の方へ向ける。

「……よし、こうしよう。サン・マロに刺客を送り込む。マクシミリアン・ブーケ隊を排除するためだ」

 ルソーは鼻で笑ったように嘲る。

「はん、第二部隊に暗殺なんてできるわけねえだろ」

 イザベルとアルフォンスも顔を強ばらせ、同意の色を示す。

 エリオットはそれでも淡々と続ける。

「できるかどうかは重要ではない。問題は、彼らを我々の手で潰すための環境を作ることだ」

 彼は資料に目を落とし、指で地図上の港や街道をなぞる。

「ダラス家と接触せよ。彼らを我々に協力するよう脅迫するのだ。協力すれば我々の力になる、拒めば不都合な結末を迎える」

 ルソーは腕を組み、なおも不満げだ。

「脅迫か……オレたちは軍人だ。相手を味方にするためにそこまでやる必要があるのか」

 エリオットは顔を上げ、静かながらも揺るぎない口調で答える。

「必要だ。我々の目的は、ただ命令を下すことではない。国家と隊員たちの未来を守るためだ」

 アルフォンスはペンを握り直して資料に目を落としながらも、胸の奥で重苦しい緊張を感じた。

 イザベルもわずかに息をつきながら頷いた。

「……仕方ありませんね。準備は整えましょう」

 ルソーは唇を引き結びつつも深く息をつき、状況を飲み込もうとする。

 エリオットは資料を手に取り、地図や書簡の写しを指でなぞる。

「ダラス家を脅迫するには、旧ブルボン家との繋がりを利用する。彼らの隠し財産や過去の密約。これらすべてを材料にするのだ」

 アルフォンスは目を見開き、思わず口を開く。

「つまり……旧ブルボン家との関係を、我々の圧力材料にすると」

「その通りだ」

 エリオットは静かだが鋭い視線でアルフォンスを捉える。

「そして、ベルリオーズとその実家にも協力を要請する。彼らの権力と影響力を利用すれば、ダラス家に対してさらなる圧をかけられる」

 ルソーは眉をひそめた。

「協力させるって……言葉通り強制するってことか? それ、やりすぎじゃねえか」

 イザベルも、腕を組みながら静かに付け加える。

「しかし現実を考えれば、この手段しかないのかもしれませんね」

 エリオットは頷き、冷静に続ける。

「もちろん過激な手段ばかりではなく示唆や圧力、交渉の余地も活用する。だが、最終的に協力させるという確実な手段は、我々の立場を守るために必要だ」

 アルフォンスは深く息を吸い、資料を整理しながら考える。

「……承知しました。協力要請のための計画を具体化し、ダラス家やモンレザール家への接触手順を整理します」

 ルソーは小さく舌打ちをしつつも、渋々頷いた。

「……我々にできる範囲で、やるしかねえな」

 イザベルも目を細め、冷静にうなずいた。

「……わかりました。準備を進めましょう」

 エリオットは深く息をつき、静かに資料を机に置いた。

「よし、各自、午後の会議までに計画をまとめろ。時間はない。成功すれば、この任務はマクシミリアン・ブーケ隊の手で完遂できる」

 部屋には決意と緊張が重く漂ったまま沈黙が訪れた。


 午前の会議が終わり、アルフォンスは自室の机に深くうつ伏せになった。窓の外では朝の光が差し込み、港の水面を白く照らしているが、心はまったく明るくなれなかった。

 国王勅令によるサン・マロ奪還計画と、その裏で進められようとしているマクシミリアン・ブーケ隊の排除。目の前の書類が示す現実は、忠義に燃える人間の姿がいかに冷酷になれるかを突きつけていた。

「……こんなことが、現実に……」

 アルフォンスは唇を噛みしめる。心臓が張り裂けそうな感覚。忠義に燃えている者が、冷酷な策略をもって動く姿を目の当たりにして思わず息が詰まる。

 あの大元帥、エリオット・ド・レオパードが目の前で、いや、彼の手で自分の忠実な部下たちをあわよくば死地に追いやろうとしている。ただ命令に従い、任務を全うしてきた人々が、裏では消される可能性があるという現実に理性と忠誠心が激しくぶつかり合う。

 アルフォンスは額に手を押し当て深く息を吐いた。

「僕は……どうすればいいんだ……」

 過去に父から課された側近としての責務、今の自分に求められる判断。どれも重く、そして逃れられない。机の上に広げた資料、会議でのメモ、計画図。すべてが冷たい光を放ち、アルフォンスの胸に圧し掛かる。

「信じていた人が……こんな決断を……」

 彼はその重みと、これから自分が何を背負わなければならないかを静かに噛み締めた。長く頭を抱えたまま、沈黙の中で自問を続けた。

「僕は……どうすべきだ? 大元帥に逆らうのか、それとも……」

 思考は堂々巡り。サン・マロ奪還という正当な任務と、その陰で待ち受けるブーケ隊への冷酷な策略。しかし、やがて彼の中で決断の糸口が見え始めた。

「……いや、違う。大元帥に刃向かう者が、そもそも間違っているのだ」

 アルフォンスは頭を抱えた手をゆっくりと下ろす。心の奥で湧き上がる違和感や迷いを必死に押し込める。大元帥に対して反発することもできる立場だ。だが、もし刃向かえば自分が守るべき隊や国家にどんな影響が及ぶかも知っている。迷いと恐れが交錯する中、やがてアルフォンスは目を閉じ、深く息をついた。息を整え、肩の力を抜く。

「……やはり、敵は大元帥に刃向かう者だ」

 自分の胸に覚悟を決める言葉が染み渡る。

「僕は……大元帥の命に従う。誰がどう思おうと、それが僕の役目だ」

 大元帥の指示が正しいかどうかではない。命令を受け、忠実に従う者が悪ではない。

 迷いを捨て、役目を全うすることこそが自分の責務だと理解した。

 アルフォンスは背筋を伸ばし、机の上の資料に再び目を落とす。

 午前中の会議での議論、各艦隊の動向、予想されるマクシミリアン・ブーケ隊の行動。あらゆる情報を整理し、午後の会議での発言に備える。手のひらを机に置き、深呼吸を一つ。心の奥底で葛藤はまだ残っているが、それでも表面は冷静に整えられていた。

「……よし、やるしかない」

 アルフォンスはペンを握り、午後の会議の資料を細かく確認し、議題ごとの対策を頭の中で反芻する。誰も知らないところで思考を巡らせ、必要な情報を即座に提示できるよう準備する。その表情には、まだ若さの残る慎重さと、血筋によって課せられた重責を背負う覚悟が漂っていた。

 午後の会議。サン・マロ奪還とマクシミリアン・ブーケ隊の動向を巡る議論が待っている。

 アルフォンスは静かにペンを置き、資料をまとめると椅子から立ち上がった。

 窓の外、港の水面は昼光を浴びてきらめいている。その光の中で彼の決意はさらに強く、冷静に整えられていった。

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