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第三章④ ソフィー

 ソフィーは重い足取りでブレスト城を後にした。

 昼の光は灰色の雲に遮られ、街路には淡く冷たい影が落ちている。石畳に響く自分の靴音が、胸の奥の喪失感を容赦なく増幅させた。

「……どうして……どうして、こんなことに……」

 声にならない嘆きが、通りの静けさに溶けていく。足は無意識のまま動き、薄暗い路地を抜けて海辺へ向かった。目の前には灰色の海が広がり、風に煽られた波しぶきが荒れている。その景色は、胸の奥で渦巻く怒りと悲しみをさらにかき立てた。

「私は……どうしたら……」

 問いに答えはない。ただ荒波の音と、遠くの鐘の音だけが響いていた。

 宿舎が見えても安堵は訪れなかった。扉を閉めると外の光が遮られ、静けさだけが残る。だがその静寂は慰めではなく、胸の中の渦を映す鏡のように、ソフィーの絶望をいっそう際立たせた。

 冷たい廊下を一歩一歩進み、部屋を素通りして中庭へ向かう。扉を開けた瞬間、昼の光が差し込んだ。灰色の空も、冷たい風も、彼女の胸の奥の暗闇にはまるで届かない。

 その瞬間、堪えていたものが一気に溢れた。膝が震え、肩が揺れる。声にならない嗚咽が喉を突き上げ、涙が頬を伝って地面に落ちた。

「どうして……どうして……」

 風が髪を巻き上げ、冷たい空気が頬を打つ。ラウルを失ったという事実が、胸に重くのしかかる。

 どうしようもなく押し潰されそうになりながら、ソフィーはついに膝をついた。手で顔を覆い、初めて心の底から泣いた。怒りも、悲しみも、失意も、絶望も、すべてが濁流となって押し寄せる。

「もう……どうしたら……」

 嗚咽は空へ吸い込まれるように消えていった。誰もいない中庭には、彼女の涙と荒い呼吸だけが残される。

 そこへ足を踏み入れたマクシムは、息を呑んだ。

 そこにいたのは、いつも凛として立つソフィーではなかった。膝を抱え、顔を覆い、嗚咽に震えるその姿は、あまりにも無防備で脆かった。胸の奥がきしむ。

 マクシムはそっと歩み寄り、何も言わずに彼女の隣へ膝をついた。腕を回すことも、無理に抱き寄せることもしない。ただ、そこにいると伝えるように静かに寄り添った。

 ソフィーは最初、誰かが隣にいることにすら気づかなかった。けれど、嗚咽の波が少しだけ緩んだ頃、ようやくその気配に気づく。

 マクシムは低く、静かに言った。

「……大丈夫だ、ソフィー。おれはここにいる。ゆっくりでいい。泣きたいだけ泣けばいい」

 その言葉に、ソフィーは小さく頷いた。涙は止まらない。けれど、隣にいる存在がほんの少しだけ絶望の波を受け止めてくれているような気がした。

 マクシムはそれ以上何も言わず、ただ彼女の隣にいた。やがて彼は、ためらいがちに手を伸ばし、ソフィーの膝の横に置かれた手にそっと触れた。

「……こうしていれば、少しは落ち着くかもしれない」

 そのまま静かに手を握る。

 ソフィーは驚いたようにわずかに震えたが、振り払わなかった。ただ、そのぬくもりに感情を預けるようにじっとしていた。

 マクシムは力を込めすぎず、しかし確かにそこにいると伝えるように手を握り続ける。昼の光はまだ淡く中庭を照らしていたが、二人の間には柔らかな静けさが降りていた。

「泣きたいだけ泣けばいいんだ、ソフィー。僕は逃げたりしない」

 小さなその言葉が、少しずつ彼女の心に沁みていく。

 ソフィーはまだ涙を流していたが、その震えはわずかに和らいでいた。絶望の底で孤独だった心に、初めて誰かのぬくもりが届いていた。しばらくして嗚咽が細くなり、肩の震えも少し落ち着いた頃、ソフィーはそっと顔を上げた。

「……隊長」

 ソフィーの声はかすれていた。それでも、ようやく誰かに届く声だった。

 マクシムは静かに顔を向け、優しく頷く。

「泣き止めなくてもいい。今は、ただ吐き出せ」

 ソフィーは小さく息を吸い、震える声で言った。

「どうしたらいいのか……何をしても、もう……」

 そこで言葉は途切れ、涙がまた頬を伝う。

 マクシムは彼女の肩にそっと手を添え、握っていた手をわずかに強く握り返した。

「……一人じゃない。おれがいる」

 その一言に、ソフィーは唇を震わせるだけだった。けれど、心の奥で少しずつ、孤独の壁が崩れていくのを感じていた。昼の光が静かに差し込む中庭で、彼女の胸には初めて、小さな安堵が差し込んでいた。海風が頬を撫で、遠くから潮騒が届く。

 ソフィーはなお涙を流しながらも、マクシムのぬくもりに支えられ、少しずつ呼吸を整えていった。

 中庭には、二人だけの静かな時間が流れていた。

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