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第二章⑦ ソフィー

 中庭の煌めきがまだ残る冬の朝。

 ダイヤモンドダストがひらひらと舞う中、ソフィーは軽く息を整え、整列していた隊員たちに軽く会釈してから中庭の隅に立つアルフォンスの元へ向かった。

「ルノアール軍医、こちらへ」

 アルフォンスが静かに声をかける。

 ソフィーは軽く一礼し、案内されるままブレスト城内へ足を踏み入れた。廊下は外の冷気を少し和らげた暖かさがあり、石造りの壁に反射する朝の光が柔らかく差し込む。

 執務室の扉を開けると、いつも凛とした冷静さで知られるイザベルが座っていた。いつもの鋭さは影に潜め、表情にはわずかな柔らかさが宿っている。

「先日は災難ね」

 イザベルの声は穏やかでいつもの鋭さは影を潜めていた。

「災難……」

 ソフィーは静かに頭を下げる。

「エリオットが酷なことをしてしまって、申し訳ない。彼の友人として、私から謝罪を」

 イザベルの言葉にソフィーは一瞬戸惑う。だが、すぐに首を振った。

「とんでもございません。私の方こそ、皆様に失礼な態度を取りました。申し訳ありませんでした」

 イザベルは軽く微笑み、手を優しく組んで応じる。

「いいのよ。それで——あれを見て君は何を感じたの?」

 ソフィーはわずかに息を吐き、目を伏せながら答える。

「……恐ろしかったです。民衆の熱狂と、断罪の瞬間が。大元帥は、私に見せたかったのだと思います」

「……ああ、私も同じ感覚だった。でも、そんな彼らを守るのが我々の使命なのよ」

 イザベルの声には静かな覚悟が含まれていた。少し間を置き、彼女は口元にかすかな笑みを浮かべる。

「それにしても……あの状況で、あそこへ向かうとは」

 ソフィーは胸の奥に熱いものを感じながら答える。

「彼を、独りで逝かせたくなかったのです。あれは、医者としてだけではなく……私自身の意志でもありました」

 イザベルは机上の書類に軽く目を落として言う。

「君の特異な経歴は聞いている」

「特異な経歴……」

 ソフィーは少し息を飲む。

「海賊と共に過ごしていた、と」

 イザベルはわずかに息をつき、書類から目を離してソフィーの瞳を見る。

「自分より力のある男たちに囲まれて、辛くはなかった?」

 ソフィーは小さく頷き、口元に微かな微笑みを浮かべる。

「いいえ。彼らは互いに尊敬し合っていました。私のことも……信じてくれていたと思います」

 イザベルはわずかに肩をすくめる。

「そう……少し羨ましいものね」

 彼女の声音には懐かしい苦味が混ざっていた。

「私はね、自分より屈強な者たちに囲まれて、ぶつかってばかりいた。ブランシェ中尉のように正当に扱われることもなかった」

「それは……女性だから、ですか?」

 ソフィーは静かに問いかけ、イザベルが頷く。

「そういうこと。今でこそ増えたけど、当時は私一人だった。入学試験の時から波瀾万丈だったわね」

 ソフィーは少し息をのみ、思わず唇をかすかに噛む。

「どうやって、乗り越えたのですか?」

 イザベルは軽く肩を回して淡々と答える。

「腕っぷしと頭脳に決まっているでしょ。士官候補生時代、ユルリッシュと剣を交わすほどの大喧嘩に発展したこともある」

「……その左眼は」

 ソフィーが目を凝らす。イザベルの茶色い右眼と違い、前髪に隠された彼女の左眼はやや灰色がかっていた。

「その時の名残よ」

 イザベルの瞳がわずかに遠くを見つめる。

「戦争じゃない。ただの喧嘩。それだけ、必死だったということ」

 ソフィーが小さく息を呑んでいると、イザベルは窓の外に目を向けて語り始めた。

「エリオットが海軍大元帥になってから、軍は変わった。私は流れには乗らなかったけど、副司令官の話は受けた。頼られるのは嫌いじゃないから」

 イザベルの言葉には自信と誇り、そして長年の孤独を乗り越えてきた強さが滲んでいた。

 ソフィーは彼女の背後にある物語の重さを言葉にせず受け取った。

「当然、貴族社会からは非難されたわ。格好の見せ物だったでしょうね」

「そんな……」

 ソフィーの声には純粋な敬意と憧れが混ざっていた。

「貴方は誰よりも優秀で、忠誠心に厚く、誇り高きフランス海軍員の鏡です。それなのに——」

 その瞬間、イザベルの目が一瞬潤んだ。

「……ありがとう、ソフィー」

 イザベルの声は穏やかで長く抑えてきた感情の余韻を帯びている。胸の奥にそっと広がる温かさと誰かに認められる喜びが静かに染みていく。彼女はソフィーを見据え、柔らかな微笑を浮かべたまま静かに言葉を紡ぐ。

「君の判断力も医術も、そしてあの場での選択も。すべて、あの隊にとって欠かせない力よ。私はそれを信頼している」

 ソフィーは胸の奥がぎゅっと熱くなるのを感じ、視線をしっかりと上げた。

「……ありがとうございます。副司令官にそう言っていただけるとは、光栄です」

 自分の道を認められ、理解されるという幸福感が、胸の奥で静かに広がった。

 イザベルは立ち上がり、扉を指さす。

「さあ、行きましょう。エリオットのところへ」

 ソフィーは少し息を飲み、声を潜めて尋ねる。

「大元帥は……私に何の用でしょうか」

「私にも分からない。けど、大事な用だと」

 イザベルの瞳に、普段の冷静さとは違う柔らかさが宿る。

「今日こそ、穏やかに話せるといいわね」

 アルフォンスが前に出て扉の前に立つ。

 ソフィーは一歩進み、扉の前で立ち止まった。深く息を吸う。胸の奥にある不安も、迷いも、そのまま受け入れる。

 中庭の光景がよぎった。誇らしげに立つ仲間たち。胸に徽章を受けたグウェナエル。

 ——自分は、ここにいる。

 ソフィーは視線を上げた。

「私は……守りたいものを、守るためにここにいる」

 扉に手をかける。

 もう迷いはなかった。

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