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第二章① リー・ウェンとお茶会

 宿舎の石造りの扉前、風がわずかに吹き抜ける。

 ロザリーが荷物を抱えた人物に問いかける。

「……それで? その荷物は何?」

 リー・ウェンはにこりと笑みを浮かべ、軽やかに頭を下げた。

「しばらく、こちらでお世話になります」

 その言葉に、ジョルジュが思わず絶叫する。

「えっ、ちょ、ちょっと待て――ッ!!」

 ロザリーは目を丸くし、サミュエルは肩をすくめ、ソフィーは苦笑い。ペネロペとリゼーヌも互いに顔を見合わせ、事態を静観していた。


 ——場面は食堂に移る。


 リーは木製の長テーブルに腰掛け、手元の布袋から数種類の茶葉を取り出す。

「皆さん、ちょっとしたお土産です。東洋のお茶ですが、どうぞ」

 ロザリーは一口含み、目を細める。

「……これは香りがいいわね」

 サミュエルも杯を傾け、満足そうにうなずく。

 ジョルジュはまだ興奮気味に皿を叩き、ソフィーは少し首をかしげつつ香りを楽しんでいた。リゼーヌも静かにお茶を味わう。その中で、リーは皆の様子を眺めてゆったりと語り始めた。

「滞在の理由ですか? 実はしばらく休業することにしました。商人としての仕事も少し間を置こうかと。……宿代を節約するため、こちらにお邪魔しているというわけです」

 ジョルジュは眉をひそめ、まだ信じきれない様子で言った。

「休業!? それでいきなりここに住むってか……!?」

 ロザリーが苦笑しながら肩をすくめる。

「まあ、理由が単純なら安心ね。少し休むだけで、いきなり敵になるわけじゃないし」

 ソフィーは優しくたしなめる。

「それに、彼にはたくさんお世話になってますし」

 リーはにこりと笑みを浮かべ、両手を広げて軽く頭を下げた。

「恐れ入ります。マクシミリアン様はうちのお得意先でして、こちらこそ日頃からよしなにして下さり感謝していますよ。焦らず、少しずつ、皆さんに馴染んでもらえればと思います」

 柔らかな笑い声とお茶の香りが食堂に満ちていた。マクシミリアン隊の静かな日常に、また新たな色が差し込まれた瞬間だった。

 リゼーヌがカップを軽く揺らしながら、好奇心に満ちた瞳でリーを見つめた。

「……ところで、リー・ウェンさん。あなたって、いったい何者なんですか? ただの商人、というわけではなさそうですが」

 リーはにこりと微笑み、茶碗を手で軽く回す。

「ふふ、よく気づかれましたね。実はわたしは、商人でありながら情報屋としても活動しています」

 食堂の空気が一瞬、静かになる。サミュエルやロザリーも、思わず顔を見合わせる。

「情報屋……ですか?」

 ロザリーが眉を上げた。

「そうです。旅や取引先で得た情報を整理して、必要な人に伝えるのが仕事の一部です。もちろん善意に基づくものもあれば、商売や安全確保のためのものもあります」

 リーは少し肩をすくめ、軽やかに笑った。

「情報屋と聞くと大げさに聞こえますが、実際には人と話すのが好きで、話の流れや表情から細かな事情を読み取るのが得意なだけなんです。だから、自然と情報が集まってしまうというわけですね」

 リゼーヌの瞳がますます輝いた。

「なるほど……それで、東洋の品々を扱う商人でもあると」

「ええ。茶葉や香料、工芸品など、珍しいものを集めるのは商人としての楽しみです。そして、そういう品々に興味を持つ人と話すこと、情報も自然と耳に入ってきます。商売と情報収集は、わたしにとって切り離せないものですね」

 ソフィーは静かに頷く。

「だから、あれだけ的確に行動できるのね」

 リーは膝に置いた両手を軽く重ね、柔らかく微笑む。

「そう言っていただけると嬉しいです。滞在中は少しでも皆さんのお役に立てればと思っていますし、同時にこちらでの時間を楽しめれば、というわけです」

 リゼーヌは興奮気味に身を乗り出す。

「面白そう……ぜひ、もっと色々聞かせてください! どうして、あんなにスピーディーにあちこち動けるんです? どうやって一人で全部こなしてるんですか?」

 リーは笑みを浮かべ、茶碗を軽く持ち上げる。

「ふふ、それを一人でこなしていると思ったら大間違いですよ」

 サミュエルが目を丸くする。

「え、じゃあ……?」

 リーは柔らかく頷き、少し声を落とす。

「実はリー・ウェンというのは、わたし一人の名前ではなく複数の東洋商人たちの総称なんです。フランス沿岸部を拠点に各地で情報や品物を扱う仲間がいて、それぞれが貴族の社交場や市場、さらには裏社会にまで足を運んで、得た情報を共有している」

 ジョルジュがまだ興奮気味に手を叩いた。

「つまり、君一人じゃないってことか!?  いや、でもそれなら納得できる……」

 リーは柔らかい笑みを崩さず、手をひらりと動かす。

「はい。わたしの役割はこの沿岸部拠点を統括して、各仲間と情報や取引の流れを整理すること。そして、皆に指示を出しながら自分も動く。だから迅速に仕事をこなし、どこにでも顔を出せるわけです」

 リゼーヌが感嘆の声を上げた。

「へえ、それならどんな場所でも情報が漏れず、すぐに動けるわけですね」

 リーは頷き、柔らかく目を細める。

「そうです。わたしたちの仕組みは、まるで一つの生き物のように動きます。だからリー・ウェンの名前を聞けば、どこかで誰かが必ず活動している。それが、わたしたちの強みなのです」

 食堂の空気が一瞬だけ静かに張り詰める。皆がその組織的な巧妙さに驚きつつ、リーの軽やかな振る舞いと整った笑みの間に確かな信頼と安心感を感じていた。

 リーが微笑を浮かべ、視線を少し遠くに向ける。

「さて、情報の集め方ですが……例えば貴族の社交場。舞踏会や晩餐会では、表向きは商人として振る舞いながら人々の会話や動きを観察します。ちょっとした言葉の端や手渡される書類、誰かのしぐさ。そういった小さなヒントを見逃さない」

 ロザリーが身を乗り出して聞く。

「つまり、顔を覚えて人脈を作るってこと?」

「それも重要ですが、裏社会も同じです。情報屋や小商人、船乗り、港の見張り……各地に散らばる仲間から、必要な情報が漏れないように受け取って整理します。危険な場所でも、互いに信頼できる人間関係があるから動けるわけです」

 ジョルジュが興奮気味に声を上げる。

「だからあんなに速く正確に動けるんだ!」

 リーは茶碗を軽く持ち上げ、微笑んだ。

「はい。情報は生き物です。扱い方を間違えれば価値はすぐに失われます。だから、わたしたちは一瞬の判断と迅速な連携を大切にしています。ここにいるわたしの一挙手一投足も、皆さんにとって安全で意味のあるものになるはずです」

 ソフィーが少し考え込むように頷く。

「情報を集めるだけでなく、整理して活かすのもあなたの役割なのね」

 リーはにこりと笑い、茶の香りの中で静かに答えた。

「ええ。そしてこの仕組みがあるからこそ、わたしたちリー・ウェンはどこにでも顔を出し、必要な動きを即座に行えるのです」

 東洋の茶の香りと共に、皆の心に「この人物はただの商人ではない」という確信が、静かに広がった。

 リーが茶碗を置き、指先で軽くテーブルを叩いた。

「例えば、数ヶ月前の話です。沿岸の港で積荷に不審な動きがあるとの報が入りました。わたしはすぐに現場に向かい、港湾関係者に聞き込みをしました。すると数時間のうちに、密輸品の正体と関わっている人物まで割り出すことができました」

 ロザリーが目を丸くする。

「数時間で!? それって、普通なら丸一日以上かかるわよ」

「そうでしょう。ですが、わたし一人ではありません。沿岸部には同じく情報を扱う仲間たちが複数おり、各地の港や都市で動きながら情報を集め、共有しています。わたしが現地で動くときには、すでに必要な情報の土台が整っている状態です」

 リーは微笑んだまま続けた。

「情報の整理と連携、この二つが揃って初めて仕事は早くなる。港の密輸から貴族の噂話まで、わたしたちリー・ウェンは、こうして動き回ることで成果を出しているのです」

 ジョルジュが興奮気味に声を上げる。

「だからこそ、あんなに小回りが利くんだな! 一人が走り回っているんじゃない、チームとして動いているんだ」

 ソフィーは静かに頷き、目を細める。

「……表向きは商人、でも裏では緻密なネットワークがある。だからこそ、あなたの存在がここでも役立つのね」

 リーは軽く頭を下げ、茶碗を手に取りながら締めくくった。

「ええ。皆さんのような方々と出会い、共に過ごすことができれば、この小さな宿舎でも情報の価値は活かせるのです」

 リゼーヌが好奇心を隠せず、手元のカップを置いた。

「リーさん、ずっと疑問だったんですけど……そもそも、あなたはどういう経歴で組織にいるんですか?」

 リーは少し微笑み、窓の外を見やるように視線を上げた。

「そうですね。わたし自身は平凡な人間です。わたしの過去などつまらぬもの。ですが、組織の仕組み自体は長い歴史を持っています」

 隊員たちが興味深そうに耳を傾ける。

「遥か昔、東方の王国群にひとつの予言がありました。西の地に予言の星となる人物がいる。そう信じられ、王の命令のもとで多くの商人や旅人、学者たちが西方に急がされたのです」

 ソフィーが静かに眉を寄せる。

「……西方で、その人物を探していたのね」

 リーは頷いた。

「ええ。しかし、果てしない西方の地で、予言の星を見つけるのは至難の業でした。それでも探索を続けた者たちの奔走が、自然と東西の情報網を形成したのです」

 リーは茶碗を手に取り、ゆっくりと続けた。

「わたしたちリー・ウェンという名は、元々その西方探索の商人チームの名残です。組織としては今もその時代の方法論を受け継ぎ、情報の収集と連携を重視しています」

 リゼーヌは目を輝かせて小さくうなずいた。

「歴史がそのまま今の形に生きている……なんだか、不思議な感じです」

 リーは軽く頭を下げ、柔らかな笑みを浮かべた。

「そうですね。長い歴史の連なりが、わたしたちの今日の活動の礎となっているのです」

 サミュエルが眉をひそめ、カップを置いた。

「その予言って……一体、どんな内容なんだ?」

 リゼーヌは頷き、空間に指で軽く線を描くようにして説明した。

「『遥か西の地、大海の手前、北玄の宿にて、二つの首星を結びつく星が紅く輝く時、歴史の転換点が生まれる』というものです。東洋ではこの紅く輝く星が現れると、世界に大きな変化や英雄の出現があると解釈されてます」

 サミュエルは目を丸くし、息をのむ。

「……なるほど、だから東方の王たちは皆、その人物を探し回ったわけか」

 リゼーヌは穏やかに頷く。

「ええ。でも予言の人物は特定できず、探索も次第に途絶えました。それでも人々が奔走した結果として、東西の情報網や交流が生まれたんです」

 ジョルジュが小さく笑った。

「結局、予言は外れたけど世界にはちゃんと意味があったんだな」

 リゼーヌはカップを置き、優しく締めくくる。

「そうです!  予言そのものは外れました。でも人々が動き、情報を伝え、知識を共有したことは、今の世界に確かな痕跡を残しています。だからこそ、リー・ウェンのような組織が生まれて、東洋と西洋をつなぐ役割を担うようになったんでしょうね」

 ジョルジュがカップを片手に眉をひそめた。

「そんなに情報が集まるなら変な話とかありそう。呪いとか魔術とかさ」

 リー・ウェンはにやりと笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。

「魔術ですか……西洋と東洋では、その考え方が根本から違いますね」

 リゼーヌが目を輝かせる。

「ええ、興味深いです! どう違うのですか?」

 リーは静かに語り出す。

「西洋の魔術は、象徴や契約を通じて力を引き出すものが多い。呪文を唱え、印を結び、力を具現化する。その対価もまた、明確に要求されます。一方、東洋の魔術は自然や理に従う形で働きます。力を押し付けるのではなく、状況を整え、理に沿わせて作用させる。例えるなら、川の流れを変えずに水車を回すようなものです」

 ジョルジュが首を傾げる。

「……なんか地味に見えるけど、理に従うってことは応用が効くってことか?」

 リーは小さく頷いた。

「その通りです。だからこそ、東洋の術は一見控えめに見えるけれど、巧みに使えば見えないところで大きな効果を発揮します」

 ソフィーが静かに口を開いた。

「五鬼衆のひとり、コリンもまさにその例です。彼は特殊な力を持っていますが、無理に力を使うのではなく状況を整えて初めて力を発揮する。まさに東洋の魔術的な感覚に近いんです」

 サミュエルが思わず声を上げた。

「え、いや今サラッと衝撃的なこと聞いたんだが……コリンって魔術が使えるのか?」

 ソフィーは少し間を置き、顔を上げた。

「ええ、見たんです。本人が目の前で、指先から火を出して……チーズを温めていたんです」

 ロザリーやリゼーヌが目を丸くする。

「え、火……?」

 ソフィーは頷き、言葉を選びながら続ける。

「幻覚じゃないかと何度も瞬きをしました。でも、仲間たちも見ていたので間違いありません。まさに、魔術のような力でした」

 ジョルジュがカップを握り直す。

「な、なんだって!? 剣振らずにそんなことできるのかよ!」

 ソフィーは少し微笑みながらも慎重に説明する。

「でもコリンは戦闘では使わないんです。力はあるけれど、剣を振るう方が好きみたいで……だから日常ではちょっとした実験や遊びにしか使わない」

 リー・ウェンも感心した様子でうなずいた。

「なるほど……それは非常に興味深いですね。力を制御できる若者、そして戦闘ではあえて使わない選択。これは東洋でも西洋でも珍しい使い方です」

 サミュエルが目を見開く。

「え、でもそれって危なくないのか?船の上でやったら火事になるだろ!」

 ソフィーは小さく笑った。

「だからこそ限定的にしか使わないみたいです。それでも、見ているだけで非現実的で驚きました」

 リゼーヌが興味津々に問いかける。

「……そういう人が味方にいるって、ちょっと心強いかもですね」

 ジョルジュはまだ半信半疑の顔でカップを見つめながらも、少しずつ納得した様子だった。ソフィーは目を輝かせながら説明を続けた。

「それにコリンは手先も器用で、色んな発明をするんです」

 ロザリーが身を乗り出す。

「発明? どんな?」

 ソフィーは微笑み、手振りを交えて話す。

「例えば、船の上で真水を清潔に保つ浄化装置。これがあれば、飲み水の代わりにしていた酒を飲まなくて済みます」

 リゼーヌが興味津々で首を傾げる。

「そんなの作れるなんて、子どもだとは思えないです!」

 ソフィーはさらに話を重ねる。

「帆船の帆も、ワンタッチで開いて操作できる仕組みに変えたり……それから、マテオの義手も彼の発明です。まるで異形の工芸品みたいで、人骨を模した細い指、関節部に埋め込まれた金属軸、肘の内側には歯車と巻き取り式の糸車が組み込まれているんです」

 ジョルジュの目が大きく見開かれた。

「歯車って……そんなの動くのか?」

 ソフィーはうなずく。

「それが動くのよ。実際にマテオが手を握ったり開いたりすると、歯車がカチリと音を立てて連動するの。素材も色々で、指の一部は細工された骨、関節やフレームは鋼鉄、細かな金属のガード装飾まであって……本当に驚かされた」

 リー・ウェンがにこりと笑った。

「なるほど……これなら彼の情報収集能力や行動力も、ただの偶然ではなく、天才的な器用さに支えられているというわけですね」

 サミュエルが感心混じりに唸る。

「天才……いや、もはや天才発明家ってやつだな」

 ソフィーは少し照れくさそうに微笑む。

「ええ、でも本人は遊び感覚で作っているだけで、戦闘で使うつもりはあまりないみたいです。だからこそ、見ている私たちは驚かされるばかりなんですけど」

 ソフィーが苦笑しながら言った。

「でも、錬金術だけは上手くいかなくて」

 リー・ウェンの目がキラリと光った。

「ほう? それは興味深いですね」

 ジョルジュが眉をひそめる。

「……どういうこと?」

 ソフィーは肩をすくめ、少し困ったように続ける。

「甲板でしょっちゅう誤爆させては、後で掃除しているの。火花が飛んだり、変な煙が上がったり……」

 サミュエルが思わず両手を上げ、軽くパニック気味になる。

「ちょ、ちょっと待て、それ、本当に大丈夫なのか!? 船が丸ごと吹っ飛ぶんじゃ……」

 リー・ウェンはにこりと笑い、落ち着いた口調で説明を始めた。

「なるほど、なるほど。確かに錬金術は扱いを誤ると危険です。しかし、面白いのはその成り立ちにあります。西洋では金属や鉱石、薬草を組み合わせて、物質の性質を変えたり、不老長寿や金を作るといった夢物語と結びつけられて発展しました。一方、東洋では——」

 そこで、ロザリーが遮るように紡ぐ。

「自然との調和を重んじるのねー」

 リー・ウェンは続ける。

「そうです。その考え方があるから、私たち東洋の商人や情報屋は危険な作業や実験もある程度制御できます。コリンのように偶然の結果が混じるのは——」

 制御不能で延々と続くリーの語り、額に汗をかくロザリー。彼らのやり取りの中、ジョルジュが思わず小さく息を吐く。

「……まさか、あの自由奔放な少年にそんな深い意味があったとはな……」

 ソフィーは微笑みながら付け加える。

「ええ、でも本人は本当に楽しんでやっているだけなんです。だから見ている私たちは、驚きと少しの恐怖を抱きつつ、笑わされるしかないんですけど」

 サミュエルはまだ少し落ち着かない様子で天井を見上げた。

「僕は無理だ……船の上でそんなことされたら心臓が持たない」

 その時、ようやく語り終えたのか。リー・ウェンは軽く肩をすくめ、くすりと笑った。

「——危険と好奇心は表裏一体。錬金術も魔術も、結局は人がどう扱うかにかかっているのです」

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