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国母セルア  作者: 小松しま
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「時間との戦いとなりましょうな」

 慌ただしく周囲が動く中、ラジアナ大公が苦しげに告げる。

「……殿下……」

 顔を向けるセルアに、彼はうなずいた。

「彼らは口実を欲しているはず。……これを好機と捕らえ、恐らくは戦端を開くことでしょう」

「……」

 その慧眼に誤りはない。

 セルアの読みも同様だった。

 そしていざ、宣戦布告となれば、イブリールが圧倒的不利に陥ってしまう。

 何より、現時点で旗印となる皇帝が不在。

 更に、軍の最高位である元帥も事実上の空席状態にある。

 一応なりとも現役でその職を担う人物はいるのだが、彼は持病によって枕も上がらない状態にあり、長らく療養中だった。

 また、副元帥も相当な高齢である。

 更に上級将軍に至っては、完全に空位。

 将軍たちもそれぞれ有能な人物揃いながら、頭角を出す者がおらず、窮余の策として元帥と副元帥に名誉職としてその地位に留まるよう願い出、残る彼らの協議と協力で、軍を統率している状態だった。

 軍内部に、万人が認める次期元帥がいないのは重大な懸念ながら、いずれレスヴィックの成人の儀式の折に再編する予定でいたのだ。

 だが、紛れもない有事が迫っている今、そのような悠長な「先送り」をしていられる場合ではない。

 それでなくとも、イブリールとティアモラの戦力の違いは歴然としており、軍備に力を入れていたかの国との戦闘が繰り広げられれば、結果は目に見えている。

「交渉を行うにしても、いざ、君主間でのやりとりとなれば、妃殿下では、どうしたところで、先方より軽んじられましょう」

「……おっしゃる通りです……」

 全く以て、ラジアナ大公の言い分は正しい。

 セルアは、皇帝代行にて皇妃。

 君主の伴侶であっても、皇后としての戴冠を行っていない。

 言い方は悪いが、正式な妻としての扱いを受けられない可能性が高いのである。

 まして、ティアモラ国王バルモア三世にとっては、娘。

 尊属として、彼が優位に立っているのは間違いない。

 ただ……。

「尤も、それとて、お父さまとの対決なれば……でございましょうが……」

 くすり……と、セルアは皮肉げに微笑した。

「……妃殿下……」

 途端、ラジアナ大公は、痛ましさに目を伏せる。

 バルモア三世が、「通常の状態でない」ぐらいは、すでに周知の事実だった。

 表向きは病気療養中。

 そして、代行として、まだ幼い王太子イスルトが立っているが、実際には彼もまた軟禁状態にあって、実権は全て、姉である第二王女エテルティアが握っているらしい。

 レスニア王妃の動向も不明だ。

 賢しき美姫と称されしエテルティアは、少しずつ、しかし確実に自らの立場を固め、今や王国の第一人者にまで上り詰めているらしい。

「果たして、お父さまや異母弟にしたところで……御存命でおいでなのかどうか……」

 ティアモラ王室の不気味な動きの真因が大まかにつかめた時点で、セルアもある程度の達観は抱いていた。

 冷たいようだが、所詮、セルアにとってバルモア三世は、父として思慕の対象たる人物では断じてない。

 恨みこそ抱いていないが、かけらほどの尊敬もなく、血族としての慈しみもまたなかった。

 そんな父がどのような末路を辿ろうが、正直、どうでも良いのだが、その影響がイブリールに及んでいる現状は看過できない。

 そもそも、故国が愛しいレスヴィックに害した事実があるのだ。

 決して許せない。

「……いよいよの事態となれば、国威高揚には、どうしても旗印が必要となりましょうな……」

 ラジアナ大公は、切なげにセルアの腹部を見詰める。

 皇妃の顔色の悪さが、一層痛ましかった。

 明言されていなくとも、セルアが不定期に神器へ血を供給しているぐらい、事情を知る誰もが察している。

 腹を痛めはしなくとも、充分、我が身を削って、皇太子を育んでいるのだ。

 その影響はすでに肉体に現れているのだが、それでも気丈に自らを律する姿に、重鎮たちはひそかな同情と深い感謝、何よりも至上の敬意を捧げている。

 そんな中、飛び込んで来た、精神的な支柱であった外祖父のゼルフィード大神官の不幸の報だ。

 更には、同じく頼りにしている姉代わりの侍女が犯人の汚名を着せられた上で拘束され、厳しい詰問……あるいは、暴行にすら晒されているかもしれない現状で、セルアが追い詰められないはずがなかった。

 それに対抗する術は、皆無に近しい。

 今は何としても、皇子誕生が待望されるところである。

 産み月間近の生命は、今やイブリールの希望だった。

 この未来の皇太子の存在が、どれほどの力になるか、言及するまでもない。

 哀れだが、誕生の瞬間から、運命の赤子は数奇な変遷を強いられるはずだ。

 乳飲み子を名目上の新元帥を立てると、重鎮たちは皆、暗黙の内、了承している。

 となれば、いかに飾り物であっても、前戦に連れて行くのは必定。

 生母であるセルアまで同行する可能性もあり、諸般の問題が噴出するはずだ。

「……皇帝の勅命のない出陣など、未だかつて、例がございませんからな……」

 そのつぶやきが愚痴めいてしまうのは、やむを得まい。

 この時代、君主の親征即ち戦争と定義されていた。

 幻の存在であるレスヴィックにそれがかなわないとなれば、幼い皇太子が父の名代を務める以外、面目が立つ瀬はないだろう。

「いずれにせよ、アレノーワ殿の存在が、大きな鍵となりましょう」



 ラジアナ大公の言葉は、歴史の真実に相違なかった。


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