解散の話をしても、席は消さない
【前回までの人物】
・湊:大学二年生。書けない気持ちを交換せず、聞かない約束を自分のノートだけへ残した。
・ひより:言葉を扱う大学生。紙束に何を書くか聞かないよう湊へ頼み、次の集まりへ参加すると伝えた。
・怜:失恋同盟の先輩。同盟の名前と、集まりで共有する範囲を話す場を用意した。
・千夏と澪:模型と譜面の紙を別々に試し、同じ場所へ集まっても同じ用途へ揃えない。
木曜の放課後、怜さんは五席ではなく六席の机を選んだ。
「一つ多いです」
僕が言うと、先輩は鞄を空席へ置かず、机の下へ置いた。
「途中から来る人のため、ではないよ。詰めて座らなくていいように」
「誰か来るのかと思った」
千夏が椅子を引く。
「今日の話を、人数を増やして薄めたのかと」
「増やしてない。五人で話す」
怜さんは出口に近い席を空け、他の五席へ紙を一枚ずつ伏せて置いた。
ひよりさんは最後に来た。
紙店で買った小さな紙束を持っている。封は開いていたが、何枚使ったかは見えない。
僕は袋を見て、すぐ視線を時計へ移した。
「間に合った?」
「二分前」
「走ってない?」
「歩いた。紙のことは聞かないで」
「聞かない」
「今日は、それを確認したかった」
彼女は出口に近い席を選んだ。帰りたい時に、誰かへ立ってもらわなくていい場所だ。
怜さんが伏せた紙を表へ返す。
書いてあるのは三つだけだった。
同盟の名前をどうするか。集まりで共有する範囲。今日決めないこと。
「最後から読む?」
千夏が言う。
「いいね。今日決めないことから」
先輩は少し笑った。
「誰かが恋をしているか。誰が失恋を忘れたか。次に誰と付き合うか。これは確認しない」
「解散するかは?」
澪さんが尋ねる。
「今日の話題。でも、結論を今日出すとは限らない」
僕は机の木目を見た。
失恋同盟は、恋をしたら解散です。
名前そのものが、誰かの気持ちを報告させる形になっている。
「名前を変える案はありますか」
「三つ考えた」
怜さんは別の紙を出さず、口で言った。
「失恋のあと会。やり直さない会。名前のない集まり」
「三つ目、呼べない」
千夏が即答する。
「一つ目、病院の待合みたい」
「二つ目は、何をやり直さないのか分からないです」
澪さんも静かに続けた。
「全部、よくない?」
先輩は肩を落としたが、笑って誤魔化さなかった。
「うん。自分でも、決めるために作った名前だった」
ひよりさんは紙束から一枚だけ抜いた。
何も書かれていない面を上へする。
「今の名前、嫌いじゃない」
「解散が?」
僕が聞くと、彼女は僕ではなく紙を見る。
「失恋したって言える場所なのは好き。でも、恋をしたら出ていくって、誰が決めるの」
「本人?」
「本人が、ここにいたいのに?」
問い返されて、答えが止まる。
「恋をした人が残ったら、嘘になると思ってました」
怜さんが言う。
「名前に対して」
「名前のために、人を出すの?」
ひよりさんの声は強くない。だから、机の上へ長く残った。
千夏が鉛筆を転がした。
「私は、恋した人が一人抜けたら解散、だと思ってた」
「全員、解散?」
「うん。最初は、それが面白かった。でも今、模型の相談もしてるし、紙店も行った。誰かの恋で全部なくなるの、困る」
「模型の集まりじゃないけど」
澪さんが言う。
「でも、失恋だけでもない」
「譜面の紙も試したし」
「それは私の用事」
澪さんは小さく笑った。
「同盟の成果にしないで」
「はい」
話が一度止まった。
怜さんは次の質問を急がず、水を一口飲む。
空調の音と、廊下の足音が聞こえる。
僕は沈黙を埋めたくなり、ノートを開きかけた。
「湊くん」
ひよりさんが呼ぶ。
「はい」
「何を書こうとした?」
「決まったことを」
「まだ、決まってない」
「そうだった」
僕はノートを閉じた。
澪さんが自分の譜面冊子を机へ出す。
「名前を変える前に、できることがあります」
「何?」
「解散、を自動にしない。誰かが恋をしたと本人から話した時、その人が残りたいか、皆がどうしたいかを別に話す」
「規約だけ変える?」
「規約があるなら」
「ない」
怜さんは正直に言った。
「最初のメッセージと、口約束だけ」
「じゃあ、口約束を今、言い直す」
千夏が椅子へ深く座る。
「恋をしても、自動では追い出さない。解散もしない」
「それで名前は残す?」
「残してもいい。おかしいなら、その時また変える」
ひよりさんは白い紙へ、短い線を一本引いた。
「自動で決めない、なら賛成」
「恋をしたって、言わなくてもいい?」
僕が尋ねる。
「言いたくないなら、言わない。来る理由も、来ない理由も出さないって前に決めた」
「でも、皆を騙すことには」
口にした瞬間、千夏の眉が上がる。
「誰の恋を想定してる?」
「誰も。名前との整合を」
「また名前を守ってる」
胸が熱くなる。
僕は正しい説明を探しかけ、やめた。
「誰かが恋をしてるか、気になってます」
言ってから、ひよりさんを見ないようにする方が不自然だと思い、顔を上げた。
「でも、聞かない約束を破りたくない」
ひよりさんは鉛筆を置いた。
「気になるのは、止められない」
「うん」
「聞かないのは、選べる」
「うん」
「私も、誰が何を気にしてるか、気になる」
そこで彼女は僕を見たが、答えを要求しなかった。
「だから、全員に報告させる形は嫌」
「分かった」
「早い」
「今度は、分からない所もあります」
「どこ」
「恋をしても残れるなら、失恋同盟って何をする場所なのか」
怜さんが手を挙げた。
「それ、私も分からない」
幹事が答えを持っていない。
千夏は笑わず、澪さんはノートへ何も書かない。
「分からないなら、次に残す?」
千夏が聞く。
「次の会までの宿題にしないで」
ひよりさんがすぐ言う。
「考えたい人は考える。考えたくない人は、そのまま来る」
「提出なし」
「期限なし」
「名前なし?」
「名前は、いまのまま」
五人の言葉が、同じ答えではなく同じ範囲へ集まった。
怜さんは伏せていた紙の裏へ、今日の確認を書いた。
恋をしたかを確認しない。本人が話しても自動解散・自動退会にしない。名前の変更は保留。次回の参加理由・欠席理由は不要。
「共有するのは、これでいい?」
全員が紙を読んだ。
ひよりさんが一箇所を指す。
「『本人が話しても』だと、話したら手続きが始まる感じ」
「どうする?」
「『本人が話した場合も、その場で結論を求めない』」
「長いけど、その方がいい」
怜さんは書き直した。
共有の話が終わると、千夏は模型の窓に使う紙を出した。
曲がった角は少し白くなっている。
「捨てなかった」
「使うの?」
僕が聞く。
「まだ。今日は見せただけ」
「それなら、作品の予定に入れない」
「先輩、学んでる」
怜さんが苦笑した。
澪さんも消した線の紙を出すが、譜面へ採用したとは言わない。ひよりさんは自分の紙束を開いたまま、誰にも渡さない。
帰る時、六つ目の椅子は最後まで空いていた。
誰かのために取っておいた席ではない。五人が隣の肩へ触れず、自分の紙を自分の前へ置くための間だった。
「駅まで、同じ?」
僕がひよりさんへ聞く。
「同じ。途中まで」
「紙、持つ?」
「持たないで」
「うん」
「でも、鞄のファスナー、見て。閉まってる?」
頼まれた範囲だけを見る。
「右が少し開いてる」
彼女は自分で閉めた。
駅までの道で、同盟の話はしなかった。
ひよりさんは授業の先生が板書を消す速さへ文句を言い、僕は昼に買ったパンが固かった話をした。
恋を話さない時間が、嘘をつく時間になるわけではない。
分かれ道で、彼女が足を止めた。
「今日、誰かが恋してるか気になるって言ったよね」
「言った」
「私に聞いてる?」
胸が一度だけ強く鳴る。
「聞かない約束なので、聞いてない」
「安全な返事」
「そうかもしれない。でも、約束を守るための返事です」
ひよりさんは少し考えた。
「じゃあ、私も答えない」
「うん」
「嫌?」
「気にはなる。でも、嫌とは言わない」
「そこは正直」
彼女は紙束を鞄の中で押さえた。
「解散しないって決めて、安心した?」
「しました」
「誰かが残るから?」
「皆の場所が消えないから」
「それだけ?」
今度は、僕が黙った。
聞かない約束は、何も言わなくていい免許ではない。けれど、言えないことを急いで形にする必要もない。
「今日は、そこまでしか言えない」
「分かった」
ひよりさんは追わなかった。
同盟は、その日に解散しなかった。
名前も変わらなかった。
誰かの恋が始まったとも、終わったとも決めなかった。
決まったのは、気持ちの報告で席を消さないことだけだ。
駅へ向かう彼女の背を見送り、僕は連絡欄を開いた。
怜さんが今日の確認だけを載せている。感想の提出欄はない。
僕は了解の印を一つ付け、個別の言葉は送らなかった。
空いた六つ目の席は、次回も必要かもしれない。
誰かを増やすためではなく、言わないことを無理に交換しない距離を残すために。
夜、全体の連絡欄に千夏が一枚の写真を上げた。
六つの椅子ではない。模型室の机に、紙の窓が五枚と、何も置いていない枠が一つある。
『空いてる所、埋めないことにした』
怜さんがすぐ意味を聞きかけたのか、入力中の表示が出て消えた。
代わりに、『模型の用途として受け取ります』と届く。
澪さんは、『光を通す幅が違って見えます』と、作品の見え方だけを返した。
僕は何か気の利いたことを書こうとした。
同盟の席みたいだ、と書けば、今日の話を千夏の模型へ勝手に入れる。空白も作品だ、と書けば、千夏がまだ決めていない意味を決める。
『白くなった角、使った?』
前に聞いていいと言われた部分だけ送る。
『一枚だけ。ひびの窓じゃなく、閉まらない窓にした』
『失敗を使ったんだ』
『使う方を選んだ。捨てた紙もある』
全部を意味へ変えたわけではなかった。
ひよりさんから個別に一行が来た。
『今日は、そこまでしか言えない、で止まったの良かった』
褒められたのか、安心されたのか、分からない。
『聞かなかったから?』
打ってから消す。聞かない約束の理由を、また彼女へ説明させる質問だった。
『僕も、止まれて良かった』
それだけ返した。
しばらくして、白い紙を折った小さな写真が届いた。文字は写っていない。
『紙のことは、まだ聞かないで』
『聞かない』
『でも、持ってきたことは覚えてて』
胸が温かくなり、同時に困った。
覚えていてほしいことと、知ってほしくないことが同じ紙にある。
『覚えてる。中身は決めない』
送ると、返事は丸い印一つだった。
同盟の名前は変わらなかった。
けれど、名前に合わせて誰かを追い出す約束は消えた。
僕とひよりさんの間にも、聞かないまま覚えておく物が一つ増えた。
それを恋の証拠へしないことが、いま残せる一番近い席だった。




