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五人分の、行きたいところ

【前回までの人物】

・湊:皆との外出と同じ日の写真展も見たかったと、五人の連絡先へ再相談の文を送った。

・千夏:湊の幼なじみで建築を学ぶ同級生。自分の課題を終えて外出に参加する予定。

・ひより・怜・澪:湊と私的な失恋同盟を作った仲間。外出の希望や、授業・練習の都合はそれぞれ違う。

 最初の返事は、講義が終わった時に来た。

 千夏からだった。

『それ、いつから行きたかったの』

 僕は端末を持ち直した。

 いつから、と書かれると、昨日消した文字より、ずっと前からだったことが分かる。

『先週、案内を見た時から』

 そう返すと、少し間を置いて、また画面が光った。

『じゃあ最初から言ってよ。今日の夕方、店寄る。課題の模型は持ってかないから卓は空けといて』

 怒っているのかどうかを、文字の速さだけで決めそうになった。

 僕は、分かった、と返した。

 模型が来ないことより、千夏本人が来て話すと言ってくれたことが、少し嬉しかった。


 告白から八日目の夕方。

 凪待ちのカップを片づけ終えた時には、窓の外の色が変わっていた。低い光が、椅子の脚だけを長く伸ばしている。

 ひよりさんは、仕事をしている僕へ声を掛けず、先に自分の本を読んで待っていた。怜さんはその向かいで地図を見ていて、澪さんは残りの布巾を干してから、同じ卓へ来た。

 それぞれが連絡を読めた時刻は、違った。

 昼休みにすぐ返す人。授業のあとで返信した人。休憩に画面だけ見て、勤務が終わってから話すと言った人。

 僕の送信の小さな表示だけで、四人の一日まで止まるわけではなかった。

 千夏が、畳んだ紙を卓へ置く。

「で。海辺の展示室って、この建物?」

「そう。最終日で、二時が最後の入場、三時に閉まる」

 僕は案内を開き、皆の方へ向けた。

 千夏は写真より先に、背景の壁へ顔を近づけた。

「あ、ここ。昔の倉庫を直した所だ。柱、残ってるんだ」

「知ってたんだ」

「中の展示は知らなかった。建物の方を、授業の資料で見た」

 彼女はそこで画面から離れた。

「湊は、何を見たいの」

 問いの向きが、建物から僕へ戻る。

「港で働く人の写真。荷物を待っている人のがあって。その人、船の方を見てないんだ。誰が来るのを待ってたのかなって、気になって」

「それなら、一枚見るだけでも時間かかりそうですね」

 ひよりさんが、開いていた本へ指を挟んだ。

「さっと入って、さっと出て、っていうのは、もったいない感じです」

「うん。できれば、少し立って見たい」

 口にして、僕は自分の返事へ少し驚いた。

 行きたいだけでなく、どう過ごしたかったかまで、初めて言った気がした。


「一時半にここへ集まれば、二時より前に入れるよね」

 千夏が紙へ矢印を引きかける。

 澪さんの手が、卓の端で小さく動いた。

「すみません。私、練習の片づけが押した時は、そこへ一時半だと、少し厳しいかもしれません」

 僕はすぐ、じゃあ別の日に、と言いかけた。

 展示の最終日を見て、口を閉じる。

 澪さんは、僕がやめる前に、言葉を続けた。

「でも、練習を短くする約束は、したくないです。前の人の時間もありますし、私も、今の八小節を最後まで弾いてから出たいので」

「うん。そこを削ってとは言わない」

 僕が返すと、彼女は少しだけ肩を下げた。

「駅からは、どのくらい掛かりますか」

「地図では、歩いて十二分くらい。僕も、この道は初めてだけど」

「なら、一時四十五分を目安に、展示室へ直接行きたいです。もし二時を過ぎるなら、先に連絡します」

 僕は、五人が同じ場所で揃う一時半の丸を見た。

 その丸だけを守ろうとすると、誰かが来る前から疲れることになる。

「四人で先に入っていても、大丈夫?」

「はい。入口でずっと待っていただくより、その方が。私も写真を見たいので、中で合流できたら嬉しいです」

 千夏が、引きかけた矢印を止めた。

「受付の前じゃなくて、入口を入った所の案内板の横にしよ。中で端末が鳴らせるか、分かんないから」

「僕、入る前に、そこへ行けるか見て連絡する。無理なら、その時に外の場所を決めて送るね」

 澪さんが頷く。

 まだ行っていない建物の中を、もう知っているように約束せずに済んだ。


 怜さんは地図を裏返し、白い側を上にした。

「先に、みんなが欲しい時間を書いてみない? 最短の道だけ引くと、また、移動するだけで終わりそう」

「怜さんの行きたい所は、どこですか」

 僕が訊くと、彼女は、少しだけ目を丸くした。

「私? 駅の反対側に、紙と小物のお店があるの。絵葉書を見たいんだけど」

「好きなんですか」

「好き。人に出すのも、買って出さないのも」

 そう言って、怜さんは笑った。

「転居のたびに、買った町の名前が残るのよね。何をしたかは忘れてても、その紙だけある」

 僕は、店の名前を書いた。

 怜さんが、そこで指を止める。

「ただ、開いてる時間は、まだ確認してない。私が調べる。地図のこっち側、歩いたこともないし」

 いつも先を知っているように見える人にも、知らない道があった。

 千夏が自分の紙をそっと寄せる。

「私、その建物の外壁も見たい。展示のあと、十五分くらい。入口の写真はあるんだけど、裏側の柱の残し方が、見えなかったから」

「じゃあ、建物の外を回る時間ですね」

 ひよりさんが返す。

「雨だったら、私は中の屋根の下にいるかもしれません。でも、柱の話は聞きたいです。どれが昔のままなのか、私じゃ分からないので」

「分かる所だけね。私も、見れば全部分かるわけじゃないから」

 千夏は笑い、紙の端へ、小さく壁、と書いた。

 模型を持ってこなくても、彼女は、今日も建物を見る人だった。


「ひよりさんは、海の方を歩きたいんでしたよね」

 僕が訊くと、ひよりさんは本を閉じた。

 挟んでいた指へ、頁の縁の跡が少し残る。

「はい。できれば、寄り道の途中で海が見える、じゃなくて、少しのあいだ海を見る時間が欲しいです」

 いつもの明るい返事より、短かった。

「何もしないで?」

 千夏が訊いた。

「何もしないでも。歩いて、寒かったら止まって。皆さんの話を聞いてるだけでも、いいです」

「それだと、私がずっと柱の説明するかも」

「その時は、海も見てください、って言います」

 ひよりさんが笑った。笑ってから、自分の端末を伏せる。

 僕は、笑い声が途切れた後の、その短い間も、紙へ残したくなった。

 海を歩く。話さなくてもよい時間。

 そう書くと、ひよりさんが、こちらを覗いた。

「無言大会には、しないでくださいね」

「そこまでは、書いてないです」

「よかった。私、そういう大会だと、笑って負けるので」

 僕も笑い、無言、と書きかけた字を消した。


 澪さんが、小さく手を上げた。

「私の希望、食べ物でもいいですか」

 その丁寧さに、怜さんが顔を向ける。

「もちろん。何?」

「パンのお店へ、行きたいです。前に話していた、丸いのが二つ繋がったパン。売っていたら、皆さんと分けて食べたいんです」

 千夏が、ああ、と頷いた。

「あれ、おっきいよ。一人で買うと、途中で飽きる」

「だから、一緒に行ける時にと思って。全部を同じ物にするのでなくても、一口ずつ違う味が分かったら」

 僕は、パン屋の欄へ丸をつけた。

 前は、皆で出かける時の立ち寄り先として書いた場所だった。

 澪さんの言葉で聞くと、五人でいるから選びたい食べ方になった。

「売り切れていたら、違うのを選ぶ?」

「はい。でも、先に一度、覗きたいです。帰る頃に寄って、なかったら、少し残念なので」

「じゃあ、展示と建物のあと。海へ行く前にしよう」

 僕が言うと、彼女は、一瞬迷ってから笑った。

「それなら、私も選べますね」

 遅れて来た人の分だけ、勝手に買っておく予定を立てずに済んだ。


 全部を書いた途端、紙の上が狭くなった。

 展示。壁。パン。海。紙の店。

 駅へ戻る道まで入れると、一時半から四時の中に、五つの丸が押し合っていた。

「これ、全部いける?」

 千夏の声に、僕は時刻を書き始める。

「展示を四十分くらいにして、建物は十五分で、パンが十分、歩くのが」

 自分の声が、少しずつ速くなった。

 怜さんが、紙の端へ指を置いた。

「パンを買うの、十分で終わらないかもしれない。並ぶ所なら」

「じゃあ、展示を少し短く」

 言ってから、僕は止まった。

 ひよりさんは何も言わず、僕が最初に書いた、立って見たい、の字へ目を落としていた。

 僕も、そこを見た。

「また、先に自分の所から削ってた」

「削ってもいいんですけど」

 ひよりさんは、僕の顔を見た。

「本当に、それで見たい写真が見られるのか、湊くんに決めてほしいです」

 僕は、写真展の案内をもう一度開いた。

 見本には、二枚しかない。

 見ていない写真を、十分ずつで見られると決めることはできなかった。

「展示、二時二十分までは、いたい。それより早く見終わるかもしれないけど、最初から出るって決めたくない」

 千夏が、頷いた。

「じゃあ、そこは消さない。私の壁は、歩く道が通る方だけでいい。ぐるっと一周は、別の日にする」

「それ、いいの?」

「見たい所の中から、私が選んでるから、いいの」

 言い切った後、彼女は少しだけ顔を傾けた。

「その代わり、止まってる十五分、急かさないでね」

「うん。そこは、待つ」

 僕は、その十五分へ、薄く線を引いた。

 取り合った結果ではなく、彼女が自分で残した時間だった。


 怜さんの店は、海とは駅を挟んで反対側にあった。

 地図を開いたまま、彼女は小さく唸る。

「これ、私が、海沿いにあると思ってたの。名前に港って付いてたから」

「店名の港、地図にない港だったんですね」

 ひよりさんが言うと、怜さんは笑って額を押さえた。

「そう。私の行きたい店だけ、船が陸を走ってた」

 僕は、二つの道を見比べた。

「帰りに、駅で別れて寄るのはどうですか。僕も、四時までは、そちらへ行けます」

「無理に付き合わなくていいよ」

「僕も、絵葉書は見たいです。写真を撮る人が、何を残す紙を選んだのか、気になるので」

 怜さんは、すぐには頷かなかった。

 それから、画面を少しこちらへ向けた。

「じゃあ、開店時刻、私が見ておく。海から戻る時間で間に合いそうなら、一緒に。無理なら、その日はお店の場所を確かめるだけでもいい」

「僕が行くの、余り時間でって意味ではないです」

 慌てて付け足すと、彼女が笑った。

「分かってる。いまは、私が決める番」

 その言葉に、僕はようやく頷けた。


 ひよりさんが、地図の海沿いの道へ指を置く。

「ここ、座る所はあるんでしょうか」

「写真では、低い縁があります。でも、座っていい場所かは、僕も」

「なら、歩いてみてからにします。寒い日は、ずっと外じゃなくても大丈夫なので」

「海は、三十分くらい取れると思います。パンを選ぶ時間が延びたら、その時、皆で決めたいです」

「はい。勝手に、海を五分にしないでくださいね」

 冗談めいた声だったが、僕は、ちゃんと、はい、と返した。

 千夏が、紙を持ち上げる。

「じゃあ、先に決まってる所。四人は一時半に展示室の外。澪さんは、練習のあと直接来て、入れる時刻なら中で合流。湊が先に合流場所を連絡する」

「はい」

 澪さんが頷く。

「入れなかった時も、皆さんを途中で呼び出しません。どこで合流するか、連絡します」

 千夏は、そこも紙へ足した。

「展示、二時二十分が目安。そのあと壁とパン。海へ行って、駅に戻る。紙のお店は、怜さんが確認してから。四時には、それぞれ帰れる所まで戻ってくる」

「その予定なら、私は行きたいです」

 ひよりさんが答えた。

 怜さんも、私も、と言う。

 澪さんは紙を覗き、練習の終わりからの道をもう一度見てから、頷いた。

 最後に、千夏が僕を見る。

「湊は?」

「行きたい。写真も、みんなとの海も、見たい」

 言うと、自分の声が、思っていたより明るかった。


 予定を送る前に、僕は紙を撮った。

 卓の上へ、五人の指が違う方から伸びている。

 千夏の指先には鉛筆の跡。澪さんは、紙の端を捲れないように押さえていた。怜さんの端末には、まだ開店時刻を探す画面が残り、ひよりさんの本は、肘の外へ置かれている。

 誰か一人が綺麗に揃えた予定表ではなかった。

「これも、撮るの」

 千夏が訊いた。

「あとで、誰の希望か分からなくならないように」

「じゃあ、私の矢印、曲がってるけど残して。柱の手前で折り返すやつだから」

「消さないよ」

 僕は写真を五人の連絡先へ送った。

 今度は、丸が揃ったから大丈夫、とだけ書かなかった。

 それぞれが残したい時間と、まだ確認していない店の時刻。遅れる時の連絡先。動かす時は、その場で皆に聞くこと。

 画面が、隣の端末でも同じように光った。

 それを見て、僕は笑った。

 同じ場所にいるのだから、すぐ返事が来るのは当たり前だった。

 昼のベンチで待っていた時には、その当たり前まで欲しくなっていたのかもしれない。


 帰り支度を始める前、澪さんがもう一度、紙へ顔を近づけた。

「パン、誰が持ちますか」

「買う前から?」

 怜さんが笑う。

「はい。私、譜面の鞄と一緒にすると、潰してしまいそうなので」

「じゃあ、袋は私。建物の写真を撮る時だけ、湊に持ってもらう」

 千夏が言い、僕は、いいよ、と答えた。

 ひよりさんが、少しだけ首を傾ける。

「私は、海で食べ終わるまで、最後の一口を狙う係で」

「それは、全員できます」

 澪さんの真面目な返事で、卓がまた笑い声で満ちた。

 僕は、紙を畳んだ。

 失恋の話をするために集まった四人だけではなく、千夏もいる、五人の外出だった。同盟の言葉を知らなくても、一緒に見たい物を言える席にしたかった。

 誰と恋をするかは、今日、決める話ではない。

 それでも、誰かの都合を勝手に消さず、自分の字も消さないでいることは、この席で、少し練習できた。

 窓の外は、もう夕方の色を失いかけていた。

 写真展へ行ったわけでも、海を歩いたわけでもない。

 ただ、二日後の午後を思い浮かべた時、今度は、その中に僕自身もいた。

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