第二十七話「それぞれの道」
第二十七話「それぞれの道」
村に三日間滞在した。
特別なことはしていない。
ただ、朝は父と畑に出た。
鍬を握ると、思った以上に手が馴染んだ。
土の匂い。 朝露の重さ。 畝の硬さ。
全部、身体が覚えていた。
「変わっていないな」
父が言った。
「そう見えますか」
「見えるというより……手だな」
少し笑うように言った。
「忘れたようで、忘れていない手だ」
父は畝に鍬を立てた。
「魔法は、使えるのか」
「使えます」
「見せてみろ」
掌に、小さな火を灯した。
ろうそくほどの炎。
父はしばらく黙ってそれを見ていた。
「適性ゼロじゃなかったのか」
「今でもゼロです」
「そうか」
「でも、使えます」
「そうか……」
それ以上は何も言わなかった。
しばらくして、父が畝に視線を落としたまま言った。
「お前が泣いて帰ってきた日が、ずっと頭に残っている」
「……あの日ですか」
「正しいことをしたのか、間違っていたのか、わからなかった」
鍬が止まる。
「引き止めたことが、悪かったんじゃないかと思っていた」
「父さんが?」
「そうだ」
少し間があった。
「でも、それはもういいです」
「いいのか」
「今が好きです」
鍬を握り直す。
「あの日がなかったら、今はなかったので」
「お前はいつも、それだな」
「それしか言えません」
父は小さく息を吐いた。
「……そうか」
そしてまた、土を掘り始めた。
僕も隣で鍬を振るった。
音だけが朝に響いていた。
ミラに会ったのは二日目の午後だった。
偶然だった。
道の向こうから歩いてきて、目が合った。
少しだけ、大人びていた。
「……帰ってきてたのね」
「昨日です」
「聞いてた」
ミラは一度視線を外した。
「元気だった?」
「色々ありました。でも、元気です」
「そう」
間が落ちる。
村の空気は変わらないのに、その間だけが妙に違っていた。
「ミラは?」
「私は変わってない」
「それがいいと思います」
「そうかな」
「変わらない場所があるから、人は戻って来られるんだと思います」
ミラは少しだけ目を細めた。
「……怒ってないの?」
「昔は怒ってました」
「今は?」
「もう終わったことだと思っています」
「どうして?」
「ミラにも、選べなかったことがあったと思うからです」
ミラは黙った。
「言わなくていいです」
僕は続けた。
「もう終わったことです」
少しだけ、ミラが笑った。
「変わったのね」
「そうですか」
「前はもっと引きずってた」
「そうでした」
ミラはすれ違いざまに言った。
「またね」
「はい」
小さく、背中越しに声が聞こえた気がした。
振り返らなかった。
三日目の朝。
セラが宿に来た。
「そろそろ出るか」
「もう少し居てもいいです」
「王都がある」
「そうですね」
ライラが静かに言った。
「一緒に行きます」
迷いはなかった。
「村に残るという選択肢は?」
「ありません」
短い言葉だった。
母が見送りに来た。
「次はいつ帰るの?」
「わかりません。でも、帰ります」
「ちゃんと連絡しなさい」
「はい」
父は門まで来た。
「達者でな」
「はい」
「また来い」
「来ます」
「ここは変わらん」
それだけだった。
でも、それで十分だった。
村を出て歩き出す。
セラが言った。
「いい親だな」
「そうですね」
「お前が普通でいられる理由がわかる気がする」
「普通、ですか」
「根っこだ。そこが変わってない」
少し間。
「それは多分、あの親のおかげだ」
「伝えておきます」
「今度でいい」
ライラがぽつりと言った。
「家族というものは、こういうものなんですね」
「違いますか」
「いえ……知らなかっただけです」
少しだけ視線を落とす。
「温かい、という言葉が近い気がします」
王都に戻ると、セラが言った。
「腹減った」
「いつもですね」
「それでいい」
夜。
それぞれ手紙を書く。
バルド、シア、ガイアス。
そして、エリアへ。
翌日。
エリアから返事が来た。
「明日、来なさい」
短かった。
セラが言った。
「明日は一人で行け」
「一人で?」
「二人の話だ」
「でも」
「でも、じゃない」
翌日。
アシュレイン家へ向かった。
庭に出る。
噴水の音だけがあった。
ベンチに座る。
エリアはしばらく黙っていた。
「村はどうでしたか」
「変わっていません。でも、見え方は変わりました」
「どういうふうに」
「懐かしく見えました」
「嫌いだった場所が?」
「はい」
間。
「貴方に聞きたいことがあります」
「はい」
「どうして、あのとき私にだけ魔法のことを話したんですか」
「聞かれたからです」
「それだけ?」
「それだけです」
エリアは少しだけ息を吸った。
「私はずっと考えていました」
「何をですか」
「貴方は、信頼できる人には隠さない人なのだと」
「そうかもしれません」
「今も?」
「はい」
「私は?」
「信頼しています」
「どのくらい?」
「測れません」
エリアは少し笑った。
「ずるい答え」
沈黙が落ちる。
エリアは一度立ち上がりかけて、やめた。
そして、小さく言った。
「……好きなの」
噴水の音だけが続いた。
しばらく、何も言えなかった。
言うべき言葉は、最初から決まっていた気がする。
「さっき、言いました」
「どこで?」
「帰りたい場所の話のときです」
エリアは少し目を見開いた。
「ずるい」
「そうですか」
「ちゃんと言いなさい」
少しだけ間。
「好きです」
エリアは、少しだけ笑った。
「やっと」
「遅かったですか」
「三ヶ月」
「長いですね」
「長いわよ」
夕暮れの王都を歩く。
宿に戻ると、セラが言った。
「顔でわかる」
「何がですか」
「終わった顔だ」
「終わりましたか」
「いい意味でな」
ライラが言った。
「決まりましたか」
「はい」
「何がですか」
「ここに戻る理由です」
ライラは少しだけ頷いた。
「良かったです」
セラが言った。
「飯だな」
「いつもですね」
「それでいい」
三人で歩いた。
夕暮れの王都は、静かに色を変えていた。




