第二十四話「過去の真実」
第二十四話「過去の真実」
帝国軍の野営地は、古代都市の外縁からほど近い草原に設営されていた。
シアが騎士団へ報告を飛ばすと、負傷者の確認と物資の再編が一斉に始まる。だが兵士たちの顔はどこか強張っていた。無理もない。つい先ほどまで空は裂け、十メートル級の光の怪物が出現し、それが消滅したのだ。
現実感が追いつくはずがない。
「神の眷属を討伐した、ということで間違いないな?」
騎士団の隊長が、乾いた声でシアに確認する。
「ああ」
「方法は」
「吸収だ」
一拍の沈黙の後、隊長はそれ以上を聞かなかった。
正しい判断だった。
その頃、セラは野営地の鍋場を勝手に拡張していた。最初は数人分だったはずの鍋が、いつの間にか数十人分になっている。
帝国兵が興味本位で食材を持ち込み、焚き火の周囲は小さな宴のようになっていた。
戦場の翌夜とは思えない、妙に生きた空気だった。
鍋が完成し、全員が食事を終えた頃。
焚き火の前で、ゼクスがぽつりと口を開いた。
「千年前の話をしよう」
誰も遮らなかった。
「俺が二十三のとき、神の声を聞いた。世界を守るために力を貸せと。迷いはなかった」
火が揺れる。
「だが、その瞬間から逆らえなくなった。術式が体に刻まれた」
ライラが静かに問う。
「ヴェイン様と出会ったのは?」
「五年後だ。村を一つ、疫病ごと消す命令を受けていたときだ」
ライラの目が細くなる。
「止められたのですね」
「一人の若者が、眷属の術式をすべて吸収してな」
ゼクスは遠くを見るように続けた。
「『なぜそんな顔をしている』と、あいつは言った」
焚き火が小さく爆ぜた。
「命令に縛られた人間の顔だ、と」
ライラは唇を噛む。
「ヴェイン様らしい……」
「その夜、俺たちは話した。神の仕組み、世界の歪み、術式の構造。朝までずっとだ」
ゼクスの声は少しだけ揺れていた。
「そのとき初めて、泣いた。話を聞いてもらえたことが、ただ嬉しかった」
誰も言葉を挟まない。
「それから俺たちは動いた。表では神の代理人として、裏では神を止める方法を探していた」
ゼクスは火を見つめたまま続ける。
「だが最後の夜、ヴェインは俺に何も告げずに神のもとへ向かった」
「止められなかったのですね」とライラが言う。
「間に合わなかった」
短い言葉だった。
「だから俺は、魂だけでも守った。神に気づかれぬよう、水晶に封じて」
胸元を押さえる仕草。
そこにはもう何もない。
「それが千年だ」
焚き火が静かに揺れた。
しばらくして、ライラが問う。
「ヴェイン様は……最後、笑っていましたか」
ゼクスは一瞬目を閉じた。
「笑っていた」
「怖がっていましたか」
「怖いと言いながら、笑っていた」
ライラは目を伏せた。
「……それなら、あの人らしいですね」
誰もそれ以上は語らなかった。
やがてセラが大きく伸びをする。
「眠い。寝る」
「外で寝るな」とシアが即座に返す。
「優しさがないな」
「事実だ」
他愛ないやり取りが、空気を少しだけ軽くした。
夜が更ける。
焚き火のそばに残ったのは、僕とライラだけだった。
「明日、どう動きますか」とライラが言う。
「王国に戻ります。報告をまとめて、エリアとバルドにも」
「帝国側はシアさんが」
「ゼクスは?」
「両国で扱いを決めることになるでしょう」
ライラは小さく頷いた。
「千年分の責任、ですね」
「簡単には終わりません」
「当然です」
火が小さくなる。
沈黙のあと、ライラが続けた。
「千年間、私は探していました。最初の百年は手がかりを」
「次の百年は?」
「怒っていました。神にも、ヴェイン様にも」
火が揺れる。
「その後は?」
「魔王軍にいました。三百年ほど」
「今思えば長いですね」
「当時は短かったです」
淡々とした声だった。
「そこからまた一人で?」
「六百年ほど」
ライラは空を見上げた。
「人間は、よく死にます」
「急に重いですね」
「でも、その中で必ず何かを残していく。生きて、死んで、また生まれて」
少し間。
「途中から、羨ましくなりました」
「羨ましい?」
「切り替えられることが」
ライラは自分の手を見つめる。
「私はずっと止まっていた。ヴェイン様の時間で」
火が静かに揺れる。
「でも今は違う気がします」
「違う?」
「終わったわけではない。でも、止まってはいない」
彼女は僕を見た。
「だから一つ決めました」
「なんですか」
「しばらく、あなたの隣にいます」
迷いのない声だった。
「理由は?」
「一人は、もう十分です」
それだけだった。
「わかりました」
「いいのですか」
「むしろ、助かります」
ライラは小さく息を吐いた。
その笑みは、ほんの少しだけ軽かった。
翌朝。
帝国軍の野営地を後にする。
シアは帝都へ戻るため、別れることになった。
「報告は任せろ」
「お願いします」
「約束はしない」
「それでいいです」
シアは一瞬だけ黙る。
「……信用するな」
「それでも大丈夫です」
シアは舌打ちしたように見せて、背を向けた。
だが数歩歩いたあと振り返る。
「次は剣を教える」
「楽しみにしています」
今度は振り返らなかった。
その背中が遠ざかる。
セラが呟く。
「あいつ、意外と人間臭いな」
「そうですか」
「別れ方がな」
やがて三人になる。
セラ、ライラ、そして僕。
帝国の街道を西へ。
風は穏やかだった。
「なあアレク」
「なんですか」
「お前が村に帰るなら、俺も行く」
あまりに自然な言い方だった。
「仕事は?」
「飽きた」
「早いですね」
「今回の仕事が規格外すぎた」
セラは笑う。
「普通の依頼が物足りなくなる」
「困りますね」
「だからしばらく休む」
ライラが小さく首を傾げる。
「私は研究者になるのはどうでしょうか」
「いきなり決めたな」
「古代魔法です。千年分ありますから」
セラが苦笑する。
「ガイアスが泣くぞ」
「泣く理由がわかりません」
「まあ会えばわかる」
街道に足音が響く。
三人の歩幅は自然と揃っていた。
まだ道は続く。
だが、急ぐ必要はなかった。
戦いは終わった。
あとは、生きるだけだ。




