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メトロジェイルの歌姫  作者: 羽月楓


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【第7話】歌姫

〝ミナトは、わたしを連れ出してくれた……〟

 

 緑色のインジケーターが淡く揺れ、琥珀の頬をかすかに照らす。

 

 彼女はそっと目を閉じる。

 唇が震え、呼吸が浅くなる。 

 静まる部屋が押し潰してくる。

 何度も、何度も、声が喉の奥に引き戻される。

 

 けれど、


〝わたしに、生きる場所をくれた〟

 

 まるで音のない世界に身を溶かすように、琥珀は息をそっと吸い込んだ。


〝あなたに、生きているわたしの存在を感じて欲しい〟

  

 室内の空気が微かに振動する。

 薄絹のような声が外の世界へとゆっくりと溶け出していった。


 

『怜悧な伴よ 我が(うた)の音は

 衰微(すいび)翻し 再び辞さない――』


  

 懐かしさを織り込んだ音階に乗せて、琥珀は目を閉じたまま祈りを紡いでいく。

 

 音の波が空間を包み込んでいく中、ふとした拍子にミナトが触れてしまった放送用のオーディオミキサー。屋外スピーカーのランプが点灯してしまったことに誰も気づかない。

 

 歌は次第に壁を越え、静寂に満ちた地下神殿の奥深くへゆっくりと広がっていった。

 

 夜の底に落ちていた世界に柔らかな音が灯る。

 色彩のない地下に音色が満ちてゆく。

 人々が見上げた先に、誰もが忘れてしまっていた〝空〟が描かれていく。

 

 やがて、(うた)の最後の言葉が滲みながら消えていった時、そっと誰かが呟いた。

 

「……歌姫」

 

 琥珀がゆっくりと振り返ると、そこには驚きと笑みを浮かべた円花(まどか)、目を潤ませている一花(いちか)、そして誇らしげな表情のミナトが立っていた。

 

「な、最っこーな宝だろ!」

 

 琥珀の中で、何かが変わった気がした。

 

 声が出なくても、伝えることができる。

 言葉より先に届く自分の歌声が、誰かの心に灯をともせる。


 その僅かな肯定感が、知らぬ間に心の中にあった種の殻を破り、小さく芽吹いたのだった。

 

〝わたしは、いま、生きている〟


 *

 

 アークの奥深く。

 水脈と栽培槽の間を縫うように進んでいくと、さらに奥の広場へと通じる階段があった。

 

 〝第一立杭(たてこう)

 それはかつて洪水時に河川からの水を地下の調圧水槽へ取り込むためのものだった。


 今はコンクリートに囲まれた円形の静かな丘になっているが、見上げれば、まるで巨人の井戸のようだ。

 天井は真っ暗でどこまでも伸びていて、逆さの螺旋階段もその先は黒く霞んでいて見えない。

 

 ふかふかの培養土から立ち込める大地の匂い。

 地下神殿の冷気と土の温もりの混ざり合うその中心で、ひとり黙々と作業をしていた影がふと動きを止めた。

 

 男は耳を澄ます。

 遠くで微かに歌が流れている。

 彼は目を細め、作業着の袖で額の汗を拭った。


 男の名はヤマサン。

 肩の上で、くりくりとした目の小さなアカメカブトトカゲ――〝カブ〟が首をかしげた。

 

 くしゃくしゃの髪を手の甲で撫でつける。

 時に目を閉じ、全身で旋律を浴びながら彼は放送局の方へと歩きだした。

 

「ミナトやないかい、えっらい久しぶりやなあ!」

 

 朗らかに笑う声にミナトが気付き、外へ出る。

 

「……あいかわらず濃いな、ヤマサン」

「さっき聴こえたで。女神のアカペラ。あれ、ほんまもんか?」

 

 ミナトは、ニカッと琥珀の方を示した。

 琥珀が緊張しながらもガジュ丸に挨拶を託そうとした、その時だった。


 ヤマサンの背中を勢いよく駆け上がり飛び出したカブが、爪で食らいつくようにガジュ丸の機体(からだ)に着地した。


 「きゃっ」と小さく声を漏らした琥珀はとっさにガジュ丸ごとカブを放り投げる。

 

 それを見て笑いが込み上げるミナト。ガジュ丸はホバリングが間に合わず水田の端へと転がって行ってしまった。

 

『セルフ洗浄モード、起動』

 

 そう言ってガジュ丸は、くるくると格子状のボディを回転させ、皆の前で泥しぶきを盛大に撒き散らした。

 

「芸達者やな!」

 

 琥珀の魂の響きに導かれたのはヤマサンだけではなかった。

 気付けば、薄暗い通路の奥からポツリポツリと足音が近づき、数人の人影が集まっていた。

 

「心に沁みたのう。胸の中のクモの巣が吹き飛んだようじゃ」 

「歌なんて久しぶりに聴いたよ! 若い頃によくバンド観に行ってたの思い出すなあ」

 

「自然に涙がでたよ……」

「そう? この子は泣き止んだわ」

 

 人々が想いを乗せた言葉を交わす。琥珀の歌声は人々の失われた世界の記憶を呼び覚まし、錆び付いた希望の鐘を震わす響きとなっていた。

 

 琥珀は抱かれた幼子に歩み寄る。貝殻ほどの小さな手が差し出され、琥珀の指をそっと包む。

 

 ――――小さな指がぎゅっと握り返してくる。頼りない透き通るような指先は、それでも力強く生を主張している。


 この子は〝生きる理由〟など考えて生きている訳ではない。ただ、誰かに生きて欲しいと願われているから生きているんだ。


 〝誰かに想われること〟も生きる理由になるのかもしれない。ならば、自分もそうだったのだろうか。


 例えば、わたしも父にとっての〝生きる意味〟だった?

 「お父様……」、もう何年も会っていない。


 お父様がすでに死んでいると知ったなら、わたしは泣けるのだろうか。

 

 

 琥珀の中で、想いが浮かんでは消える。冷めた感情が目の前を通りすぎていく。

 握られた幼い指の温もりだけが、妄想に吹き飛ばされそうな彼女の現実を繋ぎ止めていた。

  

〝ウゥゥゥーーーーーーーーーーッ〟  


 突然、地下神殿に響き渡るサイレン。

 非常灯の点滅。

 同時に、放送局の通信機から低音を削いだスピーカー音声が呼び掛けてきた。

 

「こちらソラ! 一花(いちか)、そこにいるか! 〝目〟が急旋回してメトロ北東部に向かってるとの情報だ! 30分後だ!」

 

「了解!」

 手慣れた手付きで素早くオーディオミキサーのミュート、ツマミを確認する一花(いちか)

 隣に駆け寄り、フェーダーの調整をしながらヘッドマイクを装着する円花(まどか)

 

 そしてすぐに放送が始まる。

 

「アークおよびその近郊の皆さん、30分後に〝目〟が接近します。場所は旧、押上駅・錦糸町及び浅草方面。ハンターの皆さんは準備を急いでください。繰り返します――」


 目を輝かせたミナトが呟く。

 

「ヤマサン、ちょっと行ってくるよ! コハクを頼んだ!」




 そう言い残し、彼はひとり駆け出した。

 引き留める理由が思い付かなかった。それでも琥珀の視線は、彼の後ろ姿を追い続けた。


 通気口の轟音はなおも遠く吠えていた。

 

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