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メトロジェイルの歌姫  作者: 羽月楓


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【第2話】終末の廃墟美

 レギーナの腕には〝ペンデュラム〟と呼ばれる装具が装備されていた。

 この世界では、ハンターたちは主にそれを移動の要として使っている。


 鉤爪を鉄骨に投げ掛け、ワイヤーに身を預ける。そして重力の概念を裏切るように、()()()()()で反転世界を翔け巡る。

 

 その軌跡は美しい弧を描き、摩天楼の谷間を縦横無尽に飛び交った。まるで、世界の終わりを飾るサーカスの空中ブランコのように。

 

 やがて二人は、逆さに吊るされた東京タワーのふもとへ辿り着く。


 赤錆に覆われた鉄骨は凍結した霜を纏い、そこかしこにつららが伸びていた。

 タワーは下へ下へと頭を伸ばし、先端は霞んでよく見えない。


 レギーナは慣れたペンデュラム捌きで、複雑に絡み合う鋼鉄の網をするすると抜けて降りていった。

 

「ずっと、あのシェルターに居たのか?」

 

(シェルターの事を知ってる……! やっぱり、この人がわたしを助けてくれたんだ。何か言わなきゃ……でも……)

 

 しかし胸の奥が詰まり、またも言葉が出ない。 

 ――数年間忘れていた症状。自然に治っているはずもなかった。

 

 琥珀の心の中には、幼い頃に浴びせられた父の怒声が焼き印のように残っていた。

 

 〝お前は喋らずにやることをやれ〟

 〝笑う暇があったら勉強をしろ〟

 

 最初はただ、怖かった。

 声を出すたびに叱責が飛んでくるのではないかと怯えた。

 

 誰かに話しかけられるたび、返そうとする言葉が喉の奥で石のように重く沈み、やがて声を発すること自体が苦痛になっていった。

 

 学校でも同じだった。

 授業中、答えを知っていても手を挙げられない。

 友人が遊びに誘ってくれても言葉が詰まって、いつも独りぼっち。


 笑いたい時に、喉が固まって息しか漏らせなかった事もあった。「あのこ、無表情よね」「琥珀は冷たい」と、陰で囁かれる声が耳を刺した。

 

 けれど唯一、心を許せる存在、

 ――AI執事〝ガジュ丸〟。

 

 母の死後、彼との会話にだけは安心して応じることができていた。

 

 声を出しても責められない。笑っても拒まれない。

 その小さなひと時だけが、琥珀にとって〝普通の子ども〟でいられる時間だった。

 

 ある日、琥珀の部屋に呼ばれた医師から診断を告げられる。


「そうですね、〝場面緘黙〟といったところでしょうか。特定の状況でだけ声が出せなくなる、心の病気です」


 *


 焦点の合わない表情を覗き込み、レギーナは軽く頷いた。

 

「澄んだ瞳だ、汚れがない。嘘を知らない瞳だ……()()()()

 

 レギーナが微笑み、穏やかに続けた。

 

「……いいさ、無理に答えなくても」

 

 琥珀は喉の奥で、声にならない声を絞った。しかし、それでも言葉は出なかった。


 慣れた手つきで、逆さまの東京タワーを降りていくレギーナ。

 その中腹頃、角張った展望デッキが行き先を塞いだ。


 スッと降り立ち、凍結した表面を滑らないように縁まで歩く。そっと腰を下ろす。

 凍てついた空気が二人の肌を刺した。


 冷えた大気は余分な水分量を含まず、遠くまで濁りのない透き通るような世界を彼女たちに魅せている。絶景だ。

 

 足元には、天空から見下ろすような大海が広がっている。

 それは、遠心力によって空に落ちていった海水が、地球全体を包み込む巨大な〝水の膜〟を作ったものだった。


 水面は、無数の細やかな虹色の欠片が煌めく、巨大なステンドグラス。

 その裏側を、プリズムを放ちながら猛然とした速さで太陽が泳いでいる。

 

 その姿は、群れを外れたカージナルテトラのよう。常識を(あざけ)り嗤うほどに異様で、それでいて美しかった。


「私は時々ここに来て、この景色を味わっているんだ。誰かに見せたかったのかもな」

 

 レギーナは独り言のようにそう言うと、おもむろに琥珀を肩車にした。そして彼女はデッキ縁の柵に脚をかけ、突然〝逆さ吊り〟となった。


「きゃっ」と怯える琥珀に構わず、また独りごちる。

 

「地球の自転が速まり、今や一日は一時間足らず。地上に光が差す時間は、わずか30分ほどだ」

 

 二人の視線の先に、夕暮れの(とばり)が早くも()り始める。

 東京は廃墟を黄昏れの化粧に隠し始めた。


「こうするとね、以前と変わらない東京に見える。……でももう、使い物にならない。


 普段は傲慢な嵐が地球の表面を覆い尽くしているんだ。全て掃き散らし、たった5年でビルも、街も、何もかも風化した。

 外に出られるのは〝目〟が来た短い時間だけ。


 最初は地下鉄のあらゆる場所に、大勢が寄り集まっていたんだ。十万人……それが今じゃ千人以下さ。


 生き残ったのは、生きる理由を持った者だけ。罪人は空に棄てられ、また、愛するものを失いその絶望に堪えられなかった者も、自ら空に身を投げた」

 

 レギーナはそう言い終えると、勢いをつけて宙吊りからデッキへと戻る。我が子を抱えるようにして琥珀をそっと下ろした。

 

「人は、独りで生きていけると思うか?


 ()()()()()()()この過酷な世界では、どんな最新型のシェルターも意味を為さない。

 

 互いを信じ支え合う絆こそが、何よりも強固なシェルターになる。

 そう思わないか」

 

〝重力の反転〟、レギーナは確かにそう言った。琥珀の中であらゆる情報が錯綜し、まとまらない。

 レギーナは立ち上がり、歩きだした。

 

「今日からお前も家族だ。私が守る。

 ……生きろ。一緒に、新世界を歩もう」

 

〝家族〟

 それは琥珀にとって、懐かしく暖かみのある言葉として彼女の心に響いた。


 

 カァァァン……ッ!

 

 突然、金属音がレギーナの足元で跳ねる。

 遠くで銃煙が霞んでいる。

 レギーナは機敏に琥珀を庇うように身を潜めた。

 

「南西のビルだ!! 反逆者は抹殺しろ!! そろそろ〝目〟が終わるぞ、急げ!!」

 

 引き締まったレギーナの怒声が琥珀の脳に鮮明に焼き付く。

 そしてその声が、子供の頃に受けた父の怒声を甦らせた。


 呼吸が激しくなっていく。

 視界がじんわりと白く縁取られていく。 

 その中、再びレギーナの苛立った囁きが聴こえた。

 

「……まだ生き残りがいたとはな。チッ、皆殺しだ」


 *

 

『なぜ撃った!? 少女を巻き込めば、俺たちも女王と変わらない!』

  

『くそぉ! わかってる、でも……九千回転(サイクル)も待ったんだ。こんなチャンス、もう二度とない…………』


 暴風が再び吹き荒れた。

 

 瞼を閉じるように、終末の廃墟美はそのひとときの楽園を終わらせた。


 

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