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メトロジェイルの歌姫  作者: 羽月楓


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【第26話】財閥の使用人

 ここは旧・東中野駅のホーム。

 先ほどから震度四程度の地震が繰り返し起こっている。


 工事用の投光器がチカチカと点滅し、薄汚れたコンクリートの壁に映し出しているのは、一人取り残された老人の胡座(あぐら)姿だ。

 

 彼が用を足してからホームに戻ったときにはもう遅かった。

 

 皆、天井のレールに吊られたペンデュラムにぶら下がり、残された希望〝アーク〟を目指して去ってしまった後だった。


 後方の練馬方面からの市民もとうに通り過ぎた。おそらく、このまま待っていてももう誰もこのホームを通ることはない。


 改造されたペンデュラムの使用法は、鉤爪を天井レールに噛ませ、そこから伸びるワイヤーに吊られた巨大な釣り針状の弧に足をかける。


 巻き取りの動力で一気に加速。ターザンのようにぶら下がって、暗いトンネルを惰性で滑空していくものだ。

 

 つまり、一人用の移動装置だ。


「いってぇなあ……」

 

 ガランとしたホーム。

 老人は右腕を抱えている。

 頭の中で、客観視するもう一人の自分が語り始めた。

 

 ――――ああ、役目を終えた騎士たちも大きな拠点駅へと移っていっちまった。……残されたのは、世界の終焉と共に消えていく、俺だけだ。

 

 右腕に刻まれた深い傷が疼く。割り込もうとした子供を押し返そうとして、結果的に命を助けることになっちまった。


 その子の親には感謝されて、笑顔を返しておいたが……この傷だ。傷のせいでまともに腕に力が入らない。


 これじゃあペンデュラムに乗ったところで身体を支えることはできまい。それでもいいんだ。最後にひとつ、誰かのためになることをした。


 それだけで、すべてを償えるとは到底思わないが、終わり良ければすべて良し。こんな俺にも、最期くらいは上等な幕引きがあっていいさ。

 

 それにしても……ほんの数分前までは、どうしようもない人生だった。欲に溺れ、悪いと知りながら抗えず、自分の行動を制御することが出来なかった。

 

 仕事は転々としてきたが、最後に辿り着いたのは大富豪の邸宅。住み込みの使用人として雇われながら、金目のものを見つけては懐へ入れていた。


 おそらく主人も気づいていたのだろうが、それはあいつらにとっちゃあ取るに足らない小銭。いちいち騒ぎ立てる気にならなかったのかもしれない。


 あるいは、泳がされていたのか。もし大物を狙えば即刻警察に突き出されていたかも知れないな。

 

 ああ、こんなこともあった。

 

 深夜、邸宅を物色していた俺は、中庭の真ん中でひときわ目を引く一輪の花を見つけた。中庭は庭だけで四季を見れるように空調がなされていた。


 そこには世界の珍しい植物もコレクションされていた。中庭に入ることは固く禁じられていたが、その日は雨上りの月夜で、草にまぎれて一輪だけ咲く花が何か特別な存在感を放っていた。


 その花びらは雨粒をまとって透き通り、まるで精巧なガラス細工のような神秘的な輝きだった。俺の盗っ人としての勘が囁いた「これは高く売れる」と。


 息を潜め、誰にも気付かれぬようそっとその花を掘り取り、大事に自室へ持ち帰った。

 

 ところが翌朝、窓辺に置いていたはずの透明な花は、いつの間にか白く濁っていた。俺の罪を被るようにな。ありゃ不思議だった。


 見間違いか、夢でも見ていたかとしばらく考えていると、向かいの部屋の窓辺に立つお嬢様と目が合った。

 

「その花、私にちょうだい、ちょうだいよ」

 部屋まで来て、しつこく言う幼い声に、思わず頷いてしまった。渡すと彼女は嬉しそうに胸に抱き、「誰にも内緒ね」と囁いた。

 

 〝内緒〟……と言ってたな。

 もしかしたら俺の悪事を知っていたのか? まさかな。

 

  

 老人は右腕を抱き締めたまま、うとうとと眠りについた。

 点滅していた最後の灯りが、バチバチと闇に消えた。


 終わりは静寂に包まれていた。 


 *

 

 ゴオオオッ。

 

 アークでは、次々と市民たちがけたたましい金属音を響かせて到着している。その中には、涙を浮かべ、革命派と抱き合う者もいた。

 

 メトロジェイルの混乱は今、希望へと形を変え始めていた。


 *


「こっちだ! 早く!」

 

 旧・赤羽橋駅の構内は、地鳴りと悲鳴の坩堝(るつぼ)と化していた。

 

 我先にと押し合い()し合いの波の中、誰かが転んでも誰も見向きもせず、子供の泣き声も老人の叫びも喧騒の中へ吸い込まれてしまっている。

 

 その渦中、一人の婦人が膝を折り、崩れ落ちるように座り込んだ。

 

 腕の中には、泣き喚く幼い男の子。彼を抱き締めるその手は震え、込み上げる嗚咽を必死に堪えている。

 

「もう、いや……このまま……」

 

 声が漏れたその瞬間、彼女は群衆の中にいるひとりの女性と目が合った。

 

「カナ……カナなの? どうして……カナ!」 

 追いかけようと、ふらふらと走り出す婦人。その腕を夫が掴む。

 

「しっかりしろユメ、……カナさんは、ここにはいない」 

「今いたのよ! またいたの! ほら、早く追いかけないと……」 

「追いかけちゃだめだ! ユメ! 何度も言ってるだろ! カナさんは……カナは自ら――」

 

 言葉の続きは、轟音とともに途切れた。再び地面が大きく揺れ、周りの壁が不気味な悲鳴を上げる。

 

 ユメは、震える唇を噛みしめ、男の子を抱き寄せた。

 

「わかってる……わかってるの。カナはもう帰らない。でも、私が死のうとするたび、あの子は現れるの……〝家族っていいなあ〟って顔で訴えてくるのよ」 


〝ユメ先輩、羨ましい〟って

 

 三年前、カナは一歳になったばかりの赤子を乳母車ごと地の裂け目に呑まれた。たった一人の家族を(うしな)い、ついに自分も追いかけて逝ってしまった。


 以来、ユメの視界に度々、カナの幻が現れるようになった。

 

 喧騒の只中、ユメの虚ろな瞳の奥に、カナとの日々がゆっくりと甦る。

 

 

 ――――メトロジェイルで身ごもったカナは、子の父親の名を明かさぬまま、独りで育児に臨んでいた。


 私にも同じ頃に生まれた息子がいて、二人で寄り添いながら子育ての日々を過ごしていた。


 赤子たちを並べると、どちらがどちらか分からくなるほどそっくりねと笑い合う。カナは「双子みたいね」と目を細めていた。

 

 以前、私とカナはある財閥の使用人として住み込みで働いていた。

 

「ユメ先輩、ごめんなさい……」

「いいのよ。私が壊したことにしておくから、次は注意してね」

 

 後から入ってきたカナは何をやらせてもどこか不器用で、食器を割ったり洗濯物を落としたり、そんな失敗は日常茶飯事だった。


 まわりからは冷たい視線を浴び、時には陰湿な虐めもあったようだ。それでも彼女は泣き言ひとつ言わず、必死に笑顔を作って働いていた。


 私は放っておけなかった。

 完璧な仕事ぶりで旦那様に信頼されていた私は、よく彼女を庇った。そのせいか、カナは私を慕い、「憧れです」と照れながら言ってくれていた。

 

 カナにはひとつだけ、誰も真似のできない才能があった。それは、お嬢様との距離の近さだ。お嬢様もまた彼女の事を特別に気に入っていたようだった。

 

 ある日、お嬢様が旦那様の大切に育てていた花を無邪気に掘り起こそうとしていた事があった。


 慌てて駆け寄り後ろから抱き上げると、「ちがうの、戻すの、」とお嬢様は私の腕の中で激しく手足をバタつかせ、泥を盛大に撒き散らした。


 私が叱りつけた拍子にお嬢様は大泣きし、屋敷中がその声で震えた。使用人たちが順番にあやして回ったがその泣き声は止む気配がなかった。


 ところがカナは、そっと近づき、とんとんと優しく背中を叩いただけで涙を笑顔に変えてしまったのだ。

 

 その上、カナが不器用にも子守唄を歌い始めると、お嬢様はカナの胸元に顔を埋め、安心しきったように目を閉じた。

 

 お嬢様が手を伸ばしていた花は、〝山荷葉(サンカヨウ)〟別名を硝子花という。


 普段は小さな白い花だが、雨に濡れると花びらを透明に透き通らせ、ガラス細工のような姿に変わるとても珍しい花だった。


 脆くも健気で美しいその佇まいはまるで、涙を堪えながらも微笑もうと在る、カナのように思えた。


 * 


 婦人の唇から、ふいに唄が零れた。

 それは、カナがよく口ずさんでいた唄。彼女の視界の端には、カナの面影が見えていた。

 

 幻覚だと知りながらも、ユメはその旋律に合わせて歌った。


 すると、その声はか細く震えてはいたが、騒音を裂いてまっすぐに、泣き叫ぶ男の子へ届いた。


 男の子はグッと声を詰まらせ、ゆっくりと婦人の胸に顔を埋める。そして、男の子はいつの間にか泣き止んでいた。

 

「……ありがとう。私にも、出来たよ、カナ」

 

 幻の中で、カナは微笑んでいた。

 その顔には、もう羨望も嫉妬もなかった。

 

 ――私の方こそ、羨ましかったのよ。

 婦人が気づいた瞬間、カナの姿は音もなく溶け、群衆のざわめきの向こうに消えていった。

  

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ…………


 大きな地震が再びホームを揺さぶった。四方八方から悲鳴が上がる。


 非常灯が回る中、劫火の騎士たちが無言で走り抜けていった。その姿はもはや恐怖の象徴ではなく、頼れる者となって群衆を導いていた。


 *


「五反田方面、これで最後だ!」

 

 アークには、各方面からの最後と思われる市民たちが、鉄の悲鳴と共に滑り込んできている。人数の点呼や安否確認を数十名の劫火の騎士たちが行っていた。

 

 駆け込む人々の波を、円花(まどか)一花(いちか)がじっと見つめていた。ソラもミナトも、コハクもまだ戻らない。

 

 世界が傾いていく。足元の地が斜めになり、姉妹の身体が地を滑り始めた。さらには、遠心力が重力に相殺されていく。


 やがてアーク内の人々の身体が浮き上がり始め、悲鳴が渦を巻いた。

 

「もう限界だ! 門を閉める!」

「……待って! まだ……!」

 円花(まどか)の声は鉄門の咆哮に呑まれ、誰にも届かない。

 

 重厚な鉄門は最後の使命を果たすため、無情な終焉の音を立てて閉じていった。


 

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