【第22話】偽りの家族
「……うるさいな」
何度も鳴り響く、頭の中の着信音。
レギーナはこめかみに中指を添え、軽く二度、短いリズムを刻む。通信は切られた。
その機械的な表情と仕草は、メトロジェイル市民たちから〝AIチップを内臓した人造人間〟と噂されたこともあった。
「確保されていた8名の黒衣集団の廃棄処分が完了したのだろう」
顎を少し上げ、飄々とした顔で彼女は琥珀を見下した。
琥珀の瞳が振れる。
〝廃棄〟
その冷たい二文字が琥珀の胸を裂いてくる。
ここは最下層、トップデッキ。
琥珀はレギーナに連れられ、放送ブースの個室へと戻ってきていた。
琥珀は窓から外を見上げた。
逆さの東京は夕焼けに染まり、ゆっくりと墜ちていきそうな感覚になる。
巨大な木のように広がる赤錆の鉄骨群。その枝の中腹に、霜のスターダストに包まれた展望デッキが霞んでいる。
「私はね、この場所が好きなんだ」
レギーナがふと口を開く。
「東京を一望できる、静かで落ち着く場所。〝目〟に合わせてよく来ていた。……お前と最初に会った時も、そうだったな」
その声音に感傷はなかった。
ただ淡々と事実をなぞるように響く、乾いた調子だ。
「名はコハク、と言ったか。私は反逆者をすぐに棄てるのが常だが、お前だけは違った」
琥珀はレギーナとの初対面を思い出す。確かに穏やかな印象だった。
レギーナはゆるやかに振り返り、瞳を細めた。深海を模したその眼差しの奥で、何かを回想しているようだ。
「少し話をしよう。お前を見ていると、昔のことを思い出すのだ」
レギーナは胸元から銀のペンダントを取り出し、そっと開く。
そこに写っていたのは、琥珀によく似た4、5歳の少女だ。
無邪気な笑顔で、レギーナの首に跨がり、空へ向かって手を伸ばしている。
「娘だ。核の炎に焼かれて死んだ」
言葉は静かに落ち、風が二人を横切った。
「あの瞬間から、私は人間を憎んだ。小さな嘘と欲望が、戦争を呼び、私の世界を奪ったからだ」
琥珀は視線を上げた。
そこにあったのは、暴君ではなく、〝母親の顔〟だった。
「だが人間はそれでも飽き足らず、環境を壊し続けている。……お前は知っているか? 地球の寿命が、あとどれほど残っているか」
色を無くした眼差しは語り続ける。
「私は国家の危機管理部門にいた。2025年の夏、地球の自転がわずか数ミリ秒だが加速したと報告があった。
どんなに調べてもはっきりとした原因は私には分からなかった。
しかしある時、転機が訪れたんだ。
自転の加速について、15年も研究している男性と出会ったのだ。彼の仮説では、いずれ地球が自転をさらに加速させた場合、遠心力で海の水が浮き上がるだろうと。
そうなれば重力は傾き、人類は地上に住めなくなる、と」
レギーナの指がペンダントを握りしめる。
「彼には妻がいたが、ある時、妻は病気で命を落としてしまった。失われたものを埋め合わせるように私たちは寄り添い、愛し、やがて子を授かった。
その四年後、地球の自転が徐々に加速していく兆しが見られた。すぐに私と彼は、〝選ばれた人類〟を新世界へ連れて行く計画を立てた。
だが次の年、戦争は容赦なく奪っていったのだ。彼も、この子さえも……一瞬で」
琥珀の視界が滲む。
レギーナの声には人間らしい痛みが宿っていた。
「……すまない。少し話し過ぎたようだ。私はただ、あの人との約束を果たしたいのだ。
選ばれし者だけを新世界へと導く。……不要な癌は、切り捨てねばならない」
冷酷な言葉が放たれる。だが琥珀の胸には、熱い葛藤が渦を巻いていた。
この人もまた、奪われた側なのだ、と。
「でも、あなたは……神じゃ……ない」
琥珀は懸命に言葉を紡ぐ。
「罪人……だろうと……命を奪っては……いけない」
その言葉に、無言で一瞥するレギーナ。
「見せてやろう。これが私の理想の世界だ」
彼女は淡々と立ち上がり、モニターのスイッチに指をかけた。
暗転していた幾つかの画面が次々と点き、劫火の騎士の視点カメラからメトロジェイルの街が映し出される。
――だが。
映ったのは、幸福でも秩序でもなかった。
『女王は犯罪者だ!』
怒声がスピーカーを割り、群衆の咆哮が画面を埋め尽くす。
思いもよらないその映像に、レギーナは息を呑み狼狽えた。
「な……なんだこれは!」
本来そこには、嘘のない〝家族〟たちの安らぎと幸福に満ちた日常の姿が映っているはずだった。
革命派を先頭に反旗を翻す市民たち。群衆の声が合わさる。堪えていたものが、ひとつの怒涛となってスクリーンを埋め尽くしている。
切り替える。さらに切り替える。だが、どの映像にも理想の〝家族〟は存在しなかった。
あるのは、怒り。
あるのは、裏切り。
あるのは――嘘をついていた偽りの家族。
駅の出入り口まで追いやられた劫火の騎士たちは、女王の命令を待ったまま動かない。
琥珀の歌を火種として、革命派と心をひとつに束ねた〝光〟。その瞳の輝きは、レギーナの想い描いていた希望とは全く違うものだった。
誰もいない。
何も残らない。
〝女王〟レギーナは、市民たちの無数の光に苛まれながら、
果てしない孤独の淵へと、墜ちていった。




