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メトロジェイルの歌姫  作者: 羽月楓


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【第11話】デイジーの咲く丘

 人工灯の柔らかな光が、琥珀のまぶたの中へと滲み込んでいく。

 

『おはよー、()()()()。新しいアトリエへようこそー! ガガガ……』

 

「ガジュ、あなたわざと壊れたふりしてない?」

 

 またも知らない部屋だ。けれど不思議と胸の中に不安はなかった。


 旅行の朝を迎えたような軽い気分で、琥珀は眠たげな目を擦りながら、ここがヤマサンに紹介されたレンタルルームだったことを思い出す。

 

 前に住んでいたのは女性だろうか。可愛らしい北欧のタペストリーが壁の真ん中に飾られたまま残っている。


 置いていったのか、もしくはもうすでに命を落としているのか。

 

 ヤマサンは〝空きルーム〟だと言っていた。

 この部屋は誰かの痕跡を残したまま、静かに主を忘れようとしているのかもしれない。

 

 ドアの向こうから陽気なノック音が響く。

「おはようさん。朝メシ前のひと仕事やでえ」と、外にはトカゲのカブを肩に乗せた笑顔のヤマサンが立っていた。

 

 二人はアークの奥、第一立杭(たてこう)に土を盛った、緩やかな傾斜場へと向かった。

 

 空はないはずなのに、人工灯が作る朝の色が一帯を包み、どこからともなく湿った土の匂いが漂っている。外からは見えにくい、秘密の丘といった感じだ。

 

『ガんばれ、コハク~』

 

 ガジュ丸の応援に、琥珀は意欲満々の表情で手袋を掲げて応える。

 

 ヤマサンに(なら)って小さな〝花の()()()〟をひとつひとつ、盛土へと植え込んでいった。


 指先が土に沈む感触は、不思議なほど心を落ち着かせる。小さな背を曲げながらも初めての感覚に愉しさを覚え、琥珀は黙々と作業をこなしていった。

 

 白い蕾が列をなす。それらを見た琥珀はある使用人の事を思い出していた。よく遊んでくれていた〝庭師のフージィ〟。


 ある日、彼の離れ部屋に一輪だけ小さな白い花が置かれていた。幼い琥珀が駄々を()ねて欲しがっていると、フージィは優しい顔で「お嬢様によくお似合いです」と、その花を差しだした。


 たった一輪だけ置かれていた花、しかしそれは()()()()()()()()()()()()だった。


 琥珀にとって彼は、優しい〝お爺ちゃん〟のような存在。

 彼のためにも、琥珀はその花をそっとガラス張りの中庭に植え直した事があった。

 

「〝デイジー〟。花言葉はな、無邪気、平和、そして希望や」

 

 琥珀が振り返ると、ヤマサンが一束の花を持っていた。片膝を立て、花を差し出す仕草。まるでプロポーズのようで、琥珀は思わずくすっと笑ってしまう。

 

「……ハハ、ちょっと夢見させてや」

 

 照れ隠しのように、「練習や、練習、」とヤマサンが笑い返す。


『貰っていいの?』

  

「疲れたやろ、ありがとさんやで。ええで、お礼や。こいつら、もう咲いてもうとるからな、作戦にはちと早すぎてん……せやけどコハちゃんに似合う思うてな」

 

 花束は、人工灯の下ですでに咲き切ったデイジーが束ねられている。白い花びらが冷たい風を受けて微かに揺れていた。

  

 しばらくすると、遠くから地響きのような重低音を鳴らしてミナトが戻ってきた。サイドカー付きのバイクだ。どうやら彼も一仕事終えたらしい。


 琥珀とヤマサンはちょうど朝食の片づけをしているところだった。

 朝食といっても豪勢なものではない。摘みたての野菜とキノコを混ぜただけの簡素なサラダだ。


 質素だが舌に残る瑞々しさと土の香りは、何年も食べ続けた缶詰の味気なさを軽く吹き飛ばすほどのご馳走だった。

 

「朝飯、食べたとこやで。ミナトは食ったんか?」

 ヤマサンが腹をポンと叩いて見せた。

 

 カブが三人の脚の回りを駆けまわると琥珀が悲鳴をあげて跳び上がる。

 和やかな笑いが、食後のデザート代わりに彼らの心を充たした。


 三人は旧・東京駅の地下街――市場ヤエチカを目指す。

 

 反転したトンネルをバイクで進む途中、シュウリヤが作業をしているのが見えた。長らく使われていなかった電車の車体を切断し、金属片を脇へと寄せている。


 トンネルの内部は以前よりずっと整理され、バイクが通る道幅も確保されている。湿った空気の中を走るエンジン音が、元気よく乾いた低音を返していた。

 

 やがて市場に入ると、空気が一変した。

 

 香辛料の刺激的な匂いと、揚げ物の油の甘い香りが入り混じり、遠くでは誰かの呼び声や、取引の駆け引き合戦が響く。


 薄暗い天井には裸電球が吊るされ、光が人々の顔を(まだら)に照らしていた。

 

 そんな喧騒の中、ヤマサンがふと足を止めた。

 視線の先には、黄ばんだ鍵盤の古いアップライトピアノがぽつんと置かれている。

 

 周囲の雑多な食材や工具の山の中、その存在は場違いなほど傲慢で異様なオーラを放っていた。

 

「……どうやって持ってきたんや、こんなもん」

 

 ヤマサンが思わず呟く。


 ここ市場ヤエチカは、ハンターたちが命懸けで拾い集めた成果を展示する場所でもあった。


 だが目の前に据えられている、鉄と木で出来た黒い塊は、人ひとりでは到底動かせない重量の代物。反転した街からよくぞここまで持ち帰ったものだと感嘆せずにはいられない。

 

 立ち止まる三人に、店主であろう老人が話しかけてきた。

 

「元は駅に常設されたストリートピアノさ。逆さまに吹っ飛んでブッ壊れたやつをアッシが数年かけて直したのだよ……それなりのもんと交換してくれよ、ハッハハ」

 

 ヤマサンが近づき鍵盤蓋を開ける。そっと触れると、かすれた音が周りの騒がしさに紛れて消えていった。

 

 もう一度、鍵盤を強く押す。

 今度は古びた弦とは思えない程の澄んだ音を響かせる。その一音だけで近くの商人や客たちは動きを止め耳を傾けた。

 

「試奏させてや」

 大男にしてはしなやかで長い指が、軽やかに鍵盤の上を滑り始めた。


 ところどころサスティーンの効かない鈍い音があるが、転調しながら上手く躱せるKEYを探っていく。


 幼少の頃から習っていたジャズピアノ。ヤマサンのアドリブ手癖が鍵盤の上を踊りはしゃいだ。

 一節が終わると同時に、あちこちから控えめな拍手が沸く。彼は腕を組み、満足そうに頷いた。


 目を丸くして唖然とする琥珀。

「やっぱすげえな!」と身震いするミナト。それを横目にヤマサンが立ち上がる。

 

「ええなあ、じいちゃん! これロレックスと交換してや!」

 

 老人はピアノに近づき、しばらくピアノに手を置いた。

  

「いい腕してるな。このピアノもやっと息を吹き返したようだ。 

 あんたヤオヤだろ、見たことある顔だ。

 どうかな、野菜を時々届けてくれよ、ああ、うん、それでどうだ?」

 

「交渉成立や! 何年でも届けたるで!」

 

「ハッハハ。もう、そんなに長く生きる気もない……アッシの生き甲斐はこのピアノを直すことだった。 

 来る日も来る日も。思い返せば、打ち込めることがあるだけで荒んだ人生が豊かになっていたな。心の傷を包んでくれていたのだよ」

 

(おじいさんにとっての、生き甲斐……)


「直すピアノが無くなったって、じいさんの人生はそれだけじゃなかったろ? さあ、次はじいさんが自分の物語を語る番じゃねえか?」

 ミナトが口を開いた。

 

「いいこと言うなあボウズ。……そうだな、語り屋でも始めるか、ハッハハ」

  

 穏やかなひと時。市場のざわめきがふと遠のいたように感じられた。


 裸電球の光が、ピアノの黒い木肌と老人の横顔を優しく照らしていた。



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