ジュウハッサイ
本作品は未成年の喫煙を推奨していません
八月も半ば、台風一過の雨上がり、蝉時雨の真っ只中で健忘症を患った紫陽花が真夏だというのに咲き誇っている。
どうやらこの国の気候は最近すっかりおかしくなってしまったらしい。四季は夏と冬、それと猛暑か極寒なのに花粉が飛ぶ時期の三つのみとなり、梅雨は熱帯かどこかに消えてしまった。
そのせいで彼らも何時に花を開くタイミングを逃してしまったのだろう。もしくは、自らが紫陽花であることを今の今まで忘れていたのかもしれないが。
……まぁ理由が何にせよ、その結果として現れたのが今目の前に映る、八月の台風一過に花開いた紫陽花達であった。
「はぁ……。バイトしんど」
路上も路上、されど人など滅多に通らない路地の奥。草に侵食された空き家の前で、紫煙を燻らせながら彼女は一人呟いた。
彼女の名前は小畑 奏、今年で19になる大学生である。
灰を落とし、臓腑にニコチンとタールを落とし、遂にはフィルターのみになったキャメルを周囲に誰もいないことを確認しつつ排水溝に落とし、少し彼女は気を落とす。
「なんで私こんなことしてんだろうな。本当に人として終わってる」
煙草を吸う、というのは幼い日の彼女からしてみたら"大人"な行為だった。
二十歳まで、成人になるまで吸うことが法で許されていないなんてタバコとはどのような素晴らしいものなのだろう。
喫煙者の兄は「あんなもん吸わない方がいいよ」などと奏に言い聞かせたが、それでも吸い続けている兄の姿を見て、彼女は心の底に憧れのようなものを抱いていた。大人になったら吸おう、むしろタバコを吸わないと私は大人になれないのだ。と、彼女はその行為自体が一種のイニシエーションであるとすら思っていた。
だが、彼女が成人になったのは十八の受験を間近に控えたそんな時だった。法律が変わったからである。
────どうしよう。私成人になったのにまだ大人になれない。
当時、高校三年生になっていた彼女の胸中を占めていたのはそんな思いだった。
海外なら成人したら直ぐに吸えるのになんで日本では二十歳まで吸えないんだろう。何回も何回も、寝る前にずっと考えた。
幸いにして受験には受かって進学が決まり、トントン拍子で大学生になって、そんな折に魔が差した。
──── 私は成人なのだし、もうこっそり吸ってしまってもいいんじゃないか?
そう思ってからの奏の行動は早かった。
スマートフォンのシークレットタブで"初心者にオススメのタバコ二十選"のようなサイトを幾つか開き、身分証明書の提示を求められた時に「忘れました」と言うために千円札のみを片手に握りしめて、できるだけ大人っぽい私服を選んで身に纏い、早足で、オドオドとしながらコンビニへと向かう。
必死にレジの奥に先程調べたタバコの銘柄、キャメルのクラフト6BOXが無いかを探し、見つけ、おっかなびっくりになりながら番号を店員に伝えて会計をした。
年齢の確認はされなかった。
火をつけるためのライターはキッチンにあることを知っていたので買わなかった。両親はタバコを吸わないが蝋燭に火を灯す時なんかに使っているのを知っていたからだ。
初めての喫煙は近所の駐車場でやることにした。そこには吸殻を捨てるスペースがあって、燃えるようなものも周りにはなくて、危なくなさそうだったからだった。
そうして行われた彼女の初めての喫煙だったが……、それはあまり良い経験ではなかった。タバコの先に火はつかないし、噎せるし、どのタイミングまで吸えるのかも分からない。
煙自体も口の中でふかしているだけとても吸っているとは言えない状態だった。
とてもその経験で大人になれた気はしなかった。
ならば、と次は吸い方を調べてその通りにやってみたが、そうしたら頭痛と吐き気が酷いことになった。
どうやらそれは俗に言うヤニクラというものらしくて、慣れたらそんなものは感じなるらしくて、そうしたら大人になれるのかななんて思っていたが別にそんなことは無かった。
十九歳、大学二年生になった今はもう煙草を吸ってもあまり気持ち悪くはならない。チェーンスモークをしてようやく頭痛と気持ち悪さが来るようになった。でも私はまだ子供のままだ。
いつになったら私は大人になれるのだろう。咲き誇る紫陽花達を見て、キャメルをもう一本取り出しながら私はそう思った。




