イカリング
十二月後半のある日、私は友人と二人で海鮮居酒屋に来ていた。なんでも「話がある」とのこと。
忘年会シーズンということもあり店内は混みあっていて、人々の熱気と少し抑え目のエアコンが息苦しい空間を作り出していた。この暑さと周囲の黒いスーツを着た人間、そしてそれらが持つ黄金色の液体を見ていると、何となく蜂球が連想される。
そうすると私はそれに囲まれて殺される雀蜂だろうか。働き蜂というのは全てメスであると云う。ならばそうやって死ぬのも悪くないのかもしれない。そう思いそのような事を口に出すと友人に「もう酒はやめておけ」と言われ、私が持っていた蜂蜜梅酒は取り上げられてしまった。
なんと非道いことを彼はするのだろう。仕方ないので裂き烏賊で口の寂しさを誤魔化しながら友人との話を再開するとした。
「あー、えーっと、で? 何の話だったか」
「まだ何も話してねぇよ、もうそんなに酔ってるのか? 水飲め、ほら」
そう言って友人は先程自分用にと頼んでいた、まだ口をつけていない水を左手で渡してくれた。その手の薬指で指輪が煌めく。
「はぁ、見せつけやがってよ」
「だったらお前も早く良い人を見つければいいじゃないか」
「それができたら苦労しないんだよ」
友人は去年結婚した。
相手は彼と同じサークルだった「マナ」という女だ。
そして友人と私もまた同じサークルだったので勿論私と彼女の間にも交流がある。……彼女はとても、可愛らしい外見をした女だった。
友人は大学時代からモテた。顔がそれなりに整っていたというのもあったが実直な人柄であったことが好まれていたらしい。在学中は私もそのお零れにあやかろうと思っていたのだが、いかんせん、私には顔も人柄も無かった。お零れというのはある程度の器が無ければ受け止めることができないものなのだな、と当時の私は思ったものだ。
しかしながらそんな中でも私の青春が全て無色透明だったという訳では無い。一度だけ春が来たことがあった。
大学二年生の頃、私は一人のサークルの後輩の女と付き合うことになった。それが「マナ」だった。
その年代のカップルには珍しく身体を重ねることなどは無かったがそれなりに親密な関係は築けていたと思う。それなり止まりだったせいで別れてしまったが。
友人は私と彼女が付き合っていたことを知らない。
当時の私は気恥ずかしくて彼にそのことを言うことが出来なかったし、彼女も友人にわざわざ言うこともないだろう。だからこれは私が友人に隠し通しながら墓まで持っていかなければならない、二つある秘密の内の一つなのである。
だから私自身、友人と飲む時は失言を抑えるために少し酒を控えることにしている。本来なら私は蜂蜜梅酒なんかで酔わないのだ。あくまで酔ったフリをしているのである。だからもう一杯飲んでも良いだろう。
どうにか頼み込んで友人に蜂蜜梅酒を返してもらい、秘密を隠しながらの歓談を再開することにしよう。
まったく、友人が離婚でもすれば秘密を隠し通す必要も無くなって楽しく話せるのだが。
冗談でも絶対に言うべきことでは無い思い付きを心の中に留め、本題を促す。
「それで、結局話ってなんなんだ? 」
「実はな、子供が産まれるんだ」
────その瞬間、私は息を飲んだ。フル稼働中の肝が冷え、頭が冷え、酔いが冷める感覚がした。
「ははっ、ビックリしたか」
友人は笑いながらそう言った。動揺を気取られてはいけない。声の震えを落ち着かせろ、好意的に解釈してる内に誤魔化せ。
「あ、あぁ、驚いたよ。子供はもう少し金を貯めるまで我慢するんじゃなかったのか?」
「あーいや、我慢できなくてさ」
友人がそう、下品に笑う。そういや酒が入るとそういうことも平然と言うやつだったか。
「それで、今何ヶ月なんだ?」
「二ヶ月らしい。どっちの性別なのか今からワクワクしているよ」
「そうか、良かったな」
平然とした態度こそ取っているが声が震えていない自信が無い。
心臓の拍動がうるさい。酔いでタダでさえ痛む頭が更に痛む。
友人が何かを言っているが朦朧として上手く聞き取れない。聞き取ろうとできない。
二つある秘密の二つ目が白日の元に晒されるのかもしれない、そう思い、私は死にたくなった。
……私はつい二ヶ月前、マナと一度だけ身体を重ねたのである。
彼女は友人が『我慢』をしていたせいで寂しくなったらしかったのだ。絶対にバレない、そう言われていたし、しっかりと避妊も行った。単純に時期が重なっただけだ、そう自分を無理やり納得させる。だがしかし、酔いの中で残る理性はガンガンと頭の中で煩く警鐘を鳴らし続けている。気持ち悪い、気持ち悪い。
堪らず私はトイレで吐いてしまった。 酷く烏賊が臭った。そうして友人に「少し飲みすぎたので帰ってもいいか?」と言い、返事も聞かずに店の外に出る。友人は心から心配してくれていた表情だった。
「産まれたらまた写真付きで連絡するよ」そう言ってタクシー代まで彼は出してくれた。その優しさと薬指に見えた指輪が目に痛い。
そうして何とかして家に帰った私は風呂にも入らずにベットに倒れ伏した。
何度も洗ったはずのシーツからは、しないはずの女の匂いがした。
どうしようもなくなって、私は毛布に包まり微睡みを待つことにする。
少し冷静さを取り戻してますます眠れなくなる。
七ヶ月後、私はどうしているのだろうか。
落ちていく感覚がして、私は飛び起きた。




