10月5日PM Side早見陽菜1
首都高速を抜け、関越自動車道へ入った頃には、
東京の高層ビル群はすっかり後方へ消えていた。
カーラジオから流れる交通情報を聞き流しながら、陽菜はハンドルを握る。
平日の昼間ということもあり、道路は比較的空いていた。
天気も良い。
遠出にはちょうどいい日だった。
これが仕事でなくレジャーだったら、さぞ気分も浮ついただろう。
「父親と連絡が取れない、か……」
休憩で寄ったサービスエリアで、受け取った資料取り出す。
神林恒一。
72歳、一人暮らし。
最後の連絡は9月30日。
それ以降は音信不通。
事件性があるとは思えない。
少なくとも神林美咲はそう考えていた。
陽菜自身も、現時点では同じ意見だった。
携帯電話を家に置いたまま外出した。
近所の知人宅に泊まった。
入院している。
考えられる可能性はいくらでもある。
だから今回の依頼は、本来であれば簡単な安否確認で終わるはずだ。
「まぁ、そういう依頼が普通なんだけどね」
探偵と聞くと殺人事件や難事件を想像する人は多い。
だが現実は違う。
浮気調査や身辺調査、失踪人の所在確認、企業調査。
その程度が大半だ。
もっとも、黒峰の周りでは、なぜか普通では済まないことが多かったが。
陽菜は小さくため息をつく。
「玲司さんに会ってなかったら、今頃どうしてたんだろ」
何となく呟いてみる。
2年前。
まだ大学1年生だった頃のことだ。
福島から上京し、大学生活にもようやく慣れてきた頃。
陽菜はある事件に巻き込まれた。
詳しいことは思い出したくもない。
あの日のことを考えると今でも胃が重くなる。
ただ一つだけ覚えている。
自分ではどうにもできなかったこと。
そして、どこからともなく現れた男がいたこと。
その男は当時も今と同じだった。
寝癖だらけで、適当で、やる気がなさそうで。
それなのに周囲の誰より状況を理解していた。
『その見解は間違ってる』
初対面でそう言った男は、本当に違う真相を見つけてしまった。
警察でもなく。
被害者でもなく。
関係者ですらないのに。
ただ現場を眺めていただけで誰も見ていなかったものに気付いた。
それが黒峰玲司だった。
気付けば黒峰の探偵事務所へ通うようになり、アルバイトのようなことを手伝い。
最初はお礼のつもりだった。
しかし、気づくと大学へ行く時間より黒峰といる時間の方が長くなった。
当然、両親は怒った。
何度も電話で言い争いになった。
最終的には大学を辞めた。
今でも正しい選択だったのかは分からない。
それでも、後悔はしていなかった。
少なくとも、自分で選んだ道だったから。
長野県へ入り、陽菜は松代サービスエリアへ車を止めた。
目的地はもうすぐだ。
「ふぅ……」
長時間の運転で思ったより疲れている。
肩の緊張をほぐすため、温かい飲み物を買い、ベンチへ腰を下ろした。
少し小高い場所から、町を見下ろす形になっていた。
遠くには山並みが見える。
東京とは空気が違う。
少し冷たい風が吹いていた。
その時だった。
ゴゴゴゴ……。
低い音が足元から伝わる。
「え?」
小さな振動。
次の瞬間。
ベンチがわずかに揺れた。
置いていた缶がかすかに音を立てる。
地震だった。
数秒で収まる程度の小さな揺れ。
しかしサービスエリアの従業員たちは慣れているのか、誰も大きく騒がない。
地震の影響からか観光客らしいのは陽菜だけで、彼女だけが少し身構えていた。
「これがニュースで言ってたやつか」
思わずあたりを見渡す。
町の中に、他の山々と独立してたたずむ背の低い山があった。
◇◇◇
17時10分。
目的地へ到着した頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
古い住宅地だった。
広い庭。
手入れされた植木。
昔ながらの一戸建て。
先ほどサービスエリアで見た、町の中にポツンとある山の麓の家。
「神林さんの家……ここかな」
無断で申し訳ないと思いつつも、敷地内に車を停めて降りる。
静かだった。
地震報道で騒がれている土地とは思えないほどだ。
インターホンを押す。
音はするが返事はない。
もう一度押す。
やはり反応はない。
「神林さーん!」
門の前から声をかける。
返事はないし玄関も暗い。
カーテンの隙間から見える室内にも明かりはなかった。
陽菜は腕時計を見る。
辺りは暗く、そろそろ明かりを付ける時間だ。
違和感があった。
とはいえ、依頼内容から考えれば想定内でもある。
「失礼します」
玄関を開けようとすると鍵がかかっていた、外出中だろうか。
預かった鍵を取り出す。
少しだけ躊躇した。
本来なら勝手に入るべきではない。
だが依頼主から許可は得ている。
それに、もし本当に倒れていたら。
そう思い、鍵を差し込んだ。
違和感なく鍵が回り、開いた。
中は静まり返って、気配は無いように感じた。
「神林さん?」
靴を脱いで上がる。
廊下、居間、台所。
やはり、どこも人の気配がない。
冷蔵庫のモーター音だけが聞こえる。
妙に静かだった。
「留守、なのかな……」
そう呟きながら奥へ進む。
そして。
寝室らしき部屋の前で立ち止まった。
「……え?」
何かがおかしい。
襖が半開きになっている。
中が見える。
布団が床へ落ちていた。
引き出しが開いている。
家具が倒れている。
まるで誰かが暴れた後のようだった。
陽菜の背筋を嫌なものが這い上がる。
一歩。
部屋へ近づく。
そこで見つけた。
ベッド付近の床にこびりついた黒ずんだ染みを。
「ちょ……」
心臓が跳ねた。
見間違えようがない。
血。
そうとしか思えなかった。
「な、なにこれ……」
頭が真っ白になる。
明らかに何かがあった事を理解する。
今すぐ外へ飛び出したい。
警察を呼ばなければ。
だが足が動かない。
呼吸だけが浅くなる。
後ずさろうとしたその時。
視界の端に、別の異変が映った。
「……あれ?」
部屋の奥。
裏口だろうか。
本来なら閉まっているはずの扉が大きく壊されていた。
ガラスは砕け。
ドアノブも破損している。
陽菜は震える足で近づく。
外を見る。
そこには林があった。
神林家の裏手から続く斜面。
そして、その先。
夕闇に沈み始めた山の黒い稜線が見えていた。
まるで家のすぐ裏から山へ続いているようだった。
冷たいものが背中を伝う。
理由は分からない。
何かがおかしい。
陽菜は震える手でスマートフォンを取り出した。
迷う理由はなかった。
110番を押す。
「もしもし、警察ですか」
自分の声が少し震えているのが分かった。
「長野市松代町XXXXなんですけど……」
陽菜は振り返る。
荒らされた部屋。
床の染み。
破壊された勝手口。
その向こうに伸びる山への道。
「人が……人が襲われたかもしれません」
そう言った瞬間。
先ほどまで安否確認の依頼だったものが、別の何かへ変わった気がした。




