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10月5日AM Side早見陽菜

10月5日、午前8時過ぎ。

東京都北区。


駅前の喧騒から少し外れた場所に建つ雑居ビルの3階に

黒峰探偵事務所はある。

事務所の朝は、いつも早見陽菜(はやみ ひな)の掃除からスタートする。


「よし、こんなもんかな」


掃除機の電源を切り、部屋を見回す。

昨晩まで散乱していた新聞はまとめた。

ソファに脱ぎっぱなしだった上着はハンガーへ掛けた。

机の上に放置されていた空のペットボトルも捨てた。

これでようやく人を迎えられる状態だ。

もっとも。

ここまで整えても夕方には元通りになることを陽菜は知っていた。


「あの32歳児め……」


思わず独り言が漏れる。


原因は事務所の奥にある住居スペースだ。

そこではこの事務所の所長であり、ビルのオーナーでもある

黒峰玲司(くろみね れいじ)がまだ寝ている。


時計を見れば8時12分。

社会人としてどうなのかと思うが、本人は全く気にしていない。

気にしていないどころか、


「まだ朝だろ」


などと言い出すことすらある。


「朝だよ」


陽菜は居ない相手に益体のない返事をして、コーヒーメーカーへ豆を入れた。

黒峰は生活能力が壊滅的なくせにコーヒーだけは妙にうるさい。

そのため事務所には無駄に高価な豆が常備されていた。


やがて香ばしい香りが部屋に広がる。

その頃にはテレビで流れていた朝の情報番組もニュースの時間になっていた。

『長野県長野市松代町では本日未明も地震を観測しました』

画面には避難所の映像。

疲れた表情の住民。

各所で続く地震活動。

『今月1日に発生した地震以降、揺れは断続的に続いており──』

『専門家の話によると、1965年に発生した松代群発地震と同様で──』

『一部では第二次松代群発地震と呼ばれており──』


「群発地震、かぁ」


陽菜は呟いた。

昨夜から全国ニュースでも盛んに報じられている。

報道を見る限り現地はかなり大変そうだった。


ピンポーン。


インターホンが鳴ったのはその時だった。


「はい」


モニターを見る。

スーツ姿の女性が立っていた。

30代後半くらい。

高級ブランドのバッグ。

落ち着いた化粧。


『突然申し訳ありません。相談したいことがありまして』


「ご依頼ですか?」


『はい』


陽菜は頷く。


「どうぞ、お入りください」


来客用のソファへ案内し、お茶を出す。

女性は神林美咲(かんばやし みさき)と名乗った。

差し出された名刺には都内の企業名と、「代表取締役」の文字。


(社長さんか)


あいにく、陽菜は知らない名前の会社だったため

会社の規模などは推察できなかったが

この歳で代表をしているのであれば、相当仕事ができるんだろうな、と思う。

 

「所長さんはいらっしゃいますか?」


神林が尋ねた。

 

「います……たぶん」


陽菜は答えた。

3分後。

 

「……眠い」


黒峰玲司は欠伸を噛み殺しながら事務所へ入ってきた。

髪は少し跳ねている。

シャツも適当に羽織っただけだ。

探偵というより寝起きの大学生に近い。

 

「玲司さん」


「コーヒー」


「こちらの方への挨拶が先です」


「はいはい」


子供みたいな返事をしながら黒峰は席に着いた。


神林が少し戸惑った表情になる。

その反応はもっともだ。

だが陽菜は知っている。

この男は見た目だけなら大体いつもこうだ。

 

「黒峰です」


「神林美咲と申します」


名刺交換。

黒峰は名刺を見た。

本当に数秒だけ。

それから静かに机へ戻した。

 

「昨夜は眠れませんでしたか」


コーヒーを一口すすった黒峰が唐突に言うと、神林が瞬きをした。

 

「え?」


陽菜は心の中で、

 

(始まった)


と思った。

黒峰は目についたこと、気づいたことを初対面でも構わずに指摘する癖がある。

 

「どうして分かるんですか……?」


「目の下」


黒峰が言う。

 

「寝不足を隠そうとした跡があります」


「跡?」


「コンシーラーの厚みが左右で違う」


神林が思わず目元に手をやった。


「……」


「失礼ですが、先ほど名刺を出す際にバックの中を拝見したところ、

 かなり乱雑になっていた」


黒峰は続ける。

 

「かなり急いで来られましたね」


「はい」


「寝不足も、その焦りも、今回の依頼に関係があることでしょうか」


沈黙。

数秒後。

神林が苦笑した。

 

「父と連絡が取れないんです」


そこからようやく依頼の話になった。

神林の父は長野市松代町で一人暮らしをしている。

母は4年前に他界。

一人娘である神林自身は都内で会社経営をしており、

頻繁に帰省できる状態ではない。

最後に話したのは9月30日の夜。

それ以降に連絡が取れなくなったという。

 

「あれ、松代町って昨日の夜から群発地震だって

 ニュースになっているところですよね」


陽菜が尋ねた。

 

「はい、どうも数日前から地震が続いているようで、

 あいにく仕事も忙しく昨日のニュースまで

 地元がそんな状態になっているなんて知りませんでした。」

 

「なぜ警察ではなく、うちに?」


 陽菜は気になったことを確認していく。

 神林は少し言葉を選んだ。


「ちゃんと確認も取れていないのに、いきなり警察に連絡するのが憚られて」


「それでまず、探偵に依頼しようと思ったんですね」


「はい」


神林は頷き、陽菜とのやり取りが続く。

 

「昨日の夜に地震のニュースを見てから、どうしても気になってしまって」


「なるほど」


「もちろん警察へ相談することも考えました。でも……」


そこで少し苦笑する。

 

「大げさにしたくなかったんです」


「大げさ?」


「一人暮らしの高齢者と連絡が取れないだけですから」


神林は視線を落とした。


「もしかしたら携帯電話を忘れて出かけているだけかもしれないですし」


「……」


「それなのに警察へ行って、色々事情を聞かれて、

 結果的に何もありませんでした、では申し訳ないと思って」


その言葉に嘘はなさそうだった。

陽菜にも分かる。

本当に心配しているのだ。

だが同時に、仕事を理由に父親へ十分な時間を割けなかった後ろめたさもある。

だからこそ騒ぎ立てることに躊躇いがある。

 

黒峰は最後まで黙って聞いていた。

寝起きの気怠さはもう消えている。

 

「早見」


「はい」


「おまえ、長野まで行くつもりあるか?」


「私が行くんですね」


「俺が行ってもいいけど?」


「絶対行かないですよね」


「まぁ、俺は所長としてこの事務所で他の依頼の対応もあるしな」


「今のところ他の依頼なんてありませんけどね」


黒峰と陽菜のやり取りを聞いて、神林が小さく笑う。

先ほど事務所へ来た時より、少しだけ表情が柔らかくなっていた。

 

「ありがとうございます」


「住所と鍵を預かります」


陽菜はメモ帳を取り出した。

住所と自宅の電話番号、併せて神林の携帯番号、

大まかな地図などを書き付けていく。

 

「向こうで入用になることがあるかもしれませんので、

 手付金として20万ほどお渡ししておきます

 残りの金額については父の安否がわかってからご請求いただければ

 結構ですので」

 

「承知しました、ありがとうございます。」


陽菜が手付金を受け取ると

くれぐれもよろしく、と神林は頭を下げ

仕事があるのでといって立ち去った。


「社長ってのは、あそこまで忙しないもんかねぇ」


黒峰がいう。

 

(あなたの場合、もっと所長としての自覚を持ったほうが良いと思いますけど)


と、陽菜は思ったが口にしなかった。


「新幹線で行くって手もあるが、それだと向こうに着いてから移動に不便だろう

 俺の車を貸してやるから、それ使って高速で行け」


黒峰の車は日ごろの買い物などで陽菜が運転していた。

黒峰は自分の車なのに、なぜか運転を嫌がるのだ。


「わかりました、今日はたぶん長野で泊りになると思うので明日戻ります

 明日の朝は掃除できないので、部屋汚さないでくださいね」


外出の準備をしながら、言っても無駄だと分かっている忠告をして

陽菜は事務所を出た。

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