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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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盤上の駒と、闇夜の粛清

1.侯爵夫人の帰還と、父の受難


「ジョアンナ侯爵夫人、こちらが使用法の説明書です」


リアナは計算通り、五種類のサンプルを二セット、ジョアンナ侯爵夫人の手元へと渡した。陶器に収められたそれらは、単なる美容品ではない。公爵家をも巻き込み、社交界の勢力図を塗り替えるための、極めて洗練された「兵器」である。


「ああ、リアナ嬢……! 早速、今夜から試してみますわ。明日の講義は、悪いのですがデュラン領へ持っていきたいので中止でよろしくて?」


「はい、ジョアンナ侯爵夫人に無理を言って申し訳ありません」


「いいえ、美の追求は全ての女性の永遠のテーマよ」


夫人はサンプルを胸に抱き、足早に退出していった。残された執務室には、深いため息をつくエリオンの姿がある。


(……この先の公務に、さらに公爵家と侯爵家の調整が加わるのか。私の胃はいつまで持つのか……)


父親を駒のように動かし、己の目的へと突き進むリアナの背中を見つめながら、エリーは深い戦慄を覚えていた。かつての慈悲深い領主の娘の面影は、冷徹な戦略家の影に隠れて久しい。


「これで、工房を動かすための石鹸は確保できたわ」


部屋を出た後、リアナはエリーに静かに告げる。エリーは恐る恐る口を開いた。


「お嬢様……本当にこれでよろしかったのでしょうか。あそこまでの大事になるとは……」


リアナはエリーを見ることなく、窓の外に広がる領地を見つめた。その瞳には、領地の反映や貴族の権威などという矮小なものは映っていない。


「全ては予定通りよ。……いい? エリー。美溶剤なんてものは、所詮は副産物に過ぎないわ」


「副産物……?」


「そう。私の目的は、料理のため。より美味しく、より効率的に、この世界で私の食を追求するための『資金』と『環境』が必要なだけよ。石鹸はまだ序章に過ぎないわ」


料理のために、領地を創り変え、社交界を動かす。その極端なまでの目的意識に、エリーは恐怖すら覚えた。彼女の狂気は、その一貫性にある。



2.スラムの予兆


執務室を離れ、リアナはロバートとアロンの報告を受けた。


「ただいま戻りました」


「炊き出しの感触はどうだった?」


「移住希望者は、今のところ年配の方が二名のみです」


報告を聞きながら、リアナはスラムの現状を整理する。


「余った料理は食堂に置いてきましたが、騎士たちが我先にと群がって完食していましたよ」


「……そう、分かったわ。カロルたちの影響については?」


「恐らく確実です。ずっと嫌な視線を感じていましたから」


リアナは小さく頷く。カロルの妨害工作は、彼女の計画の中では「想定内」のノイズに過ぎない。


「いいわ。移住希望の老夫婦には、何があっても守るように伝えてちょうだい。彼らは、私の計画に必要な『最初の一歩』だから」


人材確保という次の段階へ。リアナのチェスボード上では、次の駒が動き出そうとしていた。スラムという闇の中で、彼女の「料理」という欲望を叶えるための布石が、着実に完成しつつある。



3.傲慢なる取引と、死へのカウントダウン


下水の臭気が立ち込める路地裏に、その「裏ギルド」は存在していた。重厚な鉄の扉が軋んだ音を立てて開くと、そこにはスラムの支配者気取りの男、カロルの姿があった。


「ほう、伯爵家の令嬢を誘拐だと……? それは随分と骨の折れる仕事だ。で、いくら出せる?」


裏ギルドの代表は、薄汚れた葉巻を燻らせながら、冷徹な目でカロルを見据えた。カロルは懐から取り出した金貨百枚という法外な報酬に加え、スラムから「子供四人」の引き渡しを提示した。


「おいおい、お前も相当な悪党だな。本気で、伯爵家の令嬢に手を出すなど、死への招待状を自ら招き入れてるようなもんだぞ」


「構わん!スラムに手を出したらどんな目に遭うか知らしめるだけだ!それにスラムの子供が数人消えることなんて、日常茶飯事だ」


「令嬢の処理については、お前たちが好きにしていい」


カロルは不敵な笑みを浮かべた。彼は、自分たちが計画している誘拐劇が、どれほど底知れない怪物を怒らせることになるのか、想像すらしていなかった。金貨の輝きと権力への執着が、彼の目を曇らせていたのだ。


「……いいだろう。その依頼、受けてやる」


取引は成立した。カロルは満足げに裏ギルドを後にし、スラムの暗闇へと消えていった。


カロルが去った後、裏ギルドのアジトには重苦しくもどこか高揚した空気が流れていた。


「お頭、本当にやるんですかい? 相手はあのオルフェウス伯爵家ですよ。さらに変な噂もありやすぜ」


「ハハハ、魔王だろ。そんな戯言に臆するな。それに、ドレイクの奴からも別途金貨二百枚で同様の依頼が来ている。一石二鳥だ。明日のうちに終わらせて、全てが『事故』として処理される」


「毎日の足取りも掴めているし護衛も分散されている今がチャンスだ!明日、伯爵家を出たらかっさらうぞ!」


「おおー!」


代表の言葉に、ギルドのならず者たちは凶悪な笑みを浮かべた。彼らは、これから自分たちが引き起こす暴挙が、自らの魂と存在を消滅させるトリガーになることも知らず、奪った酒を酌み交わした。


「今夜は宴だ! 全員、準備をしろ!」


「おおーっ!」


彼らの狂騒は、深夜を過ぎても止むことはなかった。だが、その背後に「死」が忍び寄っていることに、彼らは全く気づいていなかった。


『壁に耳あり障子に目あり』とは、まさにこの事である。聖樹、ポチの情報網に引っかかった瞬間、ポチの逆鱗に触れた。


深夜の静寂が包み込む路地裏。その闇の中に、三つの影が音もなく降り立った。彼らはポチの命を受けた、影の粛清部隊。


『主に仇なす者あらば

夜の帳に影が立つ

誰も知らない この生き様

誰も称えぬ この命

それでも守る 小さな灯を

静かに歩く 影みっつ』


ザザザー♪ ドスン♪ ブーン♪ ザッザッザッザッザッ♪ ザザザー♪ ドスン♪ ブーン♪ ザザザン!♪


それは、異様で不気味なリズムを刻む葬送曲だった。路地裏に響くその調べに、ギルドの窓際で酒瓶を抱えていた男が、首を傾げた。


「……ん? 何だこの音は?」


男は不審に思い、窓を開けた。その瞬間、彼の視界は黒い奔流に塗り替えられた。


窓から大量の蜂とスライムが、室内の男たちを呑み込むように侵入を開始した。


「なっ……! 魔物の群れだ! 誰か、誰か来てくれ!」


男たちの悲鳴が上がるよりも早く、影たちは動き出した。


阿鼻叫喚の地獄絵図が展開された。鋭く研ぎ澄まされた植物の蔓が、窓の外から無慈悲に男たちの胸を次々と貫いていく。蜂たちは、猛毒の針でギルド員たちを刺し貫き、スライムから放たれた硫酸の粘液が、彼らの皮膚を、筋肉を、骨をも溶かしていった。


「ギャーッ! 助けてくれ、誰か……!」


「くっ……来るな! 寄るなっ!」


彼らは自慢の剣を抜こうとしたが、その手はすでに酸で骨まで露わになっていた。力と暴力で支配してきた裏ギルドの男たちが、わずか数分で無力な肉塊と化していく。彼らがこれまで行ってきた非道な行為は、今この瞬間、自分たちの身に倍返しとなって降り注いでいた。


「クソッ! 何が起こっているんだ! 誰の仕業だ! ぐあああ……!」


代表の叫びも、もはや誰にも届くことはない。彼は自身の体がスライムに飲み込まれていく絶望の中で、初めて「領主の影」の正体に触れた気がした。


最後の一人が沈黙し、アジトの中に死臭と酸の臭いが充満する中、最後に巨大なスライムがゆっくりと室内に這い入ってきた。


それは、部屋に散乱した死体も、血痕も、そしてカロルたちが持ち込んだ大量の金貨や秘密の書類をも、まるでゴミを処分するかのように一切合切を飲み込んでいく。アジトの壁や床までもが、巨大なスライムに飲み込まれ溶けて消えていく。


数分後、そこにあったはずの裏ギルドの建物は、跡形もなく消え去っていた。路地裏には、ただ湿った地面と、嵐が過ぎ去った後のような不気味な静寂だけが取り残された。


誰一人、この夜何が起きたのかを知る者はいない。カロルが裏ギルドの代表と交わした取引も、彼らが描いた誘拐の計画も、そして裏ギルドそのものの存在も、すべてが闇の中に溶け、無へと帰した。


スラムの闇に、小さな灯を守るための粛清が完了した。夜明けはもうすぐそこまで来ていたが、そこには以前とは比べ物にならないほど、深く静かな闇が広がっていた。


朝焼けが伯爵家を照らす頃、聖樹のポチの前には大量の戦利品が積まれていた。



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