↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
84/89

甘美なる芳香と、籠絡の舞台

1.貴婦人の執念と、メイドたちの報酬


リアナはエリーにサンプル四セットを運ばせ、足早に母エルザの居室へと向かった。


コンコン! 


「お母様、リアナです」


「あら、リアナどうしたの?」


「サンプルが出来たので持ってきました」


扉を叩き、用件を告げるや否や、エルザは瞬きする間のない速さでリアナの前に現れた。


「キャー♪ ありがとう、リアナ!」


エルザが喜び勇んで髪を揺らすと、月香蜜の芳香が、部屋中に優雅に広がった。


「お母様、こちらがサンプルです。あと、ハンドクリームですが……お母様は手が荒れる心配もございませんから、もしお使いにならないのであればメイドたちに与えてやってください」


エルザにとって、もはや「美」の概念を塗り替えた石鹸やシャンプーがすべてであり、ハンドクリームに頓着する様子はない。


「シャナ、これはそっちで使ってちょうだい」


「え、よろしいのですか……?」


「私は使わないわ。貴女たちで使いなさい」


エルザからハンドクリームを託された副侍女長のシャナは、それが最高級の美容品であることを悟り、うっとりと頬を紅潮させた。リアナはすかさず釘を刺す。


「シャナ。万が一、肌に異常があればすぐにエリーへ報告してちょうだい」


「畏まりました!」


母への手配を終えると、リアナは即座に次なる舞台へと意識を切り替えた。ゼノの妻・カエラとの対面である。


リアナは先触れを出し、ゼノに対し「お昼頃に伺うこと」と「お風呂の準備」を命じた。


先触れを受け取ったゼノは、妻であるカエラを懸命に説得し、同席の許可を取り付けた。しかし、彼の頭の中には「お風呂とは一体何事か」という疑念が渦巻いている。


リアナは馬車に乗り込み、バロンの鍛冶工房、ハンスの木工工房、ポロの実の田んぼ、そして孤児院と、領内の重要拠点を視察した。すべての視察が終わると馬車はゼノ商会へと向かった。


しばらく走ると馬車はゼノ商会の前で停まった。


「リアナ様、ようこそお越しくださいました」


ゼノと妻カエラ、使用人が恭しく頭を下げる。リアナが馬車から降り立つと、そこには絶対的な支配者の空気が漂っていた。


「頼んでいたことは準備できているかしら」


「はい。こちらへどうぞ」


ゼノに応接室へと案内される。その際、カエラは、ずっと頭を下げたままだった。


リアナがカエラの前を通り過ぎた――その刹那。


鼻腔を突いたのは、これまでに嗅いだことのない、気品に満ちた高貴な香りだった。カエラは反射的に顔を上げた。


(……何? この香り……)


彼女が見たのは、艶やかに波打ち、陽光を受けて光を反射するリアナの髪だった。カエラは無意識に、自分のゴワゴワとした髪を触る。比較するまでもない「美」の差が、カエラを戦慄させた。


「奥さま、行きますよ」


使用人に促され、我に返ったカエラは、リアナの後ろを歩きながらも、その視線はリアナの髪に釘付けのまま離れない。


応接室のソファに腰を下ろしたリアナは、向かいに座るカエラの食い入るような視線を感じ取り、小さく、しかし確信に満ちた微笑を浮かべた。


(食いついたわね)


この日、商会の応接室は、単なる打ち合わせの場ではない。リアナによる「美の洗脳」という名の劇場の、開演の舞台となった。



2.テーブルの上の甘美な革命


使用人が丁寧に淹れた紅茶が湯気を立てる中、静寂が応接室を支配していた。カップに口をつけたリアナが、優雅な動作でカップをソーサーに戻す。その所作一つひとつに、カエラの視線は吸い寄せられていた。


「本題に入るわね。エリー、お願い」


「はい」


エリーが革製のカバンから取り出したのは、高級感のある小箱と、繊細な意匠が施された四本の陶器だった。それが机に並べられた瞬間、カエラの心拍数は明らかに高まっていた。


「これをゼノ、あなたに商会で販売してもらうことになるわ」


リアナはカエラを真っ直ぐに見据え、獲物を逃さない狩人のような笑みを浮かべる。


「これはまだサンプルだけれど、カエラ夫人に使用してもらってほしいの。こういったものは、男性よりも女性の方が、率直な意見が言えると思うのよ」


さらに、リアナは自分の髪を軽く手で梳き、光沢を強調した。


「ちなみに、今、私の髪や肌にも全く同じものを使用しているわ。品質については私が保証するわ」


カエラの目は、リアナの髪から机の上の陶器へと、せわしなく往復していた。彼女の手は自身の硬い髪に触れそうになっては、恥じらって膝の上に戻るという動作を繰り返している。


「順に説明するわね。これが石鹸よ。ゆずレモンの香りを調合してあるわ」


ゼノが恐る恐るその石鹸を手に取り、鼻先へ近づけた。瞬間、清冽で爽やかな香りが彼の鼻腔を突き抜けた。


「……これは、良い匂いですね。これまでの石鹸とは、香りの格が違います」


ゼノは商売人としての直感で、これが既存の商材とは一線を画す「爆発的な売れ筋」になることを悟った。だが、妻であるカエラの反応は、それを遥かに超えていた。


彼女は震える手でその石鹸を凝視している。その目は、商売の算段ではなく、女としての純粋な羨望と渇望に染まっていた。


(……この香りと、あの髪の輝き。それが手に入るのなら……!)


リアナは、カエラがもはや自分から視線を外せなくなったことを確認し、内心でほくそ笑む。準備は万端だった。あとは、お風呂場という名の「実験場」へ彼女を誘い込むだけだ。


「次に、これがシャンプーで、これがリンス。あとはハンドクリームと香水ね」


リアナが次々と並べられた陶器に入っている物を説明する。


「しゃんぷー……?」


「シャンプーは髪の洗浄剤よ。簡単に言えば、髪専用の石鹸ね。リンスは髪を傷みから守る保護剤。ハンドクリームは手の修復剤で、香水は言わずもがなね」


リアナの簡潔な説明に、カエラは圧倒された様子で頷くことしかできない。リアナは畳みかけるようにエリーへ合図を送った。


「これを実際に試してほしいのよ」


「カエラ夫人、構わないかしら?」


「あ、はい!ぜひ!」


カエラはリアナを見据え元気よく返答した。その瞬間、リアナの悪魔の微笑がカエラを捕らえる。


「あら、ありがとう。エリー、あとはお願いね」


「畏まりました」


エリーは手際よくサンプルを鞄に詰めると、カエラの腕を掴んだ。 


「では、カエラ夫人。参りましょう」


「え? えー?今からですか?」


戸惑うカエラ夫人を無視しエリーは使用人に話しかける。


「案内をお願いできるかしら?」


使用人が母屋のお風呂場へと誘導を始めると、エリーは半ば強引にカエラを連れ出した。驚きの声を上げるカエラを尻目に、応接室にはリアナとゼノだけが残された。


「さてゼノ、香水は貴方が試してみて」


リアナの指示に従い、ゼノは陶器から一滴、液体を手首に垂らして擦り合わせた。瞬間、応接室の空気が華やぎ、洗練された高貴な香りが漂い始める。


「……素晴らしい。非常に上品で、鼻に残りすぎない、絶妙な香りです」


「ええ。この月香蜜の香りはリンスにも配合しているわ。ただし、これは貴族向けに高価格帯で展開する予定よ」


リアナは冷徹なまでの冷静さで、今後の市場戦略を語り出した。


「一般の領民向けリンスには、もっと安価な花の香りとゆずレモンの香りを採用するわ」


「なるほど……。領民と同じものを好まない貴族たちの心理を、完全に突いていますね。素晴らしい棲み分けです」


ゼノは商売人として、リアナの提案がもたらす利益の大きさに確信を得ていた。貴族社会のプライドを「香り」で刺激し、利益を最大化する。これほど効率的な商売はない。


「香水については、最初から貴族専用として扱うわ」


「承知いたしました。それが最もブランド価値を維持できる方法かと」


リアナはソファに深く背を預け、カエラが戻るのを待つ。エリーがカエラにその身で「美の革命」を体験させ、圧倒的な差を自覚させている間、リアナはさらなる布石を打ち続けていた。


「カエラ夫人にしっかり感想を聞いてちょうだい。肌への反応や、髪の変化。もし何か異常があれば、即座に報告を」


「畏まりました」


リアナの言葉には、職人としての冷静な管理能力と、自らの創り出した製品に対する絶対的な自信が宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。