聖樹の行軍と、「魔王」の誕生
1.聖樹の制裁、収束の時
無数のゆずレモンが、まるで意思を持った砲弾のようにミルフォード子爵の兵士たちを襲った。凄まじい轟音と悲鳴が数分間にわたってコロン村の入り口を支配したが、やがて嵐は去り、静寂が訪れた。
辺りを見渡せば、腰を抜かして泥の中で震えるミルフォード子爵と、ゆずレモンの直撃を受けて鎧ごとひしゃげ、昏倒している兵士たちの姿があった。まさに地獄絵図のような惨状だった。しかし、そんな光景の中でリアナが示したのは、驚くべき優先順位だった。
「ああー……私のゆずレモンが……」
リアナが惨状より食材の損失を嘆いていると周囲の護衛騎士やエリーは、その姿を見て呆然とするしかなかった。この壮絶な戦闘の結末より、食材を嘆くリアナ。彼女の価値観が常人のそれとは根本的に異なっていることを、全員が再確認した瞬間だった。
「は、離せ!」
リアナの腕の中に押し込まれていたハロルドが、我に返ったように勢いよく彼女を振り払った。密着した際の鼓動と熱が、彼を極限まで動揺させていたのだ。
「あら、失礼。……ん? 殿下、顔が赤いですが大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だ……!」
ハロルドは早口で誤魔化すと、ミルフォード子爵の前へと堂々と歩み寄った。王家の誇りを取り戻すために、彼は精一杯の威厳を纏った。
「ミルフォード子爵、我の顔を見忘れたか?」
しかし、泥まみれで鎧を着崩したハロルドを前に、子爵はあろうことか鼻で笑った。
「ふん、 何を言っておる。この若造が!」
一瞬、張り詰めた沈黙が流れる。ハロルドの顔から血の気が引いていく。
(は! 今よ!)
リアナの脳内で「時代劇」の回路が火花を散らした。彼女は軽やかなステップでハロルドと子爵の間に割って入り、歌舞伎役者のような所作で両手をハロルドに向けた。
「控え控えおろう、こちらにおわすお方をどなたと心得る! 恐れ多くも王太子殿下、ハロルド・ディ・ヴァルディオス王太子殿下であらせられる! えーい、頭が高い、控えおろう!」
その完璧すぎる所作、完璧すぎる台詞回し。リアナは脳内で(ああー、完璧だわ……)と自画自賛していたが、現実では、ハロルド以下全員が氷のような視線を彼女に向けていた。
「……はぁ。貴方は一体何をやっているのだ?」
「あら、今の台詞、完璧でしたわよ?」
ハロルドは深い溜息をつき、もう疲労困憊といった様子で髪に魔力を流した。瞬間、くすんだ茶髪がまばゆい金髪へと変貌する。
「これなら分かるだろう。若造のハロルドだ」
皮肉めいた言葉を吐く金髪に戻った王太子を見て、ミルフォード子爵は顔色を土気色に変えた。
「え? え? お、王太子殿下……! こ、これは一体……!」
「金髪じゃないと我のことを分からんのか……」
ハロルドはプライドを完全に粉砕され、がっくりと肩を落として項垂れるのだった。
2.父の決断と村人の移送
その時、地響きと共に無数の馬が駆ける音が聞こえてきた。先頭を切って駆けつけたのは、父・エリオン伯爵とオルフェウスの精鋭騎士団だった。
コロン村に到着して険悪な雰囲気になったことをエリーは風魔法でエリオンに報告していた。
報告を受けたエリオンはすぐに騎士を連れて領境の関所を突破しコロン村へと向かったのだ。
エリオンは馬を降りるなり、惨状を検分し、ミルフォード子爵へ冷徹な視線を向けた。
「ミルフォード子爵。我に対する不敬の数々、並びに王家に剣を向けた反逆罪。……引っ捕らえよ!」
「は!」
「あ、あ、うあー……!」
子爵と兵士たちは、手際よく縄で縛られ、地面に転がされた。
リアナは満足げに頷くと、村長とウルズを呼び寄せた。
「一件落着ね。村長さん、村人全員を呼んでちょうだい」
集まった村人たちは百五十二人。以前より増えていた。
「あら赤ちゃんが増えたのね……それじゃあ今からオルフェウス伯爵領へ全員移動してもらうわ。何か持っていくものがあるのなら、急いで取ってきて」
数人とウルズが家へと戻り、少量の荷物を持って戻って来た。ウルズはゆずレモンを運ぶ為の台車を馬で引いて来る。
ウルズの台車だけでは、百五十人以上の村人を移動させることは出来ない。
「台車にお年寄りと赤ちゃんを乗せてあとは歩くしかないかしら」
その時、リアナは小さく枝を揺らすジュニアを見つけた。
「ジュニア、頼めるかしら?」
リアナの問いかけに、ジュニアは自信たっぷりに枝を鳴らす。
次の瞬間、離れた場所にある森から、ゴゴゴーと地響きと共に木々が歩き出した。地面を揺らしながら芯命樹がリアナの前までやってきたのだ。
「な、何事だ!」
ハロルドが剣を構えるが、リアナたちは平然とそれを見守る。芯命樹が巨大な枝を器用に操り、村人たちを一人掴み上げると、自らの枝の間に優しく座らせた。次々と芯命樹が村人をのせていく。
村人全員が芯命樹に乗り、帰還の準備が整い、リアナはハロルドに向き直った。
「あ、ハロルド殿下。賭けは私の勝ちみたいですね」
「……ああ、我の負けだ」
「あら、素直ね、じゃあ私から一つだけお願いです。二度と私の前に現れないでください。さようなら、ハロルド王太子殿下」
リアナは華麗にカーテシーを披露すると、スッと馬車に乗り込んだ。
「お父様、先に戻りますね」
「ああ、気を付けて帰れよ」
馬車が出発すると、前後に護衛のラウル、ロバート、アロンが付き、その後ろを芯命樹が村人たちを乗せて悠々とついていく。ミルフォード子爵領の住民たちは、その光景をただ口をぽかんと開けて見送るしかなかった。
後に、この一件は社交界を震撼させる噂となった。
「リアナ・ド・オルフェウスを怒らせると領地が滅ぶ」
そんな警告と共に、彼女はいつしか恐れと尊敬を込めてこう呼ばれるようになった。
『魔物を統べるもの、わがまま魔王』
エリーが少し皮肉を込めて言った。
「わがまま令嬢からわがまま魔王に昇格ですね」
リアナは、どこか魔王のような妖艶で余裕のある微笑を浮かべ呟いた。
「エリー、……お祝いにゆずレモンいる?」
その微笑は、今後、彼女の前に立ちはだかるであろう全ての人々にとって、悪夢の始まりを告げるものとなったのである。
3.聖樹と行く、凱旋の道
コロン村の入り口を後にしたリアナの隊列は、異様な威容を放っていた。
先頭を行くのは、豪奢な装飾が施されたオルフェウス伯爵家の馬車。その前後を、ラウル、ロバート、アロンといった屈強な護衛たちが隙無く固める。そして、その背後を追うのは、何と百五十二人の村人たちを一人ずつ枝に乗せた芯命樹百五十二本だった。
「壮観ね」
リアナは馬車の窓からその光景を眺め、満足げに微笑んだ。彼女にとっては、苦難を乗り越え、領民を新天地へ導く慈愛の象徴のように思えるのだろう。
しかし、街道を行き交う人々や通りすがりの旅人たちにとって、それは恐怖の対象以外の何物でもなかった。根を抜き、枝を揺らしながら大地を踏みしめて歩く巨木。その枝上では、村人たちが不安と安堵の入り混じった顔で揺られている。
「……これ、本当に大丈夫なのか?」
護衛のアロンが、冷や汗を流しながら呟いた。ラウルとロバートは、「リアナ様のことだから、まあ大丈夫だろう」と達観した様子で肩をすくめる。エリーに至っては、いつものことだとばかりに手帳を開き、帰還後のスケジュールを確認していた。リアナの傍にいると、常識の枠組みが音を立てて崩れていく。彼らはすでに、その異常さに慣れきっていた。
コロン村から新コロン村までは四時間の長旅だった。揺れ続ける馬車の中で、リアナは少し不機嫌そうに腰をさすった。
「うーん……さすがに四時間は腰が痛いわね。次はもっとクッションを上等なものに替えて、いっそサスペンションも付けたいわね」
「今度、バロンに相談してみようかしら」
エリーの冷たい視線に対し、リアナは「当然よ。快適な移動は経営者の義務だもの」と言い放つ。
やがて一行は新コロン村へと到着した。そこはオルフェウス伯爵領の入り口に近く、リアナが用意した理想的な拠点が広がっていた。芯命樹は村人たちを優しく地面に下ろすと、村の入り口から少し離れた小高い丘へ移動し、地中深くへと根を張った。そこがこれからの彼らの居場所となる。
「ゼノ、待たせたわね」
リアナが声をかけると、新コロン村の管理を任されているゼノが恭しく礼をした。
「お待ちしておりました。全て整っております」
「ゼノよくやったわ、ここが新コロン村よ」
村人たちは、整備された道と、整然と立ち並ぶ長屋形式の住居を見て、目を見開いた。コロン村の極貧生活とは比べ物にならない文明的な住環境。彼らは感極まった様子で、その場に跪いた。
「な、何から何まで……。リアナ様、本当にありがとうございます!」
「気にしなくていいわ。これからここで、しっかり働いてもらうから」
リアナは冷徹なまでの合理的判断で、ゆずレモンの全権と村人の労働力を掌握した。彼女の手にかかれば、かつての辺境の村は、オルフェウス伯爵領の重要な経済拠点へと変貌するのだ。
新コロン村の運営をゼノに託し、ウルズには商会を通した安定供給を命じた。定期的な監査官の派遣も手配し、リアナは村を離れた。
「改革のピースは揃ったわね」
馬車に揺られながら、リアナの思考はすでに次の段階へ移っていた。彼女が手に入れたのは、単なる村の支配権ではない。ゆずレモンという、これまで有効活用されていなかった素材を、高付加価値な商品に変えるための原材料供給源である。
彼女が着手しようとしているのは、『石鹸』の開発だ。
この世界において、貴族たちが使う洗浄剤は、単なる油脂を固めただけの質の悪いものか、ごく一部の特権階級しか手に入れられない高価な輸入品に限られていた。そこに、ゆずレモンの爽やかな香りと、特殊な精製過程を経て抽出される洗浄成分を組み合わせる。
「香りが良く、肌にも優しく、しかも汚れがよく落ちる……。これだけで、社交界の話題を独占できるわ」
リアナは窓の外に流れる景色を見つめながら、魔王のごとき不敵な笑みを浮かべた。
彼女の野望は、もはや一つの領地改革に留まらない。ゆずレモンの香りをまとった石鹸で、貴族社会の清潔感という概念そのものを塗り替え、莫大な富と権力を手中に収める。
『わがまま魔王』の伝説は、まだ始まったばかりである。
「エリー、次は、いよいよ石鹸の試作よ」
「畏まりました、リアナ様」
エリーの視線の先には、すでに次なる覇道を見据える少女の、何よりも純粋で、何よりも恐ろしい経営者の顔があった。




