大豆油の芸術と、王太子と言う名の駒
1. 巨大な「プローン」とリアナの探求心
厨房に並べられた未知の食材を前に、リアナの料理魂が激しく揺さぶられていた。
「この赤いのは何かしら?」
「はい、それは辛味があります」
「鷹の爪ね。……じゃあ、これは?」
リアナが次に丸くて白い食材を指さすと、料理人が答える。
「それは独特な匂いがあります」
リアナがその食材を手に取り、鼻を近づけて匂いを確認する。
「……ニンニクに近い匂いがするわね。あとはロックバードの肉とオニンとじゃがいも。……そして、このロブスターかしら? デカいわね」
「あ、それはプローンです」
「プローン……エビ!」
リアナの顔の大きさほどもある巨大なプローンが、まな板の上に堂々と鎮座していた。この世界の川は、貯水池から流れるスライムの浄化作用によって極めて清浄な水が保たれており、そのため川の恵みである食材は、臭みがなく驚くほど鮮度が良いのだ。
「今日は、アヒージョとオニンスープを作るわよ」
アヒージョは定番の料理だが、アロイスたちがこれまで作ってきたものは、ただ油で食材を煮込んだだけの、素材の持ち味を全く活かせていない代物だった。
「いい、アヒージョは素材ごとに火の通り方が違うから注意しなさい。今までのように全部一度に油へ放り込むのは厳禁よ」
それまでのアロイスたちの調理法は、じゃがいもを基準にしてすべての食材を煮込んでいたため、他の繊細な食材は煮込まれすぎて硬くなり、あるいは焦げてしまっていたのだ。
「まずは下ごしらえよ。じゃがいもは乱切り、鷹の爪は輪切り。オニンはみじん切りとくし切りに使い分けて。このニンニクはみじん切りに。ロックバードの肉とプローンはひと口大に切ってちょうだい」
リアナが一つひとつ丁寧に食材を切り分けていく。その鮮やかな包丁捌きを、料理人たちは一言も漏らさぬよう真剣に見つめていた。
食材によって包丁を使い分けるリアナの姿を見て、ファルケンは愕然としていた。自分は全ての食材を同じ一本の包丁で雑に切り分けていた……。自分が料理人だと思っていたのはただの勘違いで、実は素人にも劣る扱い方をしていたのだと、痛烈に自覚させられたからだ。
一人前の食材を切り終えると、リアナは調理を開始した。
まず鍋に水とじゃがいもを入れ、軽く下ゆでをして火を通す。次にフライパンにオリーブオイルの代用として大豆油を注ぎ、ニンニク、鷹の爪、塩を少量入れて弱火でじっくりと香りを引き出す。
その間に、ロックバードの肉とプローンを別のフライパンで軽く表面を炙り、醤油で下味をつけて香ばしさを閉じ込める。
ニンニクの食欲をそそる香りが立ってきたところで、先ほどの具材をすべて合わせ、中火で旨味を一体化させるように煮込んでいく。
並行して、バターでみじん切りにしたオニンとニンニクを炒め、飴色になったところでくし切りにしたオニンを投入。さらにチキンスープを加えてじっくりと煮込み、塩と醤油で味を整えてオニンスープを完成させた。
完成した料理を前に、全員で味を確認し共有する。
ハロルド王太子は、騎士による毒見という厳重な儀式を経て、ようやく一口を口に運んだ。
「な、なんだこれは……ッ!!!」
今まで食べていた食事とは次元が違う旨さに、ハロルドは驚きを隠せなかった。
「父上が、固執するのも頷ける旨さだ……」
高慢だった王太子の表情が、驚愕と感銘で染まる。
ファルケンもまた、一口食べたその瞬間にスプーンを止め、深い放心状態に陥っていた。
リアナの手によって素材の細胞が壊れることなく、旨味だけが最大化された料理。それは王宮という食の頂点にいたはずの彼らにとって、これまでの料理観を根底から覆す「衝撃」そのものだった。
2.厨房の粛清と予期せぬ帰還
「アロイス、わかったわね」
「は、はい!」
リアナの号令とともに、厨房は戦場のような活気に包まれた。じゃがいもの変色を防ぐ水への浸水、火加減の調整。コルンがテキパキと動く中、ファルケンはまだ自分の立つべき場所も見つけられず立ち尽くしていた。
「ファルケン! いつまで呆けているの! オニンの皮むきに向かいなさい!」
「あ、はい……っ!」
呆然とするハロルドを「邪魔」として放置し、仕込みが軌道に乗ったその時、ロバートが帰還した。リアナはロバートの耳打ちを聞くや否や、表情を一変させる。
「アロイス、急用ができたわ。あとは任せるわね」
「畏まりました!」
厨房を去るリアナたちに、ハロルドが慌てて付いてくる。
「よろしいのですか? 重要な話を殿下に聞かせて」とロバートが懸念を示すが、リアナは言い放つ。
「いいんじゃないかしら。どうせ、何もできないでしょ」
執務室に全員が集まった。リアナはロバートに報告を促す。
「……コロン村へ向かう道は閉鎖されており、子爵家の兵士に追い返されました」
「ミルフォード子爵領だと! リアナ嬢、一体何をする気だ!」
ハロルドが叫ぶが、リアナは冷徹な視線を投げるだけで、彼を蚊帳の外に追いやった。
「はぁ……話がややこしくなるので、黙っててもらえませんか!」
その冷たい眼光に射抜かれ、ハロルドは「ひっ……」と音を漏らし、口を閉ざした。
(殿下、よわ!)
その場にいた全員の心の声が一致した。厨房での一件以来、ハロルドのリアナに対する苦手意識は、もはや絶対的な「恐怖」へと昇華していた。
「今回の件、コロン村で異常事態が発生しているのは明白。移住計画を早めます。明日、村人をオルフェウス領へ強行移動させるわ」
「な……ッ!」
またしても抗議しようとしたハロルドに対し、リアナが再びその冷たい視線を向ける。ハロルドは即座に口を塞ぎ、自分のプライドがガラガラと崩れ落ちる音を背中で聞いていた。
(ああー、殿下の威厳が、お嬢様の中で完全に地に落ちてしまったわ……)
エリーが心の中で密かに同情する。リアナの決定事項に、異論を唱える余地など残されていなかった。
「だが、どうやってコロン村へ行くのだ?」
エリオンの至極真っ当な問いに、リアナはハロルドに向けて、妖しく、そして美しい「悪魔の微笑」を浮かべた。
「そんなの簡単ですわ。ここにはハロルド王太子殿下が居ますもの」
「……え? 我が??」
「ハオンの『冤罪を晴らす』ためにここへ来たのよね。なら、まさにうってつけ。子爵領の兵士たちも、王太子様が直々にお越しになれば通すしかないでしょう?」
自分の目で確認する良い機会ですね、と畳み掛けられ、ハロルドは拒絶する間もなく、自身の目的と立場を悪用した「リアナの計画」に組み込まれてしまった。
王太子という最高の「通行証」を手に入れたリアナ。
明日の朝、コロン村へ向かう馬車列は、これまでにないほど強固な「権威」という名の盾を携えることになる。




