王の冷徹な判断と、最悪の爆弾
1.ハミルトンの賭け
王宮の謁見の間。冷たい石畳の感触が、ハミルトンの足の震えを助長させる。
国王の眼前に跪くハミルトンの態度は、徹底して「被害者」を演じるものだった。
「陛下! 愚息ハオンの暴挙、誠に面目次第もございません! しかし、あ奴が勝手にやったことであり、ミルフォード子爵家としては一切関与しておりませぬ! 厳重に処罰する所存でございますので、どうか……」
ハミルトンの主張に対し、国王は冷ややかな視線を向けたまま、何も告げない。ただ、部屋の空気が凍りつくような重圧だけが支配していた。
「……処分は、追って伝える。下がれ」
結局、具体的な罪状の取り消しもなければ、許しもない。
ハミルトンは青ざめた顔のまま、這うようにして謁見の間を後にした。もはや彼に残された道は、悪徳のコーリン公爵と結んだ裏取引のみ。ミルフォード子爵家の命運は、卑劣な公爵の手中に完全に握られていた。
「……領民百五十で済むなら、安いものだ」
ハミルトンは、破滅の恐怖を「冷酷な決断」で上書きした。
すぐさま領地へ戻ったハミルトンは、冷徹な目で執事に問いかけた。
「我が領地で、もっとも税収が低く、足手まといな村はどこだ?」
「……コロン村でございます。人口は百五十を超えておりますが、生産性が低く……」
その言葉を聞いた瞬間、ハミルトンの口元に卑劣な笑みが浮かぶ。
「そうか。そこの畜産物は何だ?」
「はい……以前からあの『酸っぱいだけの使い道のない果実』を育てておりますが、誰にも買い手がつかず……」
「ああー、あれか! 食えん果実を作って穀物を食いつぶすだけの村など、私のために生贄に捧げればちょうどいい」
ハミルトンは、ミルフォード家に古くから伝わる「あの黄金の果実は聖樹の恵みであり、決して手放してはならない」という家訓も、その裏にある伝承も、強欲と保身の果てに完全に忘却していた。
「直ちに村を包囲しろ!誰一人として外に出すな。コーリン公爵がうまくやったら差し出すのだ!」
2.王宮の憂鬱と「唐揚げ」の呪縛
その頃、王都では別の悩みが深刻化していた。
国王は執務室の窓際で、遠いオルフェウス領を睨みつけるようにボソリと呟いた。
「……多分、次はないだろう」
宰相は深く頷き、静かに同意する。
「はい。今回の不祥事を受け、もしまた同様のことがあれば、オルフェウス伯爵家は二度と料理人の派遣を受け入れないでしょう」
「クソ!なぜ、この国の王である私が、たかが伯爵家ごときにこれほど悩まされねばならんのだ……! 誰一人として、あの令嬢の技術を再現できる料理人はおらぬのか!」
王の怒りは、ハオンの失態そのものよりも、「あの美味しい唐揚げが食べられなくなるかもしれない」という食欲的な危機感に根ざしていた。
王宮の料理人が作る唐揚げは、どれほど高級な油を使っても、ただギトギトと油っこいだけで、リアナが作るあのジューシーで魔法のような唐揚げとは天と地の差があったのだ。
「……陛下、では唐揚げは諦められますか?」
「クソッ……諦められるものか!」
王は悔しそうに拳を握りしめると、とんでもない提案を口にした。
「この際だ、罰として料理長のファルケンを直接向かわせる! 管理責任を取らせ、あの令嬢の厨房で一から……いや、皿洗いから修行し直させろ!」
王に再度呼び出されたのは、顔面蒼白の料理長ファルケンだった。
彼は王の執務室に入るなり、国王からの容赦ない宣告を受ける。
「ファルケン。お前の管理責任は重い。ハオンが犯した罪の償いとして、お前自身がオルフェウス伯爵家へ出向き、リアナ嬢の厨房で『修行』してこい」
「な……! 私が、ですか……!?」
「そうだ!リアナ嬢の厨房のすべてを学んでこい! もし、あの伯爵家から『お引き取り願いたい』という苦情が来れば、その時こそお前の料理長としての地位も、名誉もすべて剥奪する!」
王の鋭い叱責が、ファルケンの心臓を射抜く。
「ファルケン! 次は無いぞ!!」
「は、はいーーっ!!」
ファルケンは情けない悲鳴を上げながら床に平伏した。王宮厨房という最高の権威を誇った男が、今や「リアナ令嬢」という名の鬼教官のもとへ、放り出される運命となったのだ。
王がファルケンを「派遣」という名の追放処分にしようと決意したその裏で、ハミルトンの非道な計画は着々と進行していた。
コロン村――それは、リアナが愛してやまない「ゆずレモン」の聖地であり、オルフェウス領から遠く離れた場所で細々と守られてきた「可能性の種」がある村だ。
もしハミルトンがこの村の民を鉱山奴隷として連れ去れば、それはリアナの逆鱗に触れるだけでなく、聖樹の加護を完全に失うことを意味していた。
3.狡猾なる公爵の奸計
コーリン公爵は、ただの守銭奴ではなかった。彼はミルフォード子爵家という「駒」を使い、オルフェウス伯爵家という王国の厄介者を排除するための巨大な罠を仕掛けていた。
「ハロルド王太子殿下、今回の騒動、実態はリアナ嬢によるでっち上げでございますよ。彼女は領地で怪しげな研究に没頭し、王宮に不敬を働く者を見せしめにするべく、ミルフォード家の坊やを罠に嵌めたのです」
「……何だと? あの小娘が、そこまでの悪辣な真似を?」
かつてリアナに論破され、プライドを粉々にされた苦い過去を持つハロルド王太子にとって、その言葉は甘い蜜のように響いた。復讐心という名の燃料が、彼の頭を完全に支配する。
「分かった! 私が直々に赴き、リアナ嬢の化けの皮を剥いでやる! あの生意気な女の末路を見届けてやるのだ!」
「おー、それはありがたい事です。殿下が自ら冤罪を証明されれば、オルフェウス家も反論できまい」
(青二才が、チョロいものよのう)
コーリン公爵は、ハロルドという「無能で傲慢な突撃兵」を上手く操れたことに、腹の中で嗤っていた。だが、彼もまた知らない。ハロルドという男が、単なる「無能」ではなく、事態を全て「最悪の方向」へ加速させる破壊的な無能であることを。
ハロルドは止まらなかった。リアナに対する復讐心がハロルドを突き動かす。王の執務室へ踏み込み、ドアを勢いよく開けると、叫ぶように宣言した。
「父上! ミルフォード子爵家の冤罪は私が晴らしてみせましょう! 直ちにオルフェウス伯爵家へ行き、あの不敬な令嬢の化けの皮を剥いでみせます!」
言い捨てるや否や、王の返答も待たずにハロルドは執務室を飛び出していった。
残された国王と宰相は、数秒間、完全に硬直した。
「……今、あいつは何を言った?」
「……ミルフォード子爵の令息の冤罪を晴らす、と」
国王の目が座る。
「そんなことは分かっておるわ! 今、オルフェウス伯爵家との関係をいかに維持するかが最重要課題だと言っているのだ……! あいつは、一体何をする気だ!」
「さあ……」
宰相が言い終えるよりも早く、執務室の扉が再び勢いよく開かれた。飛び込んできたのは、顔面蒼白の騎士である。
「大変です!! ハロルド殿下が、護衛三人を連れてオルフェウス伯爵家へ向かわれました!!」
「えっ……?! 誰か、誰かあいつを止めろ! 伯爵家をこれ以上刺激するな!わしの唐揚げを滅ぼす気か!」
急いで何かを書き出す王、『ハロルドがそちらに向かった。ノーカウントで頼む』
「至急、オルフェウスにこれを送れ!」
王の悩みが尽きることはなかった。




