悪徳公爵の微笑みと、泥沼の取引
1.国王の頭痛と「暗殺未遂」の衝撃
朝一番、国王の執務室には重苦しい沈黙と、それを破る盛大なため息が響き渡っていた。
オルフェウス伯爵家から早馬で届いた書状に目を通した国王は、こめかみを強く押さえながら頭を抱えた。
書状に踊る凄まじい文字列。
『リアナ・ド・オルフェウス伯爵令嬢に対する、王宮料理人による暴言と暗殺未遂』
「ただ料理を学んでこいと派遣しただけだぞ! 暗殺未遂とはどういうことだ! すぐに料理長を呼べ!!」
王の怒号が響き渡り、即座に二人の近衛騎士が厨房へと走った。
朝食の準備で戦場のような忙しさを見せていた王宮の厨房に、鎧の音を響かせて騎士たちが踏み込んできた。
「料理長のファルケンはいるか!」
「ん? 私だが、何の用だ。今は手が離せん!」
「王命である! 国王陛下がお呼びだ、すぐに執務室へ来い!」
ただ事ではない雰囲気に、厨房の空気が凍りつく。
ファルケンはわけも分からぬまま、一人の騎士に連行されるように王の執務室へと向かった。
そして、残されたもう一人の騎士は、鋭い目で厨房を見渡すと、静かに「聞き込み」を開始した。
執務室に入ったファルケンを待ち受けていたのは、ソファに深く腰掛け、怒りで顔を引きつらせている国王と、その背後に冷徹な表情で佇む宰相の姿だった。
「ファルケン! お前にオルフェウス伯爵家へ料理を習いに行く者を二名選べと指示したが、暗殺未遂を働けなどといつ命令した!?」
「え? ええっ……!?」
降って湧いた「暗殺」という単語に、ファルケンは完全に思考が停止し、オロオロと視線を彷徨わせることしかできなかった。
頭に血が上っている国王では話が進まないと察した宰相が、一歩前に出て、手元の書状を読み上げながら淡々と経緯を説明した。
「落ち着いて聞きなさい、料理長。王宮から派遣した二人のうちの一人、ハオン・フォン・ミルフォード子爵令息が、あちらに到着するなりリアナ伯爵令嬢に対して暴言を吐き、あろうことか逆上して摑みかかろうとしたところを護衛騎士に拘束された。伯爵家からは『暗殺未遂』として正式に抗議と報告が来ている。……なぜこのような事態になったか、説明を」
「た、確かにハオンとコルンの二名を派遣いたしましたが……暗殺など、わ、私は何も知りません! あいつがそんな恐ろしいことをするはずが……!」
「では聞くが、なぜハオンのような男を選んで送ったのだ?」
「それは……料理主任のハオン自らが、王宮の威信をかけて技術を学んでくると志願したのです! 彼の推薦で、小間使いのコルンも同行させることにいたしました」
「なるほど。つまり、お前はハオンを『優秀で相応しい人材』だと判断したわけだな?」
「は、はい! ハオンは仕事も真面目にこなし、上の者への礼儀も正しい、実力ある男ですから……!」
ファルケンが必死にハオンを庇おうとした、その時だった。
執務室の扉が軽くノックされ、厨房での聞き込みを終えた騎士が入室してきた。
騎士から一枚のメモを受け取った宰相は、それに目を通すと、憐れみすら含んだ深いため息をついた。
「……料理長。ハオンを『仕事ができる優秀な男』と評価しているのは、あなたと副料理長だけのようですね」
「な、何のことですか……?」
「今、厨房の料理人全員に臨時の聞き込みを行った結果、彼らからは真逆の評価が上がってきましたよ」
【厨房の料理人たちからの証言】
「ハオン主任が自分で包丁を握っているところなんて見たことがない」
「料理長や副料理長から言われた仕事を、そのまま下の者に丸投げしてやらせていた」
「下が作った料理の手柄を、さも自分がやったかのように上に報告して評価を上げていた」
「な……っ!? そんな、馬鹿な……!」
ファルケンは絶句した。自分たちが「気が利く優秀な部下」だと思っていたハオンは、ただの『手柄泥棒の無能』だったのだ。
「大方、今回の件も、田舎の伯爵家と侮って適当に手柄だけを横取りするつもりで、自ら志願したのでしょう。しかし、相手が悪すぎた」
宰相は書状を机に叩きつけた。
「相手はあの、王宮の料理人たちを唐揚げ一つで黙らせたリアナ令嬢だ。舐め腐った態度で現れた無能な手柄泥棒など、彼女の逆鱗に触れて当然。……さて、国王陛下。これは単なる料理人の不祥事では済みません。ミルフォード子爵家を巻き込んだ、王家の面子に関わる大問題です」
「……うむ。ミルフォード子爵をただちに呼び出せ。それと、ファルケン。お前の管理責任も、後でたっぷりと追及させてもらう」
「ひっ、ひぃぃ……!」
腰を抜かして震え上がる料理長をよそに、王宮にはさらなる大嵐の予感が吹き荒れようとしていた。ハオンが蒔いた傲慢の種は、実家ごと破滅させるほどの巨大な業火となって燃え広がろうとしていた。
2.絶望の一報
王都の詰所から送られた緊急の早馬がミルフォード子爵領に到着したとき、領主ハミルトン・フォン・ミルフォードは、あまりの衝撃に持っていたワイングラスを床へ叩き落とした。
「な……っ、ハオンが王命を無視して暴れ、オルフェウス伯爵令嬢の『暗殺未遂』で捕縛されただと!?」
書状を持つ手がガタガタと震える。
相手は、自分より爵位が上のオルフェウス伯爵家だ。しかも罪状は「暗殺未遂」。このまま王宮の法廷に引きずり出されれば、ハオンの処刑どころか、ミルフォード子爵家のお家断絶、領地没収、財産差し押さえは免れない。
「終わりだ……我が家はあの愚息のせいで破滅する……!」
錯乱しかけたハミルトンだったが、生き残るための唯一の細い糸を思い出す。彼はすぐさま馬車に飛び乗り、かねてより繋がりがあった上位貴族、コーリン公爵のもとへアポを取り、駆け込んだ。
コーリン公爵邸の豪華絢爛な応接室。
ハミルトンは、ふかふかの絨毯に額を擦り付けんばかりに平伏していた。
「コーリン公爵様! どうか、どうか我がミルフォード子爵家をお救いください! 愚息が王都で大不祥事を起こし、このままでは我が家は……!」
対面に座るコーリン公爵は、ワイン片手に底意地の悪い目を細めた。
「ほほほ……話は聞いているよ、ハミルトン。大変なことになったねぇ。オルフェウス伯爵は怒り心頭、国王陛下も面子を潰されて激怒されているとか」
「そこをなんとか、公爵様のお力で穏便に……! 罪を『暗殺未遂』から『ただの不敬』あたりに揉み消してはいただけないでしょうか!」
必死に縋り付くハミルトンを見下ろし、コーリン公爵は冷酷に口元を歪めた。
「まあ、私ほどの伝手があれば、王宮の法務官や近衛に手を回して、事実を少々歪めるくらいは造作もないけれど……。タダで動くわけにはいかないだろう? ちょうど、我が家が経営する鉱山の人手が足りなくてねぇ……『百五十』で手を回してあげるよ」
「ひゃ、百五十ですか……っ!?」
ハミルトンは顔面を蒼白にした。
コーリン公爵が要求した「百五十」という数字――それは、ミルフォード領から「領民百五十人」を過酷な鉱山労働奴隷として差し出せ、という意味だった。
「そ、そんな……あまりにも、あまりにも横暴な……」
「おや、嫌なら断ってもらって構わないよ?」
コーリン公爵はワインを口に運ぶ。
「このままだとミルフォード子爵家は潰されて、領地はすべて国に没収されるんだ。一族全員が平民以下に叩き落とされる恐怖に比べれば、百五十など安いものでしょう? ほほほ……」
「……っ」
ハミルトンは血が出るほどに唇を噛み締めた。
選択の余地など、最初から無かったのだ。
「……わかり、ました。公爵様の仰せの通りにいたします。ですから、どうか……我が家の存続だけは……」
「賢い選択だ。すぐに手続きを進めよう。……ああ、それとハミルトン。ハオンという息子は、今回の件が片付いたら即座に籍を抜き、我が家の鉱山へ『第一号』として送ってもらうよ。自分の始末くらい、身を粉にして働いて返してもらわねばね」
「は、はい……」
ハミルトンは魂が抜けたように返事をした。
実家を救うために悪魔と契約を結ぶことになったミルフォード子爵。
彼らの身を焦がす破滅へのカウントダウンは、すでに始まっていた。




