スライムへの感謝と、鬼のロバート
1.ジュニアの導き
今後の石鹸開発、そして次なるビューティー計画について、リアナとユーグが熱く意見を交わしていた、その時だった。
リアナの足元に、トコトコと可愛らしい足取りでジュニアが近寄ってきた。そして、その小さな枝先でツンツンとリアナの脚をつついたのである。
「あら、ジュニアどうしたの?」
リアナが声をかけると、ジュニアは嬉しそうに葉を揺らし、倉庫の入り口のほうへと歩き出した。少し進んでは振り返り、じっとリアナを見つめてくる。どうやら「付いてきて」と催促しているようだ。
「今度は何かしら?ユーグ、帰ってそうそう悪いけれど、一緒についてきてくれる?」
「構いませんよ。ジュニアがこれほど明確に意思表示をしているのです、何か重要な発見があるかもしれません」
二人は開発に向けた話し合いを続けながら、ジュニアの小さな背中を追いかけて歩き出した。
「……あら、こっちの道は貯水池の方ね」
しばらく歩くと、やはり見慣れた貯水池へと到着した。
ジュニアは迷いのない足取りで、池の主である大きなスライム「ビック」の方へと歩みを進める。リアナの姿を見つけたビックは、嬉しそうにその巨体をプルンプルンと波打たせて歓迎した。
それを見たリアナは、顎に手を当てて興味深げに呟いた。
「ねぇ、あのビックの中に入ったら、一体どういうことになるのかしら? もっと凄い美容効果が得られたりして……」
その瞬間、後ろに控えていたエリーが、一歩も引かない決意を込めた目で「絶対にやめてください」と無言の圧をかけてきた。主人の突飛な行動を止めるのが、侍女としての役目である。
「もう、エリーったら。ゆずレモンの件を警戒しすぎよ?」
フッと口元を吊り上げ、エリーに向けて放たれた『悪魔の微笑』。
それを見たエリーは、過去の数々の無茶振りを思い出してブルリと身震いをした。お嬢様のこの笑顔の後に、ロクなことは起きない。
2.スライムにも種類がある
そんな主従のやり取りを気にする様子もなく、ビックとジュニアがこちらに向かって歩いてくる。
だが、今回はビックだけではなかった。なぜかビックの背後から、通常サイズのスライムが二匹、ちょこちょこと付いてきていたのだ。
リアナたちと少し距離を空けた位置で、二匹のスライムがピタッと動きを止める。
すると次の瞬間、その二匹がそれぞれの体内から、地面へ向けて勢いよく粘液を吐き出した。
「おや……?」
一匹が排出した粘液からは、ジジュウ……と怪しげな煙が立ち上がり、もう一匹が排出した粘液は、これまでのビックのドロッとした粘液とは違い、まったく粘り気がないように見えた。
その光景を見たユーグが、眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせて呟いた。
「ほう……そういうことですか」
「あら? ビックの粘液とは、明らかに性質が違うわね……」
不思議そうに首を傾げるリアナの横で、ユーグは手際よくその二つの液体に「鑑定」を施し、その驚くべき結果を口にした。
「はい、鑑定が終わりました。……驚きましたね。リアナ様、この二つの粘液、一つは『硫酸』、もう一つは『オイル』です」
「えっ……!? 硫酸と、オイル!?」
「ええ。どうやらスライムという魔物は、個体によって全く異なる性質の粘液を出す性質があるようですね。ビックが『保湿と癒し』なら、この子たちは別の成分を体内で生成しているということです」
感心したように顎を撫でるユーグの横で、リアナはあまりの衝撃に言葉を失っていた。
まさか、領地の貯水池に生息しているスライムたちが、自分たちの求めていた「工業原材料」そのものであるなど、誰が予想できただろうか。
「ジュニア、ビック……あなたたち、本当に最高のお手柄よ!」
リアナの歓喜の声に応えるように、スライムたちは再びプルンと体を揺らしジュニアは枝を揺らした。
3. 怒涛の追加発注
新たなスライムたちの能力が判明した瞬間、リアナの頭脳は驚異的な速度で「次なる工程」を弾き出した。
「決まりね。これだけ性質の違う液体が集まるなら、混ざらないように厳重に管理しなきゃ。……バロンに桶の追加と、ゼノに小屋の建設依頼ね!」
息を吐くように新たな業務を発注する主人を見て、エリーはそっと天を仰いだ。
(ああー……バロンさん、どうか死なないでください……)
エリーの脳裏に、過労で白目を剥きかけている鍛冶屋の親方の姿がリアルに浮かび上がる。何しろ、今のバロンのタスクは限界を超えて積み上がっていた。
現在のバロンへの依頼状況:料理改革のための「圧搾機」の製作
王宮から派遣された料理人、コルンのための「包丁の製作」
劇物やオイルを分けるための「白銀鉱の桶」の発注
「お嬢様、ゼノ商会への小屋の建設というのは?」
「貯水池のすぐ横に、スライムたちの粘液を安全に採取出来る桶を置く場所を追加で作ってもらって、ただ硫酸に関しては厳重に保管出来るようにしてもらわないとダメね」
「そもそも硫酸の使い道って何かしら……ミリアに丸投げすれば分かるかしら」
エリーのジト目がリアナに突き刺さる。
「エリーにも何か丸投げしてあげましょうか?」
「間に合ってますので結構です!」
手配の手順を決め終えたリアナは、しゃがみ込んで目の前の愛らしいジュニアやスライムたちに視線を合わせた。
「ジュニア、ビック、そしてスライムたち、本当にありがとうね。あなたたちのおかげで、この領地はもっと素敵になるわ」
ジュニアは、 嬉しそうに全身の枝葉をザーザーと揺らし、ビック&新顔スライムは、 リアナの言葉を理解したように、三匹揃ってプルンプルン、ポヨンポヨンと激しく体を波打たせて喜びを表現した。
「ふふ、可愛いわね。よし、今度、遊び道具でも用意するわ」
さらにスライムたちを甘やかすリアナ。この調子では、貯水池の魔物たちが完全にオルフェウス家の飼い犬(飼いスライム)になるのも時間の問題だった。
「さて、ユーグ。必要な材料の目処は立ったわ。今夜はひとまず、ユーグとアロンの帰還のお祝いとコルンの歓迎会をしましょう」
「おや、それは楽しみですね。アロンも長旅で腹を空かせています」
「『ロックバードの唐揚げ』と、私が仕込んだ『特製ビーフシチュー』が待っているわ」
リアナは満足げに微笑み、ユーグたちと共に屋敷へと歩き出した。
スライムのオイル、硫酸、美容液、すべてのピースがオルフェウス領に集まりつつあった。
いよいよ「料理と美と衛生の革命」が本格的に始動する。
3.恐怖の強行軍
――しかし、その一方で、王宮へ強制送還された「不純物」は、文字通りの地獄を見ていた。
ガッタンゴットンと、凄まじい衝撃が馬車を襲う。
王宮からオルフェウス伯爵領までは、通常の馬車で普通に走れば二日はかかる道のりである。
だが、御者台に座る騎士ロバートの心は、怒りで燃え上がっていた。我が主であるリアナ様に無礼を働いたばかりか、暴力まで振るおうとした大罪人。
ロバートの怒りの結果、馬車は中の人間の三半規管など一切お構いなしの猛スピードで爆走する。
車内でシェイカーの中の氷のように振り回され、生きた心地のしないまま、ハオンはわずか半日で王都へと連行されたのだった。
時刻は深夜遅く。
王都の巨大な正門はすでに閉ざされており、辺りは静まり返っていた。門の横にある詰所では、数人の見張り兵士が退屈そうに周囲を警戒しているだけだった。
そこへ、暗闇を切り裂くように猛烈な土煙を上げる一台の馬車が凄まじい勢いで停車した。
「な、なんだ!? 何事だ!」
見張りの兵士たちが慌てて槍を構え、警戒を強める。
御者台から飛び降りたのは、埃にまみれながらも眼光を鋭く光らせたオルフェウス家の騎士、ロバートだった。
「私は、オルフェウス伯爵家の騎士ロバートである!」
凛とした声が夜の空気に響く。
「『リアナ・ド・オルフェウス伯爵令嬢暗殺未遂』の容疑により、現行犯としてハオン・フォン・ミルフォード子爵令息を連行した。速やかな引き渡しを願う!」
「な……ッ!?」
ロバートは言うが早いか、馬車の扉を乱暴に開け放ち、中に転がっていたハオンの襟首を掴んで外へと引きずり出した。
ドサッ!!!
「お、おろ、ろろろ……ごほっ、げほっ……!」
地面に無様に転がされたハオンは、あまりの馬車酔いと恐怖、そして極限の疲労により、顔面を土色にして嘔吐をこらえていた。かつての王宮厨房主任としてのプライドなど、一微塵も残っていない。
突然の「伯爵令嬢暗殺未遂」という超弩級の爆弾発言、そして引きずり出されたのが子爵家の令息という事実に、詰所の兵士たちは完全に硬直した。
「え? あ、暗殺未遂……!? 子爵家の……ええい、少し待っていてくれ!」
深夜の詰所の中は大混乱に陥り、兵士たちが大慌てで上層部への連絡と対応について怒鳴り合いを始めた。
冷徹な目で見下ろすロバートの足元で、ハオンはただガタガタと震えることしかできなかった。リアナを「田舎の小娘」と侮った代償は、あまりにも重く彼にのしかかろうとしていた。




