「不純物」の正体と、美の神様
1.勘違いの貴族社会
リアナはふと疑問を口にした。
「……ねぇエリー、そもそもこのオルフェウス伯爵領って、そんなに『田舎』扱いされるような場所かしら? それに、あの方の家柄……爵位はこちらの方が上よね?」
「はい、お嬢様。当然ながら伯爵家の方が、子爵家よりも格上です。本来なら、あちらが膝をついて挨拶すべき相手です」
「やっぱりそうよね。お父様以外の人間は全員、自分より格下だとでも思っていたのかしら……。王宮にいたから、自分が王族にでもなったつもりだったのかしらね」
リアナは呆れた。実力も礼節も伴わない「プライドの塊」ほど、扱いにくいものはない。
「それにしても、ミルフォード子爵……。どこかで聞いたことがある名前だと思っていたのだけれど……」
「え? お忘れですか? 例の『ゆずレモンの木』がある領地ですよ」
エリーの言葉に、リアナの記憶が鮮明に蘇った。
「ああ、あそこ……! あの、素晴らしい素材の価値に気づかず、ただの『酸っぱいだけの邪魔な木』として放置していた無能な領主の……」
オルフェウス領を彩るあの黄金の果実、その元株がある、まさにハオンの実家であるミルフォード領だったのだ。
「なるほどね。あの土地から、あの素晴らしい果実の可能性を見出せなかった一家の息子なら、あんな態度なのも納得だわ。……不純物は所詮、どこまでいっても不純物なのね」
「素材の良さを活かせない人間が、料理の頂点である王宮の厨房にいたなんて……。王国の食文化の未来が心配になってくるわ」
「本当です。でも、幸いなことにここには『コルン』が残りました」
エリーが視線を向けた先では、残されたコルンが「僕、頑張りますから!」と涙目でアロイスに訴えていた。
「そうね。素材の価値を知る者だけが、私の厨房にはふさわしいわ」
2.代用品で作る「漆黒のシチュー」
ユーグの帰還と、新たな弟子コルンの歓迎を兼ねて今夜の献立は、騎士団に絶大な人気を誇る「ロックバードの唐揚げ」と、メインの「ビーフシチュー」にすることにした。
「アロイス、唐揚げの仕込みは任せるわね。シチューの方は、私が指示を出すわ」
本来、ビーフシチューにはケチャップやトマトの酸味が欲しいところだが、この世界にはまだそれらがない。リアナは「前世の記憶」から、奥行きのある「コク」を生むための調味料を模索した。
ウスターソース:伯爵家で熟成させた秘伝のもの。
味噌 & 赤ワイン:深い発酵の旨みと渋みを加える。
蜜芋糖 & 蜂蜜:カドを落とし、艶やかな照りを出す。
「味噌に、……蜂蜜ですか? 本当にお嬢様の組み合わせには驚かされますな」
アロイスは感心しながらも、手際よく指示された瓶を並べていく。
「オニン(玉ねぎ)とキャロテ(人参)を切ってちょうだい。ホーンバッファロー(牛)は大きめのブロックに。あと、そこにあるスプオニン(長ネギ)もお願い」
(スプリングオニオンを略してスプオニン……。この世界、ネーミングセンスが微妙に前世に近いのが不思議よね)
リアナの指示が飛ぶと、料理人たちが一斉に動き出した。
その鮮やかな包丁捌きに、コルンは目を丸くして立ち尽くす。
「……っ、速い! それに、あの切り口の美しさはいったい……?」
特に驚いたのは、包丁の切れ味だ。
食材に刃を乗せただけで、抵抗なく吸い込まれるように切れていく。コルンが持っている包丁も宮廷の職人に研いでもらった一級品だが、ここの料理人たちのそれは、まるで別次元の「鋭利な意志」を感じさせた。
ハマンがふと手を止めると砥石を手元に置き、包丁を研ぎ出した。それを見ていたコルンが驚く。
「え?自分で包丁を研ぐのですか?」
隣でキャロテを刻んでいたハマンが、手を止めずにコルンに言った。
「コルン、君は自分で刃を研がないのかい?」
「あ……はい。研ぎはいつも、宮廷の武器職人の方にお願いしています。それが一番正確だと教わりましたので……」
「なるほど。でも、この厨房では通用しないよ。リアナ様は、料理人が自分で道具を管理しないことを認めないからね」
リアナの教え『包丁は自分で管理する。研ぎが出来て半人前、研ぎが出来なければ素人』
ハマンは手元の砥石を指し、鋭く、しかし温かい視線を送った。
「『切れ味が悪いと、食材の細胞が潰れて雑味が出る』。それがお嬢様の教えだ。ここでは自分の包丁は、自分の手で毎日研ぐ。細胞一つ壊さない切り口こそが、最高の味を生むんだよ」
「細胞……。食材の、命を壊さないということですか……」
コルンは自分の包丁を見つめ、ハオンの陰に隠れていた自分には足りなかった「職人としての覚悟」を突きつけられた気がした。
厨房には、肉が焼ける香ばしい音と、野菜が炒められる甘い香りが立ち込め始めた。
「肉は表面を強火で焼き付けて、旨味を中に閉じ込めるのよ! 野菜は弱火でじっくり炒めて、甘みを引き出して。……そう、その調子!」
リアナの指示が飛ぶたびに、鍋の中の料理が「生命力」を帯びていく。
赤ワインと味噌にウスターソース、そして蜜芋糖と蜂蜜が混ざり合い、ソースは艶やかな琥珀色から深い漆黒へと変わっていく。
(よし、いい感じ。あとはじっくり煮込むだけ……)
「そろそろ時間かしら」
リアナはジョアンナ夫人の講義の時間が近づいていることを察した。
夕食の準備が佳境に入る中、メイドが厨房へとやって来た。
「リアナ様、ジョアンナ夫人より伝言です。急用が入ったため、本日の講義は中止にしたいとのことです」
「あら、そうなの。……珍しいわね」
リアナは内心で「ラッキー!」とガッツポーズを作った。これで、帰還したユーグとじっくり「研究」に没頭できる時間が確保できたからだ。
「アロイス、あとはよろしくね。……あ、ハマン。あとでコルンをバロンとハンスのところへ連れて行ってちょうだい。ハンスには握り(柄)を、バロンには包丁を頼んで。……コルン、研ぎができるようになるまで、あなたは包丁禁止よ」
「は、はいぃっ!」
コルンは身を引き締めて返事をする。リアナは満足げにうなずくと、自室へと戻った。
3.「ポチ」の加護と粘液の秘めた力
しばらくすると玄関ホールでは、旅の埃を払うユーグとアロンの姿があった。
「ユーグ、アロン、ご苦労さま。道中、特に問題はなかったかしら?」
「はい。目的の素材はすべて無事に採取できました」
アロンが少し拍子抜けしたような顔で付け加える。
「……不思議なことに、森の深部まで入ったのに魔物はおろか、野盗にも遭遇しませんでした」
「あら、そうなの」
(そんなに頻繁に出るものなのかしら……)
リアナは、ポチに守られているため、未だに魔物や野盗に遭遇したことがなかった。
「ユーグ、聞きたいことがあるの。……この世界に、『酸』を識別できる植物はないかしら?」
「酸……ですか? それはまた、どこで使うつもりですか?」
「ふふ、こっちよ」
リアナはユーグを連れて、ビックのスライム粘液を保管している特設倉庫へと移動した。大きな桶の中に溜められた、透明でとろみのある不思議な液体。
「これなんだけど、性質を詳しく知りたくて……」
リアナが説明し終わるか終わらないかのうちに、ズボッという音が響いた。
「えっ!? ユーグ、何をしているの! 危ないわ!」
驚愕するリアナたちの前で、ユーグは何の躊躇もなく、その未知の粘液の中に右手を突っ込んでいた。
「あ、突然すみません。……手は大丈夫です、手を入れる前に『鑑定』で害がないことは確認しましたから」
ユーグは平然と手を引き抜き、粘液まみれの手をじっと見つめた。
「ユーグ!手を入れる前に言いなさい!心臓に悪いわ」
リアナとユーグのやり取りを聞きながらエリーがジッとリアナを見つめていた。
「エリー何か言いたそうね」
「いえ、何もありません」
「目が何か言いたそうにしてるわよ」
「目は、しゃべりません」
ゆずレモンを警戒してかエリーはそれ以上しゃべることはなかった。
「まあいいわ、で、鑑定の結果はどうだったの?」
リアナが呆れながら尋ねると、ユーグは「植物博士」としての冷徹かつ正確な分析を口にした。
「はい、驚きました。この粘液には極めて高い『保湿効果』と、細胞の活性化を促す若干の『癒し効果』があります。人体への毒性はありません」
「保湿と、癒し……!……完璧だわ!」
リアナの瞳が、宝石のように輝き出した。
「これがあればハンドクリームが作れるってことね! 」
リアナが感動に浸っていると、アロンが恐る恐る尋ねる。
「本当に害は無い、という認識でよろしいのですか?」
ユーグは確信を持って頷いた。
「ええ、害はありません。むしろ、怪我の治りを早める補助剤にもなるでしょう」
ユーグは、粘液の不思議な感触を楽しみながら答えた。
(……よし、これでピースが揃ったわ)
リアナの頭の中では、スライムのビックが「美容の神様」へと格上げされていた。




