令嬢の常識と、領民の非常識
1.丸投げされる「爆弾」
ボンズがリアナを見てパニックになっている中、リアナはこめかみを押さえ深いため息をついた。
「はぁ、またなの……。バロン!ボンズが落ち着いたら、その設計図を見せてあげて。鉄の『歯』の精度が求められる道具よ。これが完成すれば、領地の小麦やポロの実の生産効率が上がるわ」
リアナは手に持っていた数枚の羊皮紙――農作業の設計図――をバロンの胸に押し付けた。
「へ、へい……。って、お嬢様、この状態で俺一人に任せるんですかい!? こいつ、今にも泡吹いて倒れそうですぜ!」
「知るもんですか。なぜ伯爵家に呼ばれた程度で、みんな揃いも揃って思考がおかしくなるのよ」
不満げに唇を尖らせるリアナ。彼女からすれば、ただ「仕事の依頼」をしただけなのだ。そこに身分の差を持ち込んでフリーズされるのは、効率が悪くて仕方がない。
そんなリアナの態度に、隣に控えていたエリーが冷静な、しかしどこか鋭いツッコミを入れた。
「……リアナ様。それは『庶民の正しい反応』です。というか、むしろ正常です」
「なによ、エリーまで」
「逆に、王家に呼ばれても、高位貴族に囲まれても、全く態度を変えずにマイペースを貫くリアナ様の方がおかしいのです」
「変人みたいに言わないでもらえるかしら! 私だって緊張することくらいあるわよ。たとえばそう……黄門様に会ったりしたら、さすがの私だってガチガチに緊張するわ!」
思わず前世の記憶が漏れ出し、リアナは力説した。
あの印籠の威力、そして最後に必ず正義が勝つ圧倒的な様式美。日本人なら誰もが平伏するあの御方に会えば、緊張しないはずがない。
しかし、この異世界に「黄門様」など存在するはずもなく。
「え? ……コウモンサマ? 何ですかそれは? どこかの隣国の高名な王族か何かですか?」
エリーが眉をひそめて首を傾げる。
「……気にしないでいいわ! とにかく、私は緊張する相手がちゃんといるって言いたいだけよ!」
2.未知の農機具「千歯扱き」
リアナは強引に話を打ち切った。バロンは手渡されていた設計図に目を落とした。そこには、多数の鋭い鉄の歯が櫛のように並んだ不思議な台座が描かれていた。
構造: 頑丈な木製の台座に、均等な隙間を持たせた鉄の歯が並ぶ。
用途: 収穫した穀物の穂をその隙間に通し、引き抜くことで一気に脱穀する。
革新性: 手作業で行っていた脱穀作業を数倍、数十倍の速さに短縮する。
リアナは設計図を見ているバロンにふとした疑問を口にした。
「でも不思議なのよね。この『千歯扱き』だって、仕組みは単純じゃない。誰でも思いつきそうなものだけれど、どうして今まで誰も作ろうとしなかったのかしら?」
「お嬢様、それは『思いつくけど、やらない』が正解なんですぜ」
バロンが重い槌を置き、汗を拭いながら答えた。
「あら、どうして? 便利になればみんなが楽になるのに」
「……お金を出して生産効率を上げる意味が、農民には無いからですよ」
バロンの言葉は、この世界の残酷な社会構造を端的に表していた。
この世界において、農民が耕す畑はすべて領主の所有物である。農民は割り当てられた土地で、決められた量の作物を育てる義務を負う。収穫物の大部分は貢納として徴収され、手元に残るのは、家族が一年食べていけるかどうかも怪しい微々たる蓄えだけだ。
農具を自費で開発・改良する余裕などどこにもなく、仮に効率を上げて収穫量を増やしたとしても、その分だけ貢納の割合が吊り上がるか、領主の取り分が増えるだけなのだ。
「そんなの、貴族(領主)が自分でお金を出して開発させればいいじゃない。自分の領地が潤うのよ?」
リアナの至極真っ当な「現代的経営感覚」に、すかさずエリーの鋭い指摘が入る。
「リアナ様、先ほども申し上げましたが、領主にそんな意見を言える者はいません」
「でも、陳情という制度があるじゃない。町長や村長たちがお願いに行くような……」
「陳情はできます。ですが、それは『不作なので税を下げてほしい』と泣きつくためのものです。領主様に向かって『お金を出してください』なんて言える度胸のある領民はいません。不敬罪で首が飛びかねませんから」
3.「効率化」が招くさらなる重労働
さらに、バロンが追い打ちをかけるように付け加えた。
「それに、生産効率を上げても、結局はやる事が増えるだけなんですぜ」
「手が空いたら、別の仕事を振られるだけです」
効率化によって浮いた時間は、農民の「休息」にはならない。領主や役人がそれを見逃すはずがなく、空いた時間には別の畑を耕させられるか、土木作業などの雑用を押し付けられるのがオチなのだ。
そして何より、この世界の「農業」には、地球の常識とは異なるファンタジーな理由による過酷さがあった。
この世界の畑には、「土の魔石」が埋め込まれている。
通常、作物を育てれば土地の栄養は枯渇し、休耕地を作るなどの対策が必要になる。しかし、魔石に魔力を補充するお金(あるいは魔導師の派遣費用)さえあれば、大地の栄養が枯れることはない。
メリット: 凶作のリスクが減り、永遠に作物を作り続けられる。
デメリット: 土地を休ませる必要がないため、農民は一年中、休みなく働き続けなければならない。
「つまり、魔石があるせいで『土地の限界』が来ないから、領民が限界まで働かされるってことね……」
リアナは、この世界の農業が一種の「ブラック企業」のような構造になっていることに気づき、戦慄した。
「これを広める意味は農民には無いってことね」
「そうなりやすね……」
(どこの世界も一緒ね、改善しても仕事が増えるだけとよく常連さんが愚痴ってたわ)
どこの世界でも生産効率を上げればさらに違う仕事を任される。楽になるための改善も企業にとっては任せられる量が増えるに過ぎない。
「それに関してはお父様に根回しをしておくわ。収穫が増えても税率は増やさないように、というわけでバロン、そこで瀕死になっているボンズにしっかりと説明しておいてね」
リアナが悪魔の微笑をするとバロンの背中に悪寒が走った。
「は、はい!……」
「さてと、私は次へ行くわね。あとはよろしくね」
呆然とするボンズをバロンに押し付け、リアナは軽やかな足取りで鍛冶工房を後にした。鉄の匂いから逃れるように少し歩くと、木の香りが漂うハンスの木工工房が見えてくる。
「ハンス、作業は進んでるかしら?」
「リアナ様、お待ちしておりました。今はちょうど、ご依頼いただいた水車の設計を詰めているところです」
ハンスは大きな図面を広げていた。この世界にも小麦を挽くための水車は存在するようだが、リアナが求めているのはそれとは少し毛色が違うものだった。
「ハンスは、水車を作るのは初めて?」
「いえ、近隣の村の小麦用で何台か手がけたことがあります。構造自体は頭に入っていますよ」
「あら、なら安心ね。(……小麦用はあるのね。やっぱりこの世界、変なところで技術が偏っているわ)」
リアナは前世の記憶を頼りに、さらに具体的な指示を加えた。
「小麦は臼で『挽く』けれど、今回やりたい『ポロの実(米)』は臼で『つく』のが正解なの。だから、石職人さんには、この図のように中を丸く掘ってもらいたいの。そこに突棒をセットして、循環するように工夫すれば……」
「なるほど……。突くことでポロの実同士を擦れ合わせ、周りの糠を落として白くする、というわけですか。非常に理にかなっています」
「助かるわ。石職人さんへの説明も、ハンスからお願いしてもいいかしら? どうせ私が行っても、また驚かれて話が止まっちゃうだろうし……」
「ハハハ……確かに。お嬢様の『常識』は、職人にとっては衝撃が強すぎますからね」
設置場所の問題をハンスに託し、リアナは次の目的地へと向かった。




