職人の誇りと、蜜芋糖の誕生
1 採取部隊、いざ森へ
数日後、ユーグがアロンを伴い、植物の採取へと出発する準備を整えた。
「ヨハネスには、最低限の管理の仕方を教え込みました。……何事もなければ、四日ほどで戻ります」
「分かったわ。無理はしないでね」
「はい、それでは、行って参ります」
「ええ、お願いね。アロン、ユーグを頼んだわよ」
「は!」
騎士としての矜持を取り戻した(ように見える)アロンが力強く応じ、二人は裏庭から森へと消えていった。工房に残されたヨハネスが、不安げな顔で味噌の樽をかき混ぜる姿が目に浮かぶが、リアナの意識はすでに次の工程へと向いていた。
2.圧搾機の完成と、完璧な白銀鉄の器
次にリアナが向かったのは、バロンとハンスが待ち構える鍛冶工房だった。扉を開けるなり、バロンが手ぐすね引いて駆け寄ってきた。
「リアナ様、ようやく完成しましたぜ!」
「よくやったわ、バロン、ハンス。みんなもお疲れ様」
そこには、鈍い光を放つ金属製の「圧搾機」が鎮座していた。バロンが誇らしげにハンドルを回すと、計算され尽くした歯車が噛み合い、滑らかに車軸が回転する。
「どうでい、この動き! 摩擦を極限まで減らして、力を逃がさねえように工夫したんですぜ」
「完璧ね。これなら硬い種子からも効率よく油が搾れるわ」
「あとは、例の桶もできてますぜ。白銀鉄を贅沢に使って、継ぎ目も特殊な工法で埋めときました。スライムの粘液だろうが何だろうが、液漏れもしねえのでバッチリですぜ!」
「バロンたちが居ると本当に助かるわね」
リアナが微笑むと、バロンは鼻の下をこすりながら相好を崩した。だが、職人たちの苦労は、ここからが本番であることを彼らはまだ知らない。
リアナは完成した圧搾機を満足げに眺めた後、図面を広げているハンスに向き直った。
「さて、次は領地の主食?である『ポロの実』の収穫に合わせて道具を揃えるわよ。ハンス、新たな依頼よ」
告げられたのは、三つの道具だった。
水車: 動力を安定させ、大規模に米に付いている糠を自動で削ぎ取る。
千歯扱き(せんばこき): 穂から実を効率よく引き抜くための櫛状の器具。
千石通し(せんごくとおし): 傾斜を利用して、良質な米と籾や糠を効率的に選別する装置。
「ポロの実を量産するには、手作業じゃ限界があるわ。この三つを組み合わせて、効率化を図るのよ」
ハンスは図面を食い入るように見つめ、その構造を理解しようと唸った。
「……なるほど、木造で土台は組めますが……。強度がいる部分や、回転軸、それに千歯扱きの『歯』の部分。うーん……どうしても鉄の部品が必要になりますぜ」
ハンスがポツリと漏らすと、リアナとハンスの視線が、自然と同じ方向へと向けられた。
そこには、先ほどまで「完成の喜び」に浸っていたバロンが立っている。
「……えっ」
バロンの顔から血の気が引いていく。圧搾機を終えたばかりの彼に、今度は「水車の軸」と「無数の鉄の歯」という大量の発注が降ってこようとしていた。
「バロン……お願いできるわよね?」
リアナの慈愛に満ちた(逃げ場のない)笑顔に、バロンはただ、天を仰いだ。
(多分……これを受けたら、俺は……俺は……)
リアナからの依頼の図面を前に、腕利き鍛冶屋のバロンはついに限界を迎えた。震える指で頭を掻き、恐る恐る、しかしはっきりとリアナに告げた。
「リアナ様……申し訳ねえ。さすがに、これ以上は出来ません」
その場にいたエリーと、図面を引いたハンスまでもが息を呑んだ。あのお嬢様の依頼を断る。それが何を意味するか、これまでの「被害者?」たちの顔が脳裏をよぎったからだ。だが――。
「あら、仕方ないわね」
リアナは拍子抜けするほどあっさりと引き下がった。その反応に、バロンとエリーが同時に「え?」と声を上げた。
「……なぜ、あなたたちは驚いているのかしら?」
「えー、だって、リアナ様が……もっと、こう、笑顔で追い込んでくるかと……」
「私を悪魔か何かだと思っているのかしら。出来ないものをやれとは言わないわ。あなたが『出来る』というから、今までやってもらっていただけよ」
バロンは「断る勇気がなかっただけなんだが……」と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。だが、リアナが諦めたわけではないことを、彼らはすぐに知ることになる。
3.リグナスの鍛冶工師
「バロンがダメなら、他を当たればいいだけよ。……うーん、オルドの手を止めるのもダメね。バロン、誰か腕の良い知り合いは居ないかしら?」
「へ、へい……」
(くそ!オルドは、無理か……。だが、ここで俺が引き受けたら今度こそ死ぬ。誰か、誰か身代わり……いや、適任者はいないか……!)
バロンは必死に脳内名簿をめくり、一人の男を思い浮かべた。
「リグナスに居るボンズはどうですか?」
「どんな人なの?」
「オルドほど器用さはねえですが、水車の回転軸や、千歯扱きの鉄の歯を作るくらいなら、問題なくこなせるはずですぜ。力仕事と実用的な鉄細工に関しては右に出る奴はいません」
「分かったわ。じゃあ、そのボンズさんに手紙を書くわね」
リアナはすぐに筆を執った。
エリーは横から「リアナ様、分かってますよね? 相手を驚かせないように、丁寧な言葉で……」と念を押したが、リアナは「ええ、心得ているわ」と自信満々に頷いた。
書き上がった内容は以下の通りである。
『作成依頼があるので、明日の朝、迎えをよこします。』
――リアナ・ド・オルフェウス
「……エリー、これでいいかしら?」
「はい、いいと思います……。文面は、簡潔で分かりやすいですね……」
エリーは乾いた笑いと共に頷いた。だが、内心では激しく突っ込んでいた。
(何を書こうと、伯爵家からいきなりこんな手紙が届いたら怖いわね!? しかも『明日の朝、迎えをよこす』って、実質的な拉致に近いというか、拒否権ゼロじゃないですか……!)
「さあ、決まりね! 明日の朝にはボンズさんも加わって、農業革命が加速するわ!」
リアナは満足げに手紙を閉じ、封蝋を施した。バロンは「すまねえ、ボンズ。死ぬ気で頑張ってくれ……」と、リグナスの空に向かって心の中で手を合わせた。
こうして、新たな「技術者」がリアナの計画に巻き込まれることが決定した。
翌朝、リグナスの町に伯爵家の馬車が現れたとき、職人ボンズがどのような反応を見せるのか。それは神のみぞ知る。
その頃のオルドは、ケリーからの「もっと肉を挽きやすくしろ!」という怒号の中で、リグナス方面に漂う不穏な空気を感じ取っていた。
4.嵐を呼ぶ伝令
バロンが精魂込めて作り上げた圧搾機が完成し、リアナは即座に次なる一手へと移った。
「バロン、悪いんだけど圧搾機をゼノの商会まで運んでくださる?」
「ロバートはゼノに圧搾機の設置と、試作を行うと伝えてくれるかしら」
「承知いたしました」
ロバートは鍛冶工房を後にすると、足早にゼノの商会へと向かった。
商会に到着し、受付のスタッフに声をかける。
「すまない、私はオルフェウス伯爵家で騎士をしているロバートという。ゼノ殿はいらっしゃるか?」
「し、少々お待ちください!」
騎士の突然の訪問に、受付のスタッフは慌てて奥へと駆け込んだ。しばらくして、少しやつれた、しかし目を爛々と輝かせたゼノが顔を出した。
「これはロバート様。どのようなご用件でしょうか?」
「リアナ様よりの伝言だ。今から圧搾機の試験運用をしたい。ついては、商会の工房に設置する準備を整えるように、とのことだ」
「えっ!? ……いま、今からですか……」
ゼノは一瞬天を仰いだが、すぐに商人の顔に戻った。
「分かりました。すぐに人を集めます!」
貴族向けの「蜜芋糖」の製造をゼノの商会で行うことは以前から内定していた。そのため、工房の清掃や芋を煮詰める大釜の準備は万全だったのだ。リアナの「急すぎる申し出」に対応できるだけの備えをしていたゼノの商売感覚は、もはや驚嘆に値する領域に達していた。
商会の工房には、大量の蜜芋が次々と運び込まれた。
そこへ、巨大な荷台に圧搾機を積んだ馬車が到着する。バロンたちは手際よく、設置作業に取り掛かった。
「リアナ様、どの辺りに据え付けましょうかい?」
「そうね、ここにお願いするわ」
「へい、分かりやした!」
馬車から降り立ったリアナの指示に従い、バロンたちは地面を水平に均し、強固な鉄板を敷いた。その上に、あの精緻な歯車が組み込まれた圧搾機を組み立てていく。
「リアナ様、動作確認終了です。いつでもいけますぜ」
「バロンたち、本当にありがとう」
リアナは満足げに頷くと、待機していたゼノに向き直った。
「ゼノ、蜜芋を切って煮詰めてくれるかしら」
「はい、みんな! 取り掛かるぞ!」
ゼノの号令で、スタッフたちが一斉に動き出した。蜜芋を丁寧に洗い、皮の汚れを除去する。次に、糖分が溶け出しやすいよう、短冊状に手際よく切り分けていく。
5.蜜芋糖、抽出の瞬間
工房の窯では火が焚かれ、大鍋の水が沸騰の時を待っていた。
火入れ: 沸騰したお湯に切り分けた蜜芋を投入し、火を止める。
静置: そのまま一時間放置し、じっくりと糖分を湯に溶け出させる。
分離: 蜜芋と糖液を分け、水分をたっぷり含んだ蜜芋を「圧搾機」へ。
圧搾: バロンの機械が唸りを上げ、蜜芋から最後の一滴まで濃密な糖液を搾り取る。
煮詰め: すべての糖液を合わせ、弱火から中火で焦がさないよう、とろみが出るまで煮詰める。
工房の中に、芋の甘い香りが充満していく。やがて、琥珀色に輝く艶やかな液体が完成した。
リアナは木製のスプーンでその液を少しすくい、ゆっくりと味を確かめた。
「……いい感じね。みんなも、少しだけ味見してみて」
言われるままにゼノやスタッフ、そしてバロンたちが口に含む。
その瞬間、全員が驚愕の表情で固まった。
「な……なんだ、この濃密な甘みは……!?」
「ただの芋が、これほど高貴な味になるのか……」
「あとはこれを乾燥させて粉末状にすれば、『蜜芋糖』の完成よ。ゼノ、これからの量産、やれるかしら?」
「はい! もちろんです、問題ありません!」
ゼノは興奮を抑えきれない様子で、琥珀色の液体の山を見つめた。
「まずは、これを好きなだけ作って、貴族たちに高く売り捌きなさい。……でも、時が来たら値段を下げて、庶民でも買えるようにしていくわよ」
「……心得ております」
「ジョアンナ侯爵夫人には私から根回しをしておくわ。あの人がお茶会で一言『このお砂糖、素晴らしいわ』と言えば、注文書が山のように届くはずよ」
リアナは、すでに社交界に広まる「甘い革命」の図を描いていた。
石鹸による清潔、そして蜜芋糖による至福。
オルフェウス領の特産品が、王国の経済を揺るがす日はすぐそこまで来ていた。




