ジュニアの献身と、月香蜂の行方
1. 職人たちへの容赦なき追加発注
ユーグのもとへと向かう道すがら、リアナは隣を歩くラウルに話しかける。
「ラウル、スライムの粘液に耐えられる器ってあるの?」
ラウルは少し考え込み、記憶の引き出しを漁った。
「……白銀鉄なら、耐えられると思います。あれは酸や腐食に非常に強い素材ですから」
「じゃあ、白銀鉄で桶を作って、そこに粘液を入れてもらえばいいわね。……バロンに依頼することになるわね」
リアナがさらりと口にした名前に、エリーの口から「え?」という困惑の声が漏れた。
「リアナ様、バロンさんたちは今、圧搾機の改良で手一杯のはずですが……」
「問題ないわ。圧搾機みたいな精度はいらないもの。液漏れしなければいいだけだし、バロンなら片手間にやってくれるわよ」
(さらに別の仕事が追加されるんですね……。バロンさん、どうか生きてください……)
エリーは心の中で、領内屈指の腕利き鍛冶屋に同情の涙を禁じ得なかった。だが、リアナの快進撃は止まらない。
「あとは、粘液が雨で濡れないように掘っ立て小屋が欲しいわね。それはゼノに依頼しましょう」
次々と割り振られる新たなタスク。それを黙々と聞き届けるラウルの横で、アロンだけが「この人たちは本当に人間を動かすことに容赦がないな」と戦慄していた。
そうこうしているうちに、一行はユーグの工房へと到着した。建物の外には、相変わらず発酵臭と薬草の匂いが混じり合って漂っている。
「さて、ここからが本番よ」
リアナが気合を入れ直すと、ラウルが重厚な扉を開けた。中に入ると、無数の瓶や乾燥中の薬草、そして実験器具が所狭しと並んでいる。
「ユーグ、居るかしら?」
リアナの声が工房内に響く。少しの静寂の後、奥の棚の影から、ひょっこりとやつれた顔の男が現れた。
「あ、はい」
植物学者のユーグである。彼は今、リアナから命じられた「味噌・醤油・酒・納豆」の重要な発酵食品を管理している。
「お嬢様……今日は一体、どのようなご用件で……?」
「ユーグの植物の知識を借りたいのよ」
リアナは、ミリアが書いた羊皮紙のメモをユーグに見せると、ユーグは、リストに記された植物の名前を一つずつ確認しながら、重い口を開いた。
「お嬢様、ここに書かれている花や草、すべて分かります」
「さすが植物学者ね」
「恐縮です。……ただ、いくつか問題がございまして。まず、この『芯命樹』ですが、別名『死命樹』と呼ばれています。不用意に傷をつければ、即座に襲いかかってくる非常に危険な魔物の一種です」
「え? 木が襲ってくるの?」
リアナが驚いて聞き返すと、ユーグは視線を泳がせ、部屋の隅にいるジュニアをチラリと見た。
「はい。まさに、そこにいらっしゃる樹木がその『芯命樹』の類かと思われます……」
その言葉に、リアナはハッとしてジュニアを見つめた。
「あら、ジュニアが芯命樹なのね……樹液を取るためにポチやジュニアを傷つけるなんてダメね」
「……葉にも同じ効能はありますが、自然に落ちた枯れ葉には力が宿りません。生きた葉を摘み取る必要がありますが、それは結局、彼らを傷つけることに変わりありませんので」
「却下ね。他の物で代用しましょう」
リアナが即座に断言した、その時だった。ジュニアがリアナの足元に近寄り、枝の先でツンツンと彼女の足をつついた。
「あら、ジュニアどうしたの?」
ジュニアは自らの枝を震わせ、青々と茂った葉の中から、特に瑞々しい三枚の葉を差し出してきた。
「え? ダメよ、自分を傷つけちゃ」
リアナが制止するが、ジュニアは枝を小刻みに、そして力強く振る。まるで「構わない」と言っているかのようだ。
「え? 痛くないの?」
リアナの問いかけに、ジュニアはわさわさと枝を揺らして答えた。
「……分かったわ。ジュニア、ありがとう」
受け取った葉を大切に握りしめると、ジュニアは心なしか照れているように見えた。その微笑ましい(?)光景を横で見ていたアロンは、ついに耐えきれず一人で頭を抱えた。
(誰も……誰もおかしいと思わないのか?! 魔物が自分から素材を差し出して、人間と意思疎通してるんだぞ?!)
アロンの叫びは、誰にも届くことはなかった。
2.月香蜂と生態系
「次に月香花ですが、花そのものを手に入れるのは困難ですが、月香花から採れる『蜂蜜』なら……。ただ、それを集める月香蜂は乱獲により激減しており、現在は芯命樹と共生することで身を守っていると言われています」
「え? ということは、ポチのところに居るの?」
「確認したわけではありませんが、可能性は高いかと……」
リアナの目がキラリと光った。ポチとジュニアがいれば、希少な素材すら向こうからやってくるのかもしれない。
「あとでポチに確認してみるわ。……他の物は揃うのね?」
「はい。群生地も把握していますので、容易に揃うかと。ただ……」
ユーグが言い淀み、工房の隅に並んだ樽を見た。
「私がここを離れられないのが問題でして。毎日、味噌や醤油をかき混ぜて状態を確認しなければなりませんから」
「そうね……。発酵は一日にして成らず、だものね」
3.熟練の木こり、工房へ現る
工房の扉が勢いよく開け放たれた。
「おーい、ユーグ居るか?」
入ってきたのは、ユーグの唯一の親友であり、領内随一の腕を持つ木こりのヨハネスだった。彼は工房の空気を一変させるような屈強な体躯をしていたが、その視線が工房の片隅に留まった途端、ピタリと動きを止めた。
「うお! 何でこんな所に芯命樹の子が居るんだ」
長年、森で木々と向き合ってきたヨハネスにとって、それは一目で分かることだった。普通の木とは異なる、微かな殺気と生命の輝き。それが「芯命樹」であることを、彼の五感が察知したのだ。
「あら、すぐに芯命樹って分かるなんて、使えるわね」
「え? 子どもの声……?」
ヨハネスが声のする方を向くと、そこには騎士たちと、侍女のエリー。そして、その中心に可憐な少女――リアナが立っていた。
「初めまして、リアナ・ド・オルフェウスよ」
ヨハネスは慌ててその場に膝をついた。噂には聞いていたが、まさかユーグの工房で伯爵家の令嬢と対面するとは夢にも思わなかったのだ。
混乱するヨハネスを尻目に、リアナは畳み掛けるように口を開いた。
「ヨハネス、頼みがあるんだけどいいかしら」
リアナがヨハネスにお願いした瞬間、エリーは心の中で思った。
(あ、ヨハネスさんに白羽の矢が立った!)
「え? あ、はい……?」
ヨハネスが困惑しながら生返事をした瞬間、リアナは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。助かるわ」
(え? 俺は、いま承諾した……のか?)
ヨハネスの頭の上に「?」が浮かぶ。断る隙間すら与えない、見事な交渉術だった。
「ユーグ、ヨハネスにやり方を教えてちょうだい」
「教え終わったら、アロンを連れてすぐに採取に向かってちょうだい」
「分かりました」
リアナはまるで、今日最初から決まっていた予定をこなすかのように、次々と指示を出す。
「アロン、お父様には私から言っておくわ」
「え? 俺?」
いきなりの指名に驚き、アロンは呆気にとられた。
自分の平穏な一日が、今まさに崩れ去ろうとしていることに気付いたからだ。しかし、彼が抗弁しようと口を開くよりも早く、隣にいたラウルが短く言い放った。
「諦めろ」
アロンの悲痛な叫びをよそに、ラウルは一歩前へ出て、アロンの肩をポンと叩いた。
「お嬢様は、一度決めたら止まらない。……それに、今の護衛対象は、誰だ?」
「くっ……!」
ラウルの言葉にアロンは悔しげに拳を握りしめた。護衛である以上、主人の命令には従わなければならない。
4.拒絶不能の「お願い」
「ヨハネス、ごめんなさいね。ユーグが帰るまでの間だけお願いするわ」
リアナは申し訳なさそうに、けれど有無を言わせぬ響きで告げた。
「え、あ、はい……」
ヨハネスは、リアナの「お願い」という名の命令に、断る術がなかった。その可憐な微笑みの裏にある圧倒的な実行力を、本能が察知していたのだ。
「午前と午後に味噌、醤油、お酒の品質管理をするだけでいい。あとは自分の仕事をしてくれれば構わない」
「お、おう。それくらいなら……」
「具体的なやり方はあとで教える」
「おう、任せとけ」
二人のやり取りを、リアナはどこか珍しそうに眺めていた。
「ユーグとヨハネスって、本当に仲がいいのね」
リアナの言葉に、ユーグが眼鏡を押し上げながら答えた。
「はい。私が植物の観察のために森へ深く入り込んだ時、偶然出会いまして。そこからです」
「そこで意気投合したのね?」
リアナは微笑ましい友情物語を想像したが、ユーグは少し遠い目をして首を振った。
「……いえ、一方的に話しかけられただけです。行き倒れそうだとか、こんな場所で何をしているんだとか、根掘り葉掘り……」
「おいおい、ひでーな、ユーグ! 俺は心配してやったんだぜ?」
ヨハネスとユーグが冗談を交えながら話していた。
(なるほど、ヨハネスのお節介から始まったみたいね)
リアナは納得したように頷いた。無口で研究に没頭しがちなユーグにとって、この陽気でお節介な木こりは、外の世界と彼を繋ぐ貴重な存在だったのだろう。




