新たな家族と、名前のこだわり
1.疲れ果てた商人と、空腹の騎士
伯爵家に到着したリアナは、軽やかに馬車を降りた。
「ゼノ、今日はありがとう」
「い、いえ……お役に立てて光栄です……」
ゼノの返答は、どこか遠くを見つめるような、力の抜けたものだった。その背中を見送りながら、リアナは首を傾げた。
「長旅で疲れたのかしら」
不思議そうに首を傾げるリアナの横で、エリーは心の中で叫んだ。
(えー……ゼノさん、めげないで頑張ってください……私もどうしよう……がんばれ私!)
ボロボロになった自尊心を抱えたゼノを乗せ、馬車は去って行った。
「さあ、ユーグのもとへ行くわよ」
やる気満々のリアナだったが、そこでラウルが切実に訴えかけた。
「お、お嬢様、昼ご飯を食べるのに少し時間をいただけませんか?」
朝早くに出発して戻ってきたのは、すでに昼を回った頃だった。リアナが料理革命を起こす前、この世界に明確な「昼食」の習慣はなかったが、一度その味を知ってからは、食べないと力が入らないような気がしていた。
「あら、それは仕方ないわね。私はポチのところへ行ってるわね」
敷地内とはいえ、リアナを一人にするわけにはいかない。ラウルは近くにいた騎士のアロンに、自分が戻るまでの間、リアナを見守るよう頼んだ。
「ああ、いいぜ」
「エリー、お昼ご飯を食べたらポチのところまで私の分を持ってきてくれるかしら」
「はい」
ラウル、ロバート、エリーの三人は、飢えた獣のような勢いで食堂へと向かった。
「アロン、よろしくね」
「は!」
リアナは裏庭にそびえ立つ大きな「ゆずレモン」の木のもとへと歩み寄った。そこでアロンは、騎士としての常識を揺るがす異様な光景を目の当たりにした。
「ポチ、ただいま」
リアナが挨拶をすると、ゆずレモンの木の枝がザアーッと音を立てて揺れた。リアナはいつものように、ポチの幹にある「特等席」へと腰を下ろした。
「ポチ、少しいいかしら」
リアナが話しかけるたびに、枝が揺れて音を立てる。
「スライムから粘液を貰いたいんだけど、何とかならないかしら」
その言葉に、アロンは呆気にとられた。
(へ? リアナ様は何を言っているんだ……。仮にこの木がトレントの魔物だったとしても、魔物同士の意思疎通なんてあり得ないだろ)
しかし、リアナの言葉に応えるように、ポチの枝が再び大きく揺れた。
「あら、任せていいのね」
(え? いやいや無理だろ……。てか、何でリアナ様はポチと会話できていると思っているんだ? もしかしてリアナ様は、伝説の魔物使い(テイマー)なのか?)
アロンの頭の中は混乱し、収拾がつかなくなっていた。
2.出現した「魔物」と、扇子の制裁
そんな中、ポチの背後からひょっこりと、小さな木が顔をのぞかせた。
「リアナ様! 魔物です!」
アロンは瞬時に剣を抜き、リアナを守るべく飛び出した。リアナと魔物の間に割って入ると小さな木が慌ててポチの後ろに隠れた。
それを見たリアナが手にした扇子でアロンのお尻をパチンと叩いた。
「アロン、邪魔よ!」
「えー!? しかし……!」
「いいからどきなさい!」
アロンはすぐに動けるように行動を取る。
「私が離れた時にリアナ様にもしもの事があれば……分かりました。しかし、万一を考えて隣に居ます」
結局、アロンはリアナの斜め前に陣取り、いつでも動ける体勢を維持した。
「ごめんなさいね。こっちへいらっしゃい」
リアナが優しく手招きすると、小さな木がゆっくりと近づいてきた。アロンは柄を握りしめ、極限の集中状態でそれを見つめた。
小さな木はリアナの前まで来ると、その細い枝を可愛らしく揺らした。
「あら、ポチの匂いがするわね……ポチの『ジュニア』ね」
ジュニアと呼ばれた木は、その名前がよほど嬉しかったのか、全身の枝を喜びで震わせた。
「クスクス、気に入ったのね」
満足げに微笑むリアナの傍らで、アロンは「ジュニア」という安直かつ可愛らしいネーミングと、目の前の異常事態のギャップに、ただただ立ち尽くすしかなかった。
3.騎士たちの困惑と裏門の突破
ジュニアは枝を揺らすと裏門の方へと歩き出した。リアナとアロンがジュニアを観察していると、ピタリと歩みを止め、こちらに振り返る。そしてまた歩き出し、また止まって振り返るを繰り返した。
「付いてきてもらいたいみたいね」
リアナの発言に、アロンは必死に止めようとした。
「リアナ様、さすがにそれはいけません!」
「でも、凄く付いてきてもらいたいみたいよ?」
(やばい! どうする……)
アロンは思考をフル回転させた。そして出した答えは「ラウルたちが戻るまで待ってください!」だった。お嬢様を一人で止めるのは、自分では無理だと悟ったのだ。
「あら、それもそうね。ジュニア、悪いけど少し待ってもらえるかしら」
リアナの言葉にジュニアは枝を揺らした。
「待ってくれるそうよ」
(いやいや……よし!ラウルが来たら逃げよう)
アロンは内心でそう決めたが、現実は非情だった。
しばらくすると、ラウル、ロバート、エリーが戻って来た。
「リアナ様、おにぎりを持って参りま……どうしたのですか?」
リアナが立ち尽くし、アロンが極限状態で警戒する光景を目の当たりにし、ラウルとロバートがアロンの方へと走り出した。
「どうした?」
「あ、あれ!」
アロンが指差す先には、木の魔物が見えた。二人が剣に手をかけると、ジュニアは慌てて近くの木に隠れる。それを見たリアナが一喝した。
「やめなさい! ジュニアが怖がっているじゃない」
「え? ジュニア? え?」
混乱する一行を余所に、リアナは優しくジュニアを呼び戻した。アロンから事情を聞いたラウルは、意外にも冷静だった。リアナが「スライムの粘液」についてポチに相談していたと知り、彼は剣から手を離して姿勢を正した。
「そうか……」
アロンは、今だと思い、帰ることを告げようと「じゃあ、俺は」とまで言ったところでラウルに阻まれる。
「付いていけば分かるな」
ラウルの一言に、アロンは逃げるタイミングを失った。
そのまま一行はジュニアに導かれ、裏門へと向かった。門番のソナリスが魔物に気づき剣を抜こうとしたその時、リアナの声が響いた。
「ソナリス、やめなさい! そのまま行かせなさい」
「し、しかし……」
ソナリスは護衛に付いているラウルに視線を移すと、ラウルが頷くのを見て、困惑しながらも道を開けた。
リアナたちがソナリスの横を通り過ぎた。その時、アロンの肩に手をかけ「どうなってんだよ?」と囁くが、アロンはソナリスの手を「俺が聞きたいわ!」と言いながら振りほどいてリアナたちの後に続いた。
4.貯水池のスライムたち
ジュニアの後を歩くラウルが呟く。
「こっちは、貯水池の方ですね」
ラウルの言葉にリアナも頷いた。
「そうね、貯水池と言えばスライムね」
貯水池のほとりには、透き通った水面にぷかぷかと浮かぶ、プルプルとした塊がいくつも見えた。彼らは領内の水を浄化する大切な役目を担っているが、通常、人間が近づけば逃げるか、あるいは無機質に浮いているだけの存在だ。
ジュニアが池の縁で立ち止まり、ポチと同じように枝を揺らし葉が「ザアーッ」と音を立てる。すると、水面にいたスライムたちが一斉に岸へと寄ってきた。
(……おいおい、本当に集まってきたぞ)
アロンが息を呑む横で、リアナはジュニアの隣に並び、スライムたちを見下ろして微笑んだ。
「みんな、お仕事中にごめんなさいね。実はあなたたちの『粘液』を少し分けてほしいの」
スライムにとっては、ただの食事に過ぎないが、リアナにとっては水を綺麗にする仕事だと捉えていた。
ジュニアが再び枝を揺らすと、一番大きなスライムが、一際大きくプルンと震えた。それはまるで、リアナを吟味しているかのようだった。
「ラウル、これ……本当に交渉成立するのか?」
アロンの囁きに、ラウルは静かに答えた。
「お嬢様が仰るのだ。我々はただ、その結果を受け入れる準備をすればいい」
リアナは、余裕の表情でスライムたちの反応を待った。
しばらくすると、一際大きなスライムが、口のような部分から粘液をリアナの方に向けて勢いよく飛ばした。それを見たラウルとロバートは、反射的にリアナとスライムの間に割って入った。
「リアナ様、危ない!」
粘液はラウルの足元へ、ベチャリと音を立てて着弾した。
「あら、ごめんなさい。粘液を入れるための器がなかったわね」
リアナは全く動じることなく、申し訳なさそうに呟いた。彼女にとってそれは攻撃ではなく、交渉に応じた証に見えていた。
「ジュニア、今度、器を持ってくるから、その時にお願いと伝えてくれるかしら」
リアナがそう語りかけると、ジュニアは呼応するように枝を大きく揺らした。すると、スライムは何かに納得したように、ゆっくりと元いた場所へと戻って行った。
「ジュニア、ごめんね。またお願いするわね」
ジュニアは答えるように枝を揺らす。
「さて、粘液を受け止める器を作らないとダメね。その前にまずは、ユーグのところに行きましょう」
リアナは去り際のスライムにひらひらと手を振ると、そのままユーグの研究所へと足を向けた。
5.護衛は木の魔物
歩き出したリアナの後ろを、なぜかジュニアが当然のように付いて来る。
「あら、護衛が増えたわね」
リアナはクスクスと楽しそうに微笑んだが、アロンはそれどころではなかった。
「おい! 付いてきてるぞ、いいのか?」
アロンが困惑しながらラウルに問いかけるが、ラウルは至って冷静だった。
「あの木の住処は裏庭の木だからな。お嬢様に懐いているのなら問題ない」
「いや、問題だろ……」
「リアナ様、もうちょっとちゃんとした名前はなかったんですか?」
エリーのツッコミに、リアナは平然と答える。
「ポチの匂いがしたから『ポチのジュニア』ねって言ったら、嬉しそうにしてたからいいのよ。……それとも、エリーが名前を付けてみる?」
名付けを振られたエリーは、歩き続けるジュニアの方へと向き直ると、幾つか代わりの名前を提案してみた。
「うーん……ツリー? ポッチ? チャイ? プルーン? レモン? エリザベス?」
エリーの呼びかけに対し、ジュニアはピクリとも反応せず、淡々と歩き続けた。
「エリー、あなたの名前のセンスも大概ね」
リアナに呆れられ、エリーは少しムッとした様子で、最後に元の名前を呼んでみた。
「……ジュニア」
すると、ジュニアはこれ以上ないほど激しく枝を揺らして答えた。
「え? なにこの光景?」
アロンが唖然として立ち尽くす。魔物が名前を理解し、あまつさえ特定のネーミングに固執している。
その異常事態を、ラウルとロバートは「いつもの事」として受け流し、スタスタと歩を進めていた。
アロンは、リアナの護衛につくには、常識という名の重石をどこかに捨ててこなければならないのだと、深く悟った。




