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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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スライムの粘液と、植物学者

1.秘密のレシピと解読不能な文字


ミリアが丁寧に書き留めた羊皮紙を、リアナは恭しく受け取った。


「リアナ様、石鹸の製法を書き留めました」


「あら、もう渡していいの?」


「はい、問題ないです。……ただ、私にも融通していただければ」


「もちろんよ! 出来たら真っ先に送るわね。感想も聞きたいし、何か気になったらすぐに連絡ちょうだい」


ミリアの弾けるような笑顔を見て、傍らに控えるエリーは困惑を隠せない。


(いつも使っている石鹸と、そんなに違うのかしら……?)


聞きたいことが山ほどあったが、今は主人の大事な商談の最中だ。エリーは口を真一文字に結び、好奇心をぐっと抑え込んだ。


リアナが内容を確認する横で、エリーはそれとなく羊皮紙を覗き込む。しかし、そこに並んでいたのは、所々に混じる見たこともない不思議な記号――日本語だった。エリーの目には、それは高度な魔法の詠唱か、あるいは呪いの類にしか見えなかった。


「苛性ソーダを使うのね」


リアナが、この世界の言葉には存在しない単語を口にする。敢えて日本語を混ぜて話すことで、周囲に内容が漏れるのを防ぐのと同時に、この世界には苛性ソーダという言葉は存在しないことからあえて意思疎通のために日本語にしたのだ。


「うん、ただ毒性があるから気をつけてね」


「この下のは、苛性ソーダを使わない製法ね」


「ええ。苛性ソーダは品質は安定するけど肌の弱い人には合わない可能性があるわ。……出来ることなら使いたくないところね。この世界には、手を守る『ゴム手袋』も無いし」


ミリアの忠告に、リアナは深く頷いた。強アルカリである苛性ソーダは、目に入れば失明の危険があり素手で触れれば皮膚を溶かす劇薬だ。安全を確保できなければ、量産など夢のまた夢である。


「ゴムの木があればいいんだけど……。あとは、よく異世界ものの小説を読んでたけど、中には『スライムの粘液』で代用している作品もあったわね」



2.スライムとの対話


「スライムなら、浄化設備のために街中にたくさんいるわね」


オルフェウス領では、貯水池や下水道の浄化にスライムが利用されている。汚染された水を飲み、清らかな水へと変える彼らは、領民の生活を支える隠れた功労者だ。


「でも、粘液を分けてくれるのかしら?」


「分けてもらう……?」


ミリアは呆気にとられた。通常、スライムの粘液が必要なら「討伐」して採取するのが異世界の常識だ。しかし、リアナの発想は違った。命を奪うのではなく、あくまで「提供」を求める。


その発想の違いは、前世で親しんできた娯楽の違いが色濃く反映されていた。スマホで手軽に異世界転生もののウェブ小説を読み耽っていたミリアにとって、モンスターは「討伐」し「素材」を得る対象である。


しかし、リアナは違った。


彼女が前世で愛してやまなかったのは、勧善懲悪の極致――『水戸黄門』である。


(どんな相手であれ、まずは対話。そして理不尽な暴力には、印籠……もとい、正論と少しの権威で応じる。それが様式美というものだわ)


「殺生は後味が悪いでしょ? スライムだって、この領地を綺麗にしてくれている立派な『領民』の一員だもの。助け合いの精神が大事よ」


「リアナ様、さっきから言っていることが聖女なのか暴君なのか分かりません……」


ミリアは呆れ顔で受け流したが、リアナの目は本気だった。彼女にとって、一方的な搾取は「格好が悪い」のである。


「でもスライムとは意思疎通が出来ないと思うんだけど」


「あら、そうなのね……。よし、一回『ポチ』に聞いてみようかしら」


「ポチ?」


ミリアが首を傾げると、リアナは慈しむような表情で語った。


「ええ。屋敷にある、甘い実をつける大きな木なんだけど。挨拶すると挨拶を返してくれるのよ。我が家の守り木なの」


「へー、そうなんだ」


嬉しそうに語るリアナを見てミリアはあえて受け流した。


少し離れた場所で意味のわからない言語で話しているリアナを見てエリーは天を仰いでいた。



3.嵐のあとの静けさと「衝撃」


事務所での緊迫した交渉を終え、ゼノたちがようやく戻ってきた。


「お嬢様、お待たせいたしました。契約は、無事に締結いたしました」


ゼノの声には、大仕事を終えた安堵感と、これからの多忙を予感させる緊張感が入り混じっていた。しかし、リアナは平然とした様子でそれを受ける。


「ご苦労様、ゼノ。ついさっきミリアから石鹸の製法の書かれた紙を受け取ったところよ」


その言葉に、エマから「えっ?」と思わず声が漏れた。驚愕の表情でリアナの隣に居るミリアを見た。


「ミリア、もう渡したの?」


「ええ、渡したわよ」


エマが唖然として固まる中、リアナは流れるような動作で立ち上がった。


「じゃあ、帰るわね。またね、ミリア」


「はい、リアナ様」


挨拶もそこそこに、リアナたちは足早に工房をあとにした。


ガタゴトと揺れる馬車に乗り込むと、ゼノが報告を始めた。


「石鹸の製法の利権を、金貨五十枚で契約しました」


「あら、安いわね」


リアナの即答に、ゼノは言葉に詰まった。


「……はい。こちらにもリスクがあることと、石鹸を貴族ではなく庶民に低価格で販売することを告げたところ、長期的な契約ではリスクがあると判断したようです」


ゼノとしては、相手の不安を突き、極めて有利な条件で買い叩いた自負があった。だが、次のリアナの一言が彼のプライドを木っ端微塵にする。


「ん? 貴族には高値で売るわよ」


「……え?」


「庶民用と貴族用で分けて販売する予定よ。貴族用には付加価値をつけるつもりだし」


絶句するゼノ。


「え……えー!」と、商人の魂が悲鳴を上げる。しかし、リアナは追撃を許さない。


「終わったことは、しょうがないわね」


石鹸の価格交渉という、彼にとっての死闘をバッサリと斬り捨てた。



4.三者三様の苦悩


次にリアナが確認したのは、現在同時進行しているプロジェクトの進捗だった。


「ゼノ、長屋ながやの方はどうなっているかしら」


意気消沈し、幽霊のように青ざめたゼノにリアナが追い打ちをかける。隣に座るエリーは、あまりの不憫さに心の中でそっと手を合わせた。


(がんばってゼノさん……!)


「あ、はい……。順調に進んでおります」


「ポチの下に引く網の方はどうかしら?」


「網の方は発注しましたので、二週間くらいで届くかと思われます」


「分かったわ。ありがとう」


一通りの確認を終えると、リアナは手元の「秘密のメモ」に視線を落とした。


「ふーん、植物を煮込んだエキスにカチン草のエキスを混ぜ合わせるといいのね。全部で植物は五種類必要なのね。なるほど……」


ブツブツと独り言を漏らすリアナ。その内容は、徐々に彼女自身の「好み」へと傾いていく。


「あとは、バラのエキスや『ゆずレモン』のエキスを入れると香りが立つわね……」


考え込みながら延々と呟き続けるリアナ。


その隣では、今日の不可解な出来事(謎の言語、謎の植物)をどう旦那様に報告すべきか頭を抱えるエリーがいた。


斜め前では、計算が全て狂ったゼノが虚空を見つめていた。


そしてゼノの隣では、騎士ラウルがこの世のものとは思えない奇妙な空間に身を置いていることに唖然としていた。


(なんだ、この状況は……)


馬車の中には、鉄の意志で突き進む令嬢の独り言だけが、空虚に響き渡っていた。



5.ユーグへの新たな「白羽の矢」


馬車が揺れる中、リアナは手元のメモを指でなぞりながら、新たな人員配置を決定した。


「これだけ植物を多く使うなら、ユーグが適任ね」


植物学者として領地の発酵食品を支えるユーグ。彼の名が挙がった瞬間、隣に座るエリーの顔が引きつった。


(えー……。ユーグさんは、味噌、醤油、お酒、納豆に加えて、今度は石鹸までやらされることになるのね……。神様、どうか彼が生き延びられるようにお守りください……)


エリーは、領主邸の片隅で日々発酵食品と格闘しているユーグのやつれた姿を思い浮かべ、そっと胸の中で十字を切った。



6.スライム採取の残酷な現実


植物の次は、問題の「粘液」。リアナは向かいに座る騎士、ラウルに視線を向けた。


「ねえラウル。スライムから粘液を取る方法って、何かあるのかしら?」


「……一応はありますが、かなり至難の業かと思われます」


ラウルは真剣な表情で、騎士としての知識を語り始めた。


「スライムは核を破壊すると破裂します。破裂した際に粘液が辺りに散らばるのを、瞬時に回収するしかありません。ですが、下手をすれば皮膚が粘液で爛れてしまいます。あんな危険なものをわざわざ取ろうと思う者は、まずおりません」


討伐すれば消滅するか破裂する。それがこの世界の「スライム」としての常識だった。しかし、それを聞いたリアナは、顎に手を当てて平然と言い放った。


「そうなのね……。やっぱり『お願い』するしかないわね」


「へ?」


あまりにも斜め上の発言に、ラウルの口から変な声が漏れた。


「お、お嬢様……スライムと意思疎通を図るなど、不可能かと……」


「あら、やってみないと分からないわよ」


リアナは窓の外に広がる、のどかな領地の風景を見つめながら、いたずらっぽく微笑んだ。


「やってダメなら諦めるだけよ。でも、ポチに仲介してもらえば、意外と聞き分けてくれるかもしれないじゃない?」


「スライムと……契約ではなく、相談ですか……」


ラウルは、自分の知る「騎士道」や「魔物学」が音を立てて崩れていくのを感じた。


隣ではゼノがまだ魂の抜けたような顔をしており、エリーは報告書の言い訳を考えすぎて目が回っていた。


そしてリアナは、ラウルの言葉からあることに気づいた。


(スライムの粘液って硫酸なのかしら、それとも……試してみたいわね)


そんなカオスな状態の馬車は、ようやくオルフェウス伯爵邸の門をくぐった。

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