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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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密約と、覚悟の契約

1.交渉の号砲


ミリアの工房に到着すると扉の前で御者が馬車を停めゼノに声をかける。


「旦那様、工房に到着しました」


「ふー……やっと着いたわ」


長旅の疲れを軽く吐き出しながら、リアナは馬車を降りると、先に御者台から降りた護衛のロバートが、工房の扉を開ける。


扉の先にエマ、ミリア、そしてソウタの三人が整列してリアナたちを待ち構えていた。


「ようこそお越しくださいました、リアナ様」


「お久しぶりね、皆さん」


挨拶もそこそこに、一行は工房の奥へと足を進めた。リアナは慣れた手つきで役割を振り分ける。


「さて、具体的な条件交渉と契約書の作成は、専門家であるゼノに任せるわ。よろしくね」


「承知いたしました」


ゼノが短く応じると、エマも一歩前に出る。


「こちらは私とソウタで対応させていただきます。ゼノ様、こちらの事務所へどうぞ」


プロ同士の空気を漂わせながら、ゼノ、エマ、ソウタの三人が別室へと消えていった。



2.禁断の「言語」


残されたのは、リアナとミリア、そして少し離れて控えるエリーと護衛の二人。リアナは周囲を一度見渡し、ミリアの目を見て静かに口を開いた。


「ミリア、少しいいかしら」


「はい、何でしょうか?」


二人が歩き出し、作業場の隅で足を止めると、エリーは邪魔にならない距離を保ち、護衛の二人はリアナの安全を確保する。


二人の会話が始まった瞬間、エリーは耳を疑った。


「ミリア、少し頼みがあるんだけど」


「あら、なに?」


それは、エリーがこれまでの人生で、リアナから数回聞いたことのある、独特の響きを持つ不思議な言葉だった。


(な、何……? 今、お嬢様は何て仰ったの!? ミリア様も、普通に返事をしてるんだけど……!)


エリーが困惑し、眉を寄せて聞き耳を立てる中、二人の会話はさらに深まっていく。


「やっぱり、日本語話せるのね。……いつから気づいてたの?」


リアナが、この世界で初めて「対等な立場で話せる相手」を見つけた安堵感を滲ませて微笑んだ。ミリアもまた、共犯者のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「前回のマナキッチンの改良依頼の時よ。あの時、普通に日本語で書いてたでしょ」


「そうなのよ、あとでエリーに指摘されて気づいたのよね」


「私もソウタに指摘されて気づいたわ」


「ふふ、お互い様ね」


二人は、周囲には決して悟られないよう、早口の日本語で核心に触れていく。


「単刀直入に聞くわ。石鹸の製法を持っていながら、あなたが自分たちで作って売り出さないのは、やっぱりバルーナ商会の影響なの?」


「ええ。正確には、お父様に止められたのよ。あそこを敵に回すと、今のうちの規模じゃ一瞬で潰されるからって……。あなたの方はどうなの?」


「同じよ。お父様から製造許可は出せないって釘を刺されたわ」


現代の知識を持つ二人にとって、石鹸は生活の基礎。しかし、この世界における石鹸は、強大な権力と利権に守られた「聖域」だった。


「でも、私は諦めるつもりなんてないのよね」


「リアナならそう言うと思ってたわ」


リアナの瞳に宿った強い光を見て、ミリアは小さく頷いた。日本語で交わされる二人の密談は、エリーには「呪文」か「鳥のさえずり」のようにしか聞こえていない。


そこにはこの国のパワーバランスを根底から覆すような、壮大な計画が秘められていた。



3. 侯爵夫人を「電波塔」に


工房の喧騒から少し離れた隅で、リアナとミリアの二人は、この世界の誰も理解できない言語――日本語で、極めて政治的な、しかし彼女たちにとっては「生活の質」を守るための作戦会議を続けていた。


「……いい、ミリア。このままだとバルーナ商会が出てくるのは目に見えているわ。だから、あちらが動く前に強力な後ろ盾を作って、外堀を埋めておきたいの。カルヴァン侯爵と、そのさらに上にいるデュラン公爵を味方につける予定よ」


「具体的にはどうするつもりなの? 公爵家なんて、一介の職人や伯爵令嬢が簡単に動かせる相手じゃないわよ」


ミリアが懸念を示すと、リアナは不敵に微笑んだ。


「まずは、ジョアンナ夫人を味方につけるの。ちょうど今、彼女からマナーや社交の講義を受けているところなのよ。彼女を私たちの『電波塔インフルエンサー』にして、社交界に情報を流してもらうわ」


「電波塔……? ああ、なるほどね。口コミの起点にするわけね。でも、そのためには彼女の心を掴む『決定的な何か』が必要じゃない?」


「ええ、その通り。それには、ある物が必要なの」


二人が早口の日本語で革新的な、かつ危険な密談を交わしている間、少し離れて控えていたエリーは、かつてないほどの危機に直面していた。


目は泳ぎ、冷や汗が止まらない。


(……え、ええーっ!? これ、どうやって旦那様に報告すればいいのよ……!?)


エリーの耳に届くのは、意味の分からない音の羅列。呪文のようでもあり、暗号のようでもある。しかし、お嬢様たちの表情を見れば、それがただの世間話ではなく、何らかの「重要な契約」や「謀略」を練っていることだけは痛いほど伝わってくる。


(『お嬢様は謎の言語でミリア様と親しげに話し、何らかの密約を交わしていました』……なんて報告したら、旦那様はどんな顔をされるの!? そもそも、ミリア様まであんな言葉が話せるなんて聞いてないわよ!)



4.言葉の壁と「笑顔」の合意


「それじゃあ、お願いねミリア。詳細は後でまた詰めるけど、まずは試作品を早急に作りたいの」


「分かったわ、私の知識から材料を選出してみる」


突然、聞き慣れたこの世界の言葉に戻る。


「お願いするわ」


「お任せください。リアナ様」


二人は親しげに頷き合った。


「……えー……」


エリーは呆然と立ち尽くすしかなかった。


つい数秒前まで「違う世界の住人」同士のような空気を纏っていた二人が、今は何事もなかったかのように微笑み合っているのだった。


しばらくしてミリアが机に向かい何かを書き始めた。リアナがエリーの方に振り返ると、エリーは困惑した表情を浮かべていた。


「あら、エリーどうしたの?」


「……お嬢様。……私は、何も分かりません……何も聞いていませんからね……?」


「ふふ、それでいいのよ。ありのままを報告すればいいんだもの。……『お嬢様たちは仲良くお話ししていました』ってね」


リアナの悪戯っぽいウインクを受け、エリーは天を仰いだ。


石鹸の利権という巨大な火種が、リアナの手によって市場を揺るがす巨大な爆弾に形を変えようとしていた。


その恐ろしさを、今はまだ誰も知る由もなかった。



5.狂気の価格設定


別室の事務所では、張り詰めた空気の中、ゼノとエマが向かい合っていた。


「……さて、エマ様。改めて提案させていただきます。情報料に関しては、一括で金貨五十枚。これで製法の独占権、および技術指導の対価としたい」


ゼノが提示したその金額は、石鹸という貴重な製法の対価としては、あまりに安い額だった。それを聞いたエマは、冷めた紅茶のカップを置くと、静かに首を振った。


「ゼノ様、お言葉ですが、その金額では『石鹸』という名の金の卵を産む金鳥を、安売りしすぎているとは思いませんか?」


エマの反論に対し、ゼノの視線は鋭く、そして冷徹だった。


「エマ様、忘れないでいただきたい。その金鳥を狙っているのは、我々だけではありません。バルーナ商会……ひいてはその後ろ盾である公爵家です。彼らが動けば、その金鳥は一瞬で焼き鳥にされます」


ゼノの言葉は、冷酷なまでに現実を突きつけていた。


「一括払いは、貴方方にとっての『保険金』です。万が一、リアナ様が製造を止められたとしても、手元にはお金が残ります。これ以上の好条件はないはずです」


さらに、ゼノはエマを射抜くように言葉を継いだ。


「長期的な契約ではなく、一括の方がよいでしょう。リアナ様は、これを貴族向けに販売しようとは考えておられません。庶民向けに、価格も今の百分の一程度になるかと思われます」


「え?ちょっと待って!……そんなに安く売り出すのですか?」


エマは耳を疑った。石鹸といえば、貴族の他には限られた者しか手にできない高価な贅沢品だ。それを庶民が買える値段にするなど、商売の常識ではあり得ない暴挙に等しい。


「はい、それがリアナ様です」


ゼノの淡々とした肯定に、エマは激しく動揺した。


価格をそこまで下げれば、当然ながら利益の分配も少額になる。それどころか、既存の利権を根底から破壊することになり、受ける報復の規模も予測がつかない。


「す、少し待ってもらっていいですか」


「分かりました」


エマは隣に控えていたソウタに振り返った。


「ソウタ、ちょっと来て」


エマとソウタは、深刻な面持ちで事務所の奥へと向かった。



6.事務所の奥での密談


事務所の奥へ引っ込んだエマとソウタは、顔を寄せ合って声を潜めた。


「ソウタ、聞いた? 価格を百分の一にするなんて……あのお嬢様、本気かしら」


エマの問いに、ソウタは渋い顔で頷いた。


「ゼノ様が嘘をつく理由はない。だが、それが本当なら、石鹸はもはや贅沢品ではなく、ただの『日用品』になる。市場がひっくり返るよ。バルーナ商会が黙っているはずがない」


二人はリアナという少女の底知れなさに、改めて戦慄した。彼女が目指しているのは、一部の富裕層から金を巻き上げることではなく、この世界の「当たり前」を根底から変えることだった。


「長期的な分けロイヤリティを期待しても、一個あたりの単価がそこまで下がれば、私たちが手にする額は微々たるものになるわ。それどころか、利益が出る前にバルーナ商会に握りつぶされるリスクの方が圧倒的に高いわね」


「ああ。ゼノ様の言う通りだ。一括で金貨五十枚を受け取り、それを軍資金にして、私たちは次の研究費に充てるのがいいだろうな、それが一番現実的だ」


二人の意見は一致した。リアナの掲げる「革命」に付き合うには、相応の覚悟が必要だった。


数分後、二人は再びゼノの待つ机へと戻った。ゼノは表情を変えず、ただ静かに彼らの言葉を待っていた。


「……お待たせしました、ゼノ様。条件を呑みます。一括で金貨五十枚。それで契約を結びましょう」


エマの言葉を聞き、ゼノはわずかに目を細めた。


「賢明な判断です。……では、こちらが契約書です。リアナ様の代理として、私が署名します」


ゼノは手際よく羊皮紙を広げ、羽ペンを走らせた。エマもまた、震える手で自らの名を記した。これで、石鹸の製法は正式にリアナとゼノの手へと渡った。


「これでゼノ様は、泥舟……いえ、豪華客船に乗ったわけですね」


エマの自嘲気味な言葉に、ゼノはわずかに口角を上げた。


「船長が、あのリアナ様ですから。沈む前に、空でも飛んで見せるかもしれませんね」


契約を終えたゼノは、羊皮紙を大切に懐に収めた。


金貨五十枚という大金と引き換えに手に入れたのは、世界を変えるための「鍵」だ。しかし、その鍵を回せば、平穏な日常は二度と戻らないだろう。


(お嬢様……あなたはどこまで先を見ていらっしゃるのか。商人の私ですら、あなたの歩みに追いつくのが精一杯です)


ゼノは事務所の窓から、外でミリアと親しげに話し込んでいるリアナの姿を見つめた。


その華奢な背中に、この領地、いやこの国の未来が乗っているのだと考えると、ゼノの背中には不思議な高揚感が駆け抜けた。


「さて、契約は済んだ。次は……この製法をどう形にするか、お嬢様の指示を仰ぐとしよう」


ゼノは事務所を後にし、熱気のこもった工房へと階段を降りて行った。

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