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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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「浄化」の代償と、職人の熱気

1. 納豆と父の沈黙


厨房での調理を終えたリアナは、身なりを整えて清々しい朝の空気と共に食卓へと向かった。


「おはようございます。お父様、お母様」


「おはよう、リアナ」


「うむ……」


席に着くなり、父エリオンが鋭い視線を向けてきた。


「リアナ、分かっているな」


「はい、心得ておりますわ」


昨夜の「石鹸の製造許可は出せない」という釘刺し。それに対するリアナの涼やかな返答。傍らで控えるエリーは、そのやり取りを聞きながら(絶対に分かっていない、このお嬢様……)と心の中で確信を持って呟いた。


ほどなくして、リアナの前には「朝の定番」が運ばれてくる。今やこの屋敷では当たり前となった、リアナと母エルザのための「納豆」。


エリオンは、独特の香りを放つその器を顔をしかめながら見つめたが、リアナが放った「美容に大変よろしいのですわ」という一言が強力な足枷となり、文句を飲み込むしかなかった。


「う、うん……。リアナ、今日は何をするつもりだ?」


「今日は少し気になることがございますので、ユーグのところへ行って参りますわ。午後からはジョアンナ夫人の講義がございます」


「うむ、しっかり勉強するように」


「はい」


朝食を終えたリアナが向かったのは、植物学者のユーグの工房。


一歩足を踏み入れれば、そこには醤油の甘い香りと味噌の香ばしい匂いが立ち込めており、和の食文化を愛するリアナにとっては至福の空間だった。


「ユーグ、少しいいかしら?」


「あ、リアナ様。おはようございます」


リアナがここを訪れた目的。それは、昨夜お父様から反対された「石鹸」の必要性を裏付けるための、ある「確認」だった。


「ユーグ。ここは『浄化の魔石』は使っているのかしら」


その問いに、ユーグは即座に首を振った。


「いえ、ここでは一切使っておりません。浄化の魔石を使ってしまうと、醤油や味噌を作るのに欠かせない酵母菌まで死滅してしまいますから」


「……やっぱり、浄化の魔石は全ての菌に影響を与えるのね」


「はい。菌の良し悪しを判断するのではなく、その領域にあるものすべてを『無』の状態へ浄化してしまいます。それに……」


ユーグは少し声を潜めて続けた。



2.「魔石」は金がかかる


「そもそも、浄化の魔石は貴族の方々だけが使用するものです。領主様から農家に配布されたり、限られたお屋敷の専用部屋くらいでしょう」


「あら、そうなの?」


前世の記憶があるリアナにとって、魔石は便利な万能ツールのように思えたが、現実はもっとシビアである。


「浄化の魔石はマナを蓄えた石です。常に浄化を発動し続けているため、すぐにマナ切れを起こします。色が鮮やかさを失えば交換、あるいはマナの再充填が必要になりますが、それには莫大なお金がかかるのです」


「つまり、領民には手が出せないっていうことね」


「左様です。魔石自体が高価な上に、維持費までかかるとなれば、一般の平民が手を洗うために使うなど夢のまた夢。畑の魔石も、領主様から決められた量が厳格に管理されて配布されるものですから……」


「あら。それだと、盗まれたりしたら大変ね」


「いえ、魔石には領主の刻印と追跡の刻印が付与されています。市場に出せばすぐに分かります」


リアナは顎を指でさすり、考え込んだ。


貴族は「浄化の魔法」で清潔(に見える状態)を保てるが、圧倒的多数の領民にはその手段がない。そして、魔法による浄化は有益な菌まで殺してしまう。


(やっぱり、魔法に頼らない『安価な洗浄手段』――石鹸が、この領地を、そして食の安全を守るために不可欠なんだわ)


ユーグとの会話で、リアナの決意はさらに強固なものとなった。政治や利権の影で、見捨てられている「庶民の衛生」。そこを切り崩す鍵は、やはりミリアの持つ知識にあった。


浄化の魔石の不便さと、石鹸の必要性を再確認したリアナは、満足げに頷く。しかし、彼女の用件はそれだけではなかった。


「あとユーグ、今、醤油と味噌とオルフェウス酒の醸造所を建築中なの。ユーグにはそこの醸造主になってもらうから、よろしくね」


「お、お嬢様……!?」


唐突に告げられた大規模なキャリアアップの打診に、ユーグは目を剥き、言葉を失った。今まで変人扱いされていた自分が今では、領地が誇る特産品を一手に担う「醸造主」への抜擢。


「そんなに驚かないで。規模が大きくなるだけで、やることは今までと変わらないわ。人手はこちらで用意するから、ユーグは全体の管理と、新しい味の実験を続けてちょうだい」


リアナは屈託のない笑顔でそう言い切った。彼女にとって、信頼できる技術者に最高の環境を用意するのは、美味しいものを安定して供給するために当然の投資だった。



3.エリーが見た「深謀遠慮」


「心配しないで」と微笑む主人の背後で見守りながら、エリーは内心で(また始まった……)と複雑な心境だった。


(醸造所の近くには、スラムから移住してくる人たちのための長屋も同時に建築中……。つまり、あそこは単なる工場ではない)


エリーは気づいていた。醸造所ができ、そこに働き口を求めて人々が集まり、住む場所が提供される。


それは一つの「村」が誕生することを意味する。


そして、その醸造所の責任者になるということは、その村に住む人々をまとめ上げる「管理者」になれと言っているのと同義だった。


(リアナ様は『やることは変わらない』なんて仰るけれど、ユーグさんの背負う責任はとんでもないことになりますよ……)


本人は「わがまま」で進めているつもりでも、その一歩一歩が領地の貧困問題を解決し、新たな共同体を作り上げていく。リアナの規格外な行動力に、エリーは改めて戦慄を覚えるのだった。


「管理と、実験……。畏まりました。このユーグ、お嬢様のご期待に添えるよう、命を賭して極上の酒、味噌、醤油を造り上げてみせます!」


混乱しながらも、ユーグの瞳には職人としての熱い火が灯っていた。自分の技術が認められ、大きな舞台が用意される。それがどれほど名誉なことか、彼には痛いほど伝わっていた。


「期待しているわ。さあ、明日はいよいよミリアのところへ行くわよ。美味しいお酒に合う『最高のつまみ』を作るためにも、まずは衛生面を整えなくちゃね」


リアナは楽しげに指を鳴らした。


醸造所の計画、スラムの救済、そして石鹸の利権争い。


点と点がつながり、リアナの描く「美食の領地」が少しずつ形を成し始めていた。



4.鉄と汗のシンフォニー


ユーグとの打ち合わせを終えたリアナが次に向かったのは、ハンスとバロンが腕を振るう工作工房。


重厚な扉をラウルが力強く押し開けると、中から肌を焼くような熱気が一気に押し寄せてくる。


「ふふ、いいわね。この熱気、活気があって最高だわ」


満足そうに目を細めて微笑むリアナ。しかし、その隣で顔を真っ赤にして汗を拭うエリーは、呆れたように肩を落とした。


「リアナ様……。お嬢様の無茶な要求のせいで、バロンさんたちは今、瀕死状態なんですよ?」


「あら、そうかしら? 職人にとっては、これこそ『生きている』って感じがするはずよ。何かに没頭して、限界に挑む……。これ以上の喜びなんてないわ」


「えー……」


エリーの不満げな声をよそに、リアナはかつて自分が理想の味を追い求めて厨房にこもっていた頃を思い出していた。あの、完成した瞬間の、全身の力が抜けるような達成感。それこそが、彼女を突き動かす原動力だったのだ。


「みんな、おはよう!」


「「おはようございます、リアナ様!!」」


作業の手を止め、職人たちが一斉に挨拶を返した。リアナは中心人物であるバロンに歩み寄る。


「バロン、オルドにはちゃんと伝えてくれたかしら?」


先日、うっかりリアナに不敬を働いたと思い込み、ショックで放心状態になっていた職人のオルド。リアナは彼をバロンに預け、フォローを任せていたのだ。


「へ、へい……。何とか伝わったとは思います」


「そう、分かったわ。ありがとう、バロン」


仕事に打ち込む職人たちの背中。飛び散る火花、リズミカルに響く金属音。その光景は、リアナの目にはとても美しく映った。


「働く姿っていうのは、本当に絵になるわね……。なんだか、このままキャンバスに描き留めておきたいくらいだわ」


感極まったリアナの言葉に、エリーが食い気味に反応した。


「……お嬢様、それは絶対にやめておいたほうがいいと思います」


「あら、なぜかしら? 私、やる気だけはあるわよ」


「そういう問題ではありません。お嬢様が筆を執れば、せっかくの職人さんたちが、なぜか恐ろしい『モンスター』の絵になって完成すると思われます」


「……」


リアナは一瞬絶句し、それからスッと目を細めてエリーを見つめた。


「……エリーには、やっぱり『ゆずレモン』が必要なようね」


「ひぃっ!? ご、ごめんなさい、事実を言ったまでで……!」


「さらに追加してあげましょうか?」


「もう黙りますっ!!」


エリーの悲鳴が、工房の熱気の中に溶けていった。


職人たちの情熱、そして主従の軽妙なやり取り。オルフェウス領の未来を創る工房は、今日も熱く、そして騒がしく稼働していた。

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