黄金の食卓と家庭の味
1.簡潔すぎる手紙
自室に戻ったリアナは、机に向かうと迷うことなくペンを走らせた。便箋に記されたのは、たった一行。
『明後日そちらに伺うわ』
「エリー、これをミリアに送ってちょうだい」
手渡された文面を見て、エリーは目を丸くした。
「……えっ、これだけですか? 挨拶もなしに?」
「他に書くことなんてあるかしら。用件は会って話せばいいのだもの。あと、今回はゼノに同行してもらうから、そう伝えておいて」
(……今回は、ゼノさんが餌食になるのですね……)
商会長のゼノが、台風のようなリアナに振り回される光景を想像し、エリーは心の中でそっと手を合わせた。
2.サク、ジュワの衝撃 ―― 二度揚げトンカツ
お風呂を済ませ、着替えを終えたリアナが食卓へ向かうと、そこには芳醇な揚げ物の香りが漂っていた。今日のメインは、リアナが仕込みを指示した「トンカツ」。
「お父様、お母様、お待たせいたしました」
「うむ。……分かっているな、リアナ」
父エリオンの重みのある言葉に、リアナは力強く頷いた。
「はい、お父様!」
(……え? お二人とも、一体何を分かっているっていうの!?)
傍らに控えるエリーは、心中で激しく突っ込まずにはいられなかった。
食卓には、こんがりと揚がったトンカツにパン、そしてスープ。しかし、リアナの前にはパンではなく、炊き立ての「白いご飯」が並んでいた。
エリオンがトンカツを一口運ぶと、静かな食堂に小気味よい音が響く。
「――サク、ジュワ……。なんだ、この柔らかさは……!」
「あら、本当に美味しいわ」
母エルザも、驚きと共に頬に手を当てて微笑んだ。
「ふふ、これは『二度揚げ』という技法ですわ。パン粉のサクサク感を演出しつつ肉汁を閉じ込め、さらに『酢』の力で肉の繊維を解いて柔らかく仕上げたのです」
「いずれはこれを、領民たちも食べられるようにする予定です」
リアナが夢を語ると、エリオンは満足げに、しかし現実的な溜め息を吐いた。
「そのために、石鹸と投資が必要なのだな……」
「そうですわ」
「ふぅ……。リアナ、お前が今、社交界で何と言われているか知っているか?」
「知りませんわ……?」
「『わがまま令嬢のわがままがエスカレートして、今度は、散財を始めた』……そう噂されているぞ」
リアナが社交界で言われている事をエリオンとエルザは、否定しない、いや、否定する方法がないのだ。食の改革に向けての開発の為に投資をしているとは言えないからだ。
その言葉に、リアナは悪びれた様子もなく微笑んだ。
「あら、あながち間違っていませんわね」
「確かにその通りですね」
エリーが思わずぼそりと突っ込むと、リアナの視線がスッと険しくなった。
「……何かエリーに言われるとカチンと来るわね。そのお口を黙らせるために、『ゆずレモン』を口いっぱいに放り込んであげましょうか?」
「ひぃっ……!」
酸っぱい刺激を想像しただけで、エリーは唇を尖らせて縮こまった。
悪名などどこ吹く風。リアナの瞳は、明後日のミリアとの対話、そしてその先にある「豊かな食卓」だけを見つめていた。
3.変わらない朝の風景
翌朝、リアナはいつもとは違うエリーの控えめな声で目を覚ました。
「リアナ様、朝ですよ。起きてください」
「……ん、おはよう、エリー」
「エリー、どこか具合でも悪いの?」
「体調は問題ないですよ、なぜですか?」
「ならいいんだけど、いつもより声のトーンが低いから心配になっただけよ」
エリーは、ゆずレモンのことが頭から離れなかった。その影響で、今日はおとなしくしていたのだった。
リアナは大きく伸びをしてベッドから出ると、裏庭のポチに挨拶をする。
「ポチ、おはよう」
ポチは嬉しそうにザアーと葉を鳴らす。
ポチに挨拶を済ませ着替えるとリアナは厨房へと向かった。
4.未知の料理「肉じゃが」
厨房に入ると、すでに働いていた料理人たちが一斉に手を止め、深々と頭を下げた。
「おはよう」
「「おはようございます、リアナ様!」」
料理長をはじめとするスタッフたちの目は、今日もリアナがどんな「料理」を見せてくれるのかという期待に満ちていた。
「今日は、『肉じゃが』を作るわ」
「……にくじゃが、ですか?」
聞き慣れない単語に、料理人たちが顔を見合わせた。リアナにとっては和食の定番中の定番、母?の味だが、この世界の人にとっては未知の響きだった。
「ええ。お肉とじゃがいもを甘辛く煮込んだ、とってもご飯が進む料理よ。……じゃがいも、玉ねぎ、キャロテを取ってくれるかしら」
リアナの指示に従い、瑞々しい野菜たちが調理台に並べられる。
「じゃがいもは少し大きめの乱切りに。キャロテもそれに合わせて切ってちょうだい。玉ねぎは、くし切りね」
「くし切りとは何ですか?」
リアナ自身も包丁を握り、手際よく野菜を切っていく。
「これが、くし切りよ」
「なるほど、切り方にも名前があるのですね」
「そうよ、名前があったほうが伝えるの楽でしょ」
「確かにそうですね」
隣で見ていた料理人が、感心したように頷く。
「食材を一緒に煮る……」
「そうよ、じゃがいもは、だしと甘みを吸わせて、ホクホクにするのがポイントよ。煮崩れする寸前のじゃがいもが一番美味しいの」
厨房に、じゃがいもの土の香りと、玉ねぎのツンとした刺激、そしてこれから加わるお肉への期待感が混ざり合う。
「肉じゃが」の調理をしているリアナの視線がある一点で止まった。調理台の隅に置かれた、見慣れない細長い緑色の野菜。
「緑のそれは何?」
「仕入業者が新しく仕入れた物です。まだ名前も決まっていない新種だとか……」
「ちょっと貸してみて」
リアナは迷わず手を伸ばした。
5.刹那の毒見
リアナは手早くその野菜を少し切ると、まずは断面の匂いを嗅ぎ、次に軽く舌先で舐めた。そして、そのまま口へと運んだ。
「ま、待ってください! リアナ様、まだ検証もしてませんっ!!」
アロイスが悲鳴に近い声を上げて止めようとしたが、時すでに遅し。リアナはためらうことなく口へと運んだのだ。
本来、伯爵家に出す食材は、専門の知識を持つ者が厳重に毒性がないか検証しなければならない。もしも万が一、伯爵家に何かあれば、食材を管理していたアロイスたちは死罪を免れないからだ。
「あら、いんげん豆に味が似てるわね……。うん、毒性はないわね」
ケロリとした顔で言い放つリアナ。彼女の中に眠る「工藤玲子」としての知識と、鋭敏すぎる「神の舌」が、瞬時にその安全性を確信した。
しかし、リアナの確信とは裏腹に、アロイスはガタガタと震え、顔面蒼白になっていた。
(も、もしお嬢様がこの場で倒れられたら、私の人生はここで終わる……!)
料理長としての責任、そして自身の命の危機。その重圧にアロイスが絶望の淵に立たされる中、沈黙を破ったのはエリーの厳しい声だった。
「リアナ様、ちゃんと手順を踏んでください!!」
エリーはリアナの前に立ち塞がり、普段の穏やかさからは想像もつかないほど強く問い詰めた。
「リアナ様に何かあれば、ここに居る全員が罰を受けるんです! 冗談ではありません、最悪、死罪になるんですよ!?」
「そうね……ごめんなさい」
「わかればよろしいです! 全く、お嬢様はご自分の立場をもう少し自覚してくださいっ」
エリーの剣幕に、さしもの「わがまま令嬢」も肩をすくめるしかなかった。
知識があるからこそ動けるリアナと、この世界の厳格なルールの中で生きる使用人たち。
エリーの怒声が響き渡った後、厨房には気まずい沈黙が流れた。腰を抜かしたままのアロイスに対し、エリーは呆れたように息を吐きながら、矛先を彼に向けた。
「アロイスさんも、もうちょっとリアナ様の性格を分かってください!」
「えっ、わ、私にか……?」
アロイスが困惑した声を上げると、背後からクスクスと楽しげな、それでいて少し温度の低い笑い声が聞こえた。
「あら、私の性格って何かしら? エリー、詳しく聞かせてくれる?」
リアナが包丁を置かずに、首を傾げてエリーを見つめた。その瞳の奥には、悪戯っぽい光が宿っていた。
6.エリーの失言
「それは……! わがままで、自分勝手で、周りを振り回して、肝心なことは(手紙に)書かないで、あとは……あ……」
勢いに任せて並べ立てていたエリーが、途中でハッと我に返った。主人の顔を正面から見据えて「自分勝手」と断じる侍女。この国の礼儀作法からすれば、本来は即刻クビになってもおかしくない暴言だ。
「……あ、あの、リアナ様、これはその……」
「クスクス、いいわよ。全部、合ってるわ」
リアナは機嫌を損ねるどころか、さらに深く、楽しそうに笑みを深めた。
「でも……エリーの口の中には、少し刺激が必要なようね。『ゆずレモン』を口いっぱいに放り込んであげましょうか?」
「ひぃ……!」
昨日、夕食の席で言われた脅し文句を再び突きつけられ、エリーは自分の唇をぎゅっと結んで後ずさりした。あの強烈な酸味が口内に広がる光景を想像しただけで、背筋に冷たいものが走った。
「冗談よ。さあ、アロイス、いつまでも震えていないで。この『インゲン豆』を茹でて、最高に美味しい肉じゃがを完成させるわよ」
「は、はは……。畏まりました、リアナ様」
アロイスはやっとの思いで立ち上がり、震える手で鍋を火にかけた。
エリーはぷりぷりと怒りながらも、手際よくリアナのサポートに戻る。
わがままで自分勝手――。
それは、確固たる理想と、前世からの知識を持つリアナだからこその強引さだった。そして、それを面と向かって指摘できるエリーとの関係は、この屋敷の中で最も強固な信頼で結ばれている証でもあった。
リアナが調理する横でアロイスはメモを取る。
1.牛肉を色が変わるまで炒める
2.玉ねぎ、キャロテ、じゃがいもの順に加え炒め合わせる
3.水、砂糖、酒、天響茸の出汁を加え中火で煮込む
4.アクを取り醤油とみりんの代わりに作っておいた酒に砂糖を溶かした調味料を入れる
5.落とし蓋をして煮汁が少なくなったら完成
「アロイス、わかったかしら? 最後に茹でていたインゲン豆を添えると彩りも豊かになるわ」
「はい!分かりました。任せてください」
厨房には、醤油の甘辛い香りと、新種の豆が放つ爽やかな香りが混ざり合い、夕食への期待を膨らませた。




