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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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飢えと、確執を溶かすレシピ

1.スラムの生い立ちと確執


リアナは一枚の地図を広げ、ある一点を指差していた。


「……ねえ、そもそも何でこの街にスラムなんて場所があるのかしら?」


その問いに、ラウルが重々しく口を開いた。


「……あれは数十年前、隣のミルフォード領から流れてきた困窮者たちが居着いたのが始まりです。前領主のハゼル様が彼らを不憫に思われ、最低限の寝床を提供なさいましたが……。急な流入を快く思わない領民との間に溝ができ、結局、街の北隅に追いやられる形で固定化してしまったのです」


「善意が中途半端だったから、余計にこじれた……というわけね」


リアナは顎に手をやり、深く頷いた。彼女の脳内では、領地という名の巨大な「厨房」の動線が、めまぐるしく再構築されていく。


「ゼノ、蜜芋糖とゆずレモンのエキスの量産工場だけど……場所はここにしてちょうだい」


リアナが地図の東側、伯爵家があるヴァルセリア街と「新コロン村」の中間地点を叩いた。


「ここを中心に、北にはゆずレモンの森がある新コロン村。南には……新しく作る『新ホロン村』を配置するわ。そして、今スラムにいる人たちには、全員この新ホロン村に移住してもらう」


「新ホロン村……。お嬢様、その名前にはどのような意味が?」


「『ホロン』はね、個でありながら全体の一部である、という意味を込めたの。一人一人が大切にされながら、みんなで一つの豊かな世界を作っていく。そんな場所にしたいのよ」


「なるほど、そんな意味があるとは……」


ゼノが驚きに目を見開く。


「ええ。現在進めている長屋の建設をさらに増築して、彼らの住まいを確保して。北の村から原材料ゆずレモンが届き、南の村から労働者(元スラムの人々)がやってくる。そして東の工場で生まれた富を、西のヴァルセリアへ流すのよ」


完璧な十字のサプライチェーン。リアナが描く図面は、もはや一令嬢の思いつきを超え、高度な産業都市の設計図と化していた。


「……ですがお嬢様」


ゼノが苦言を呈するように、慎重に言葉を繋いだ。


「場所を移し、生活を向上させたところで、街の人々との確執は消えません。彼らへの蔑視や不信感は、そう簡単には拭えるものではないのです。下手をすれば、新しいスラムができるだけでは?」


リアナは地図から顔を上げ、凛とした瞳でゼノを見つめた。


「確執が消えないのは、お互いを知らないから。そして、お互いが『利益』を共有していないからよ。街の人にとって、今のスラムの人は『奪う存在』もしくは『安い労働力』としか思われてないわ。でも、彼らが作る砂糖が街を豊かにし、商人がそれを売って潤えば、彼らは『宝を生むパートナー』に変わるわ」


リアナは確信を持って微笑んだ。


「お腹が空いていれば誰だって不機嫌になるし、喧嘩もする。でも、みんなで最高に美味しいものを作って、みんなの懐が温かくなれば、過去のしがらみを蒸し返す暇もなくなってしまうものよ」


「……お腹が、満たされれば……」


「そう。私のレシピに『差別』というスパイスはいらないわ。ゼノ、すぐに大工の棟梁に増築を伝えて。それと、スラムの代表に『新しい仕事の誘い』を届ける段取りを」


「……御意。お嬢様の『食による平定』、しかと承りました」


ゼノが深く頭を下げる。


ヴァルセリアの東。かつて荒野だった場所に、甘い香りと人々の歓声が響き渡る日は、もうすぐそこまで来ていた。



2.貴族の財布を狙い撃て


地図を広げたまま、リアナは不敵な笑みを浮かべてゼノに向き直った。その瞳には、すでに数年先の「金貨の山」が見えているようだ。


「さて、蜜芋糖の工房が本格稼働するまでの間に、やるべきことを説明するわね」


リアナは指を一本立てた。


「ゼノ、再来年から蜜芋糖の増産を本格的に開始するわ。それまでの準備期間、希少な今のうちに……この砂糖を貴族たちにバンバン高値で売り付けなさい」


「はい、心得ております」


ゼノが頷いた。


「いい? この蜜芋糖は精製しきらないから、色は少し茶色いわ。でも、それを逆手に取るのよ。『ミネラルが豊富で、お肌にとても良い美容の素です』と言えば、美しさに飢えた夫人たちがこぞって飛びつくはずよ」


リアナはさらに、とっておきの「撒き餌」を提案した。


「そして商談の席で、私が作った特製のお菓子を試食用に渡すの。 一度その味を知ってしまえば、もう後戻りはできないわ」


「そ、そこまでしてくださるのですか……! 私の商会のために、リアナ様自らが厨房に立って援護してくださるとは……」


ゼノは感動に声を震わせ、目頭を熱くした。リアナの深い慈愛と、自分への信頼。商人として、これほど報われる瞬間はない。


「ああ、リアナ様……。このゼノ、粉骨砕身してお嬢様のために――」


「あら、勘違いしないでね?」


感極まるゼノを遮るように、リアナはあっけらかんと言い放った。


「ゼノの商会には、もっともっと大きくなってもらわないと困るのよ。だって、ゼノの商会が儲かれば、領地に入る税金も増えるでしょう?」


「…………え?」


「私がこれからやりたいこと、つまり領地全体のインフラ整備や新技術の開発には、とにかくお金がかかるの。だから、あなたたちにはしっかり稼いで、しっかり納税してもらわないとね!」


リアナが笑顔で突きつけたのは、あまりにもシビアな現実だった。


「あ、そ、そうですよね……。やはり、お嬢様は先を見ていらっしゃる……」


魂が半分抜けたような顔でうなずくゼノ。その隣で、エリーが深い溜め息をつきながらリアナの肩を叩いた。


「リアナ様、今のは一言余計です。せっかくのゼノさんの感動が、霧のように消えていきましたよ」


「あら、そうかしら? 感動なんて、お腹が膨れてからいくらでも味わえるわよ。 それよりも今は、確実な軍資金(予算)を確保することの方が大事だわ」


リアナは悪びれる様子もなく、次の公算を練る。


その横顔は、慈悲深い令嬢というよりも、百戦錬磨の敏腕経営者のそれだった。



3.衛生革命への第一歩


リアナの思考は次のフェーズへと移った。


「次は、衛生面の強化ね」


リアナの言葉に、ゼノは「今度は何だ」と言わんばかりに身構えた。食材を扱う上で大事なこと、それは衛生面だ。


衛生面を怠ると信頼は一気に崩壊する。料亭では手の洗い方や服装のチェックは毎日欠かさずに行なっていた。


「ゼノ、石鹸を大量に買い付けられないかしら? 工房で働く人たちの衛生面を強化したいのよ」


「石鹸、ですか……。お嬢様、それは無茶というものです。石鹸は貴族社会には浸透していますが、平民が日常的に使うにはあまりに高価すぎます」


この世界の石鹸市場はある一つの巨大な商会が独占しており、その製法は国家機密レベルで秘匿されている。一商会に莫大な富をもたらした「白い宝」は、平民にとっては夢のまた夢だ。


「え? たかが石鹸よ? どうしてそんなに高いの?」


「たかが、とは……。他に代わるものがない以上、言い値で買うしかないのです」


リアナにとって、石鹸とは「安価で、泡立ちが良く、いい匂いがするもの」。しかし、この世界の石鹸は転生者のリアナからすれば粗悪品だった。


「全然泡立たないし、鼻を突くような化学的な匂いしかしない、あんな粗悪品が高値で売られているの?」


「リアナ様……これ以上の石鹸はこの世に存在しませんが、何に対して仰っているのですか?」


「あら、えっと……。そうね、私の豊かな想像の中の石鹸と比べちゃったのかしら。おほほ」


リアナは咄嗟に誤魔化した。


(あんな使いにくい石鹸に金を払うなんて馬鹿げてるわ。……でも、正確な化学反応の配合レシピまでは思い出せないのよね)



4.ミリアへの緊急依頼


「分からないなら、知ってそうな人に聞くのが一番ね」


リアナはサッと手紙を書き上げた。宛先は、魔道具技師のミリアだった。何となく彼女なら『知ってそう』と思ったリアナは確認のために聞くことにしたのだ。


「ラウル、悪いんだけどこれをミリアに届けてくださる? 今すぐに!」


「今から、ですか?」


ラウルが困惑の表情を浮かべた。それもそのはず、ロバートがリアナのお使いのため不在な状況の今、リアナの側に残っている護衛はラウルただ一人なのだ。


「申し訳ありません、リアナ様」


「ロバートが帰ってくるまで、私がリアナ様のお側を離れることは出来ません」


「……あ、そうだったわね」


頭の中にある「衛生改革」の熱が冷めないうちに動きたかったのだが、あくまでもラウルは伯爵からリアナの護衛に任命された存在、リアナの命令より伯爵の命令が優先される。


「分かったわよ。じゃあロバートが戻るまで待つわ。……でもゼノ、石鹸の匂いをもう一度嗅いでみて? やっぱりこれ、変な匂いだわ」


工房には、手を洗うためにリアナが用意させた石鹸が置いてある。


「はあ……。私には『高貴な香り』に感じられますが……」


ゼノは困ったように石鹸を見つめた。リアナの「常識」がこの世界の「常識」を塗り替えるには、まずは一人の商会長の鼻から改革していく必要がありそうだ。


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