料理人の悲鳴と、令嬢の「あくなき合理性」
1. 厨房の満身創痍
アロイスがハンバーグのタネの作り方を教わっている頃、隅の方では数名の料理人たちがぐったりと座り込み、自身の腕をさすっていた。
「……さすがに、これだけの量の肉を手作業でミンチにするのは腕にくるな。感覚がなくなってきたよ」
「俺なんて、さっきから涙が止まらねえ……。このオニンの量、殺人的だぞ」
玉ねぎのみじん切りを担当していた若手料理人が、真っ赤な目で訴える。まな板の上には、まるで雪山のように高く積まれたオニンのみじん切り。前世ではフードプロセッサー一台で済んでいた作業も、この世界ではすべてが「人力」だった。
その光景を眺めていたリアナは、人差し指を顎に当てて「うーん」と唸った。
「うーん……。これだけの人数でやってもかなり時間がかかるわね。バロンに『みじん切りの機械』と『肉をミンチにする機械』でも作ってもらおうかしら」
リアナが何気なく発したその一言に、背後に控えていたエリーの表情が凍りついた。
「……リアナ様。これ以上わがままを言うと、バロンさんが過労で死にます」
「え……バロンに死なれるのは困るわね……」
リアナは少しだけ反省したような顔をしたが、すぐに名案を思いついたような明るい表情に戻った。
「でも、聞くだけ聞いてみてもいいんじゃないかしら?」
「お嬢様。その『聞く』という行為自体が、『やれ』という合図として受け止められるんです。バロンさんは職人魂の塊ですから、お嬢様に頼まれたら断ることは出来ません」
「あらそうなの。どうしましょ……他に誰か腕の良い職人は居ないかしら? 今日、工房に行った時にバロンに心当たりを聞いてみましょう」
リアナの言葉に、エリーは深く、深いため息をついた。
「バロンさん、どうか強く生きてくださいね……」
エリーは心の中で、今この瞬間も槌を振るっているであろうバロンの身を案じ、そっと天を仰いだ。
リアナの頭の中にある「未来の知識」は、領地を豊かにする魔法の杖だが、それを形にする職人たちにとっては、まさに「終わりのない試練」そのものだったのである。
厨房には、叩き上げられた肉の香りと、オニンの甘い残り香が満ちていた。リアナは満足げに、冷蔵魔道具の棚に収められたハンバーグのタネを確認した。
「アロイス、ハンバーグは夕方から焼き始めるわね。お父様たちの予定に合わせて準備してちょうだい」
「承知いたしました、リアナ様。それまでに、騎士団や使用人、子供たちの分も含め、人数分のタネを完璧に仕上げておきます」
「頼りにしてるわ。エリー、主食堂へ向かうわよ」
「はい、お嬢様」
リアナはエプロンを外し、身なりを整えると、館の主食堂へと向かった。そこには、すでに朝の光の中で席に着いている父・エリオンと母・エルザの姿があった。
2.伯爵夫妻の朝食
「おはようございます。お父様、お母様」
「うむ、おはようリアナ。今朝も厨房から随分と威勢のいい音が聞こえていたようだが?」
エリオンが穏やかに笑い、エルザも優しく頷く。
「ええ、少し新しい試みを。……さあ、冷めないうちに召し上がってください」
二人の前には、アロイスたちが丹精込めて盛り付けた「三色そぼろ丼」と、湯気が立ち上る「野菜スープ」。そして、今朝収穫されたばかりの「ポチの実」が、美しく切り分けられて並べられていた。
今朝の献立
三色そぼろ丼: 鶏そぼろの旨味、卵の甘み、青菜の塩気が一体となった一品。
季節の野菜スープ: じっくり煮込んだ根菜の出汁が身体に染みる。
完熟ポチの実: 守護樹の生命力が詰まった、芳醇な甘い香りと酸味。
エリオンとエルザが、そっとスプーンを手に取った。
まずは「そぼろ丼」を一口。
「……ほう。鶏の挽き肉か。ポロの実の粘り気と、この甘辛い味付けが実によく合って食欲をそそる」
「本当。このタマゴそぼろも、なんてふんわりして優しいお味なのかしら。緑の野菜がアクセントになっていて、最後まで飽きさせないわ」
普段は静かな朝食の席に、感嘆の声が漏れる。だが、本当の「感動」はその後に待っていた。
食後の口直しに、二人がポチの実を口に運んだ瞬間――。
「……ッ、これは……!」
エリオンが目を見開いた。
「今までの果物とは、香りの格が違うわ。酸味の奥に、とろけるような甘みがある……。これが、あのポチが育てた完熟の実なのね?」
「ええ。今朝、ポチが一生懸命我慢して蓄えていたものを分けてもらったんです。お口に合ったようで良かったわ」
リアナは、幸せそうに微笑む両親を見ながら、心の中でガッツポーズを作った。
食卓を囲むこの穏やかな時間こそ、彼女がこの領地で守り抜き、さらに豊かにしたいと願うものの正体だった。
「美味しかったわ、リアナ。これで今日も一日、元気に過ごせそうよ」
「気に入ってもらえて何よりです」
『美味しい』その一言がリアナにとって一番の褒め言葉だった。
3.守護樹への感謝
朝食を終えたリアナは、身支度を整えると庭へと出た。高くそびえ立つポチの幹に手を添え、優しく語りかける。
「ポチ、今朝の果実、とっても美味しかったわよ」
「みんな大喜びだったわ」
「それじゃ、見守りよろしくね。行ってくるわ」
リアナの言葉に応えるように、ポチの黄金色の枝がザアーッと大きな音を立てて揺れた。それはまるで、主人の背中を押す力強いエールのように響いた。
4.鍛冶場の静寂と「不穏な」質問
次に向かったのは、すでに槌音が響き始めている木工鍛冶工房だ。作業の手を止めず、額に汗を浮かべて指示を出しているバロンを見つけると、リアナは真っ直ぐに歩み寄った。
「バロン、少しいいかしら?」
「おや、リアナ様、どうされました? 圧搾機の件でしたら、今まさに二号機の調整を――」
「いいえ、今日は聞きたいことがあるのよ。……ねえ、バロン。あなたの知り合いで、腕のいい鍛冶職人は他に居ないかしら?」
その問いを聞いた瞬間、バロンの動きがピタリと止まった。握りしめていた槌が震え、彼の顔からスッと血の気が引いていく。
「…………えっ?」
「リ、リアナ様……。……俺、何か気に障るようなことをしましたかい?」
「え? どうしたの、急に」
バロンは震える声で、今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。
「い、いや……なぜ急にお役御免の話になるのかと思いまして……。ああ、やっぱり俺の腕じゃ、お嬢様の求める品質には届かなかったんですかい……?」
「あら、違うわよ! とんでもない勘違いをしないで」
リアナは慌てて首を振った。
「新しい調理器具――肉を細かくする機械とか、野菜を刻む機械を作ってもらいたいだけよ」
「これ以上バロンに頼んだら、あなたが本当に過労死(働きすぎて死ぬこと)しちゃうんじゃないかと思って。心配して他に鍛冶の腕のいい職人が居ないか聞きたかったのよ」
「……そ、そういうことでしたか……」
バロンはその場にヘナヘナと座り込み、大きく安堵の吐息を漏らした。隣で見守っていたエリーも、「お嬢様の言い方が紛らわしいんですよ」と呆れ顔だ。
「心臓に悪いですぜ、お嬢様……。ですが、俺の身を案じてくださったのはありがてえ。……そういうことなら、心当たりがありやす」
バロンは立ち上がり、煤を拭いながら少し誇らしげに語り始めた。
「隣町のトロンに住んでいるオルドはどうでしょうかね。あいつとは昔、同じ親方のもとで競い合った仲でして。口は悪いが、腕に関しては俺と同等……いや、細かい細工ならあいつの方が上かもしれねえ。あいつなら、お嬢様の無茶な注文にも食らいついていけるはずですぜ」
「オルドね。バロンと同等の腕なら、全く問題ないわ」
リアナの瞳に、新たな「開発パートナー」への期待が宿る。
「ありがとう、バロン。じゃあ、まずはそのオルドという人に連絡を取ってみるわ。もちろん、バロンには引き続き『工房の要』として頑張ってもらうから、安心してちょうだいね」
「へい! お任せくだせえ!」
現金なもので、バロンは先ほどまでの絶望が嘘のように、活き活きと槌を振り上げ始めた。
リアナはその後姿に苦笑しつつ、頭の中ではすでに「ミンチ機」と「みじん切り器」の設計図を思い描いていた。




