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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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潮風の誘惑と、ジョアンナの鎖

1.籠に詰めた「内緒の戦利品」


料理教室の終わりを告げる温かな湯気が食堂に満ちる中、ジョアンナは優雅に、しかし手際よく自分の分の野菜スープを飲み干した。


「ジョアンナ様、唐揚げも食べていかれませんの?」


リアナの問いかけに、ジョアンナは少しだけ視線を逸らし、手元の籠をそっと布で覆った。


「……ええ。スープはここで頂きましたが、この『カラアゲ』は、帰ってから食べます」


もちろん、それが「夜、自室でこっそり楽しむための晩酌のお供」であることを、リアナはすべてお見通しだった。


ちょうどその時、外でラウルにしごかれていた子供たちが、泥だらけになりながらも清々しい表情で戻ってきた。


「ラウル、お疲れ様。みんな、まずは手を洗って。夕飯の準備を手伝ってちょうだいね」


リアナの声に、子供たちは「はーい!」と元気よく返事をし、流し台へと駆けていった。


「では、私はこれで失礼致します」


「ジョアンナ先生、ありがとうございました! さようなら!」


子供たちが一斉に足を止め、ジョアンナに向かって深く、美しいお辞儀をする。


これはリアナが真っ先に叩き込んだ礼儀作法の一つ、「感謝を形にできる者は、誰からも助けられる」という彼女の持論だった。


「はい、ではまた明後日ね」


「私もおいとましますわ」


リアナが告げると子供たちが一斉に声をかける。


「「リアナ様、またね!」」


二人が孤児院の扉を出ると伯爵邸の荷馬車が到着した。中には、夕食用の炊きたてのポロの実のご飯がぎっしりと積まれている。


「ジョアンナ侯爵夫人、今日も一日ありがとうございました」


リアナが改めて丁寧に頭を下げると、ジョアンナは沈みゆく夕日を見つめながら、静かに口を開いた。


「……無邪気な子供というのは、これほどまでに新鮮なものですのね。私がこれまで見てきた貴族の子息や令嬢ときたら……傲慢で、気に入らなければすぐに親の権力を盾にする。正直、うんざりしておりましたわ」


ジョアンナにとって、読み書きを必死に覚え、自ら食器を洗い、去り際に敬意を示すこの孤児院の子供たちは、荒んだ教育者人生の中で見つけた「宝石」のように映っていた。


「明日、伯爵邸でお会いしましょう。……次は『帝王学』の続きですわよ。覚悟しておいてくださいませ」


ジョアンナはそう言い残すと、唐揚げの入った籠を大切に抱え、馬車で去っていった。


この世界には明確な曜日の概念は無いが、リアナは前世の感覚を忘れないよう、自分の一週間に独自のスケジュールを割り振っていた。


月、水、金は孤児院に行き、火・木・土は、リアナにとって「令嬢」としての義務を果たす日、帝王学、歴史、ダンス、作法は平民には必要ないが貴族のリアナは必須だからだ。


そして日曜日は、好きな事やる日と決めている。



2.激震のモーニングコール


翌朝。リアナの眠りを妨げたのは、窓の外から響く――ザザザザザッ!という、これまでに聞いたこともないような激しい木の葉の擦れる音だった。


次の瞬間、寝室の扉が悲鳴を上げるような勢いで開け放たれた。


「お嬢様! 大変です、ポチが、ポチが大変なことになっておりますわ!!」


「……エリー。扉はもっと優雅に、ゆっくり開けてくださるかしら。心臓に悪いわ」


「そんなことを気にしている場合じゃありません!」


パジャマ姿のリアナを無視して、エリーは窓へ突進するとカーテンを力任せに引き開けた。


窓越しに見える黄金の巨木――守護樹「ポチ」は、まるで寒さに震える子犬のように、小刻みに、かつ激しく全身の枝を揺らしていた。


「あら。……トイレかしら」


「……はい?」


エリーは「この主人は何を言っているんだ」という絶望的な表情を浮かべたが、リアナは平然としたものだ。


「そんな冗談を言っている暇はありません! 早く行きますよ!」


エリーに引きずられるようにして着替えと整髪を済まされたリアナは、そのまま庭へと連行された。



3. 庭師と騎士の困惑


ポチの周囲には、すでに数名の騎士と顔色の悪い庭師が集まっていた。


「リアナ様! 木の様子がおかしいのです。病か、あるいは何かの前触れか……」


庭師が縋るような声を出す。リアナは悠然と頬杖をつき、震える巨大な幹を見上げた。


「やっぱり、トイレだと思うわ」


全員の動きが止まった。その場にいた者たちの心が「この人、何言ってんの?」という無言の叫びで一つになった、その時だった。


――ポトッ。ベチャッ。


ポチの枝から、一粒の大きなゆずレモンの実が地面に落ちた。実は衝撃で潰れたが、次の瞬間、まるで生き物のようにポチの根がその水分を吸い上げ、跡形もなく消し去ってしまった。


「ほらね、やっぱりトイレよ。ポチ、スッキリした?」


周りの人間が呆れて言葉を失う中、リアナだけはポチの「苦悶」の理由を正しく理解していた。



4. 即席の「受け皿」作戦


「誰でもいいから、至急シーツを三枚用意してくださる?」


リアナの指示に、数人の騎士が困惑しながらも館へと走り、真っ白なシーツを抱えて戻ってきた。


「いい? そのシーツを広げて、ポチの枝の下に入ってちょうだい。ピンと張るんじゃなくて、少しだけたるませる感じでね。……そう、ゆりかごみたいに」


騎士たちが言われた通り、ポチの巨大な枝の下でシーツの端を持ち、即席のネットを作る。


すると、それを待っていたかのように、ポチが再び――ザアーッ!と枝を鳴らした。


トトトトトッ!


雨あられと降り注ぐのは、完熟したゆずレモンの実だ。


シーツがずっしりと重くなり、騎士たちが足を踏ん張る。リアナはその中から一つ、陽光を浴びて輝く実を手に取った。


「ふふ、いい香り。……あら、熟しかけているのね」


鼻を抜けるのは、以前よりもずっと濃密で甘い、爽やかな香気。


ゆずレモンが食べ頃を迎えたのだ。けれど、ポチは自分の体の一部であるこの実を落としたくなくて、地面に捨てるのが忍びなくて、ずっと落ちないように一生懸命踏ん張っていた。


「ごめんね、ポチ。気づいてあげられなくて。もう我慢しなくていいわよ。私たちが全部、美味しく使ってあげるから」


リアナが優しく幹に触れると、ポチの震えはピタリと止まり、満足げに一度だけ大きく葉を揺らした。


シーツの中には、傷一つない完璧なゆずレモンの山ができていた。


「さあ、みんな! 今日は予定変更よ。この『ポチの贈り物』を至急、厨房の冷暗所に運んで! アロイスに伝えてちょうだい」


騎士たちも、先ほどまでの恐怖が嘘のように、芳醇な香りに包まれて顔を綻ばせている。


「今日はこの完熟の実を使って、ジョアンナも驚くような『特別なデザート』を試作してみましょうかしら」


リアナは黄金色の実を愛おしそうに眺め、早くも頭の中で新しいレシピを組み立て始めていた。



5.「網」から繋がる海の記憶


ポチの根元に広げられた真っ白なシーツの上には、騎士たちが抱えきれないほどの完熟ゆずレモンが転がっている。リアナはその光景を満足げに見つめていたが、ふと眉をひそめて幹を見上げた。


「……ポチ、これからも定期的に実を落とすわよね。いつでも落とせるようにシーツを設置するのはいいけれど、これじゃあ根っこに陽の光が届かなくなってしまうわ。ポチの健康を損ねるわけにはいかないわね」


「お嬢様、また木の心配を……。ですが、確かにずっと敷きっぱなしというわけにもいきませんね」


エリーの言葉に、リアナは人差し指を顎に当てて考え込む。


「光を通しつつ、実を優しく受け止めるもの……。網、そうね、網はないかしら? 魚を獲るような、丈夫で大きな網が」


「網、ですか……」


近くにいた騎士の一人が、記憶を辿るように空を仰いだ。


「ここから少し離れた隣領のデュラン侯爵領なら、港町があります。海で使う丈夫な網なら、あそこの市場でいくらでも売っているはずですよ」


「デュラン領……海……」


その言葉がリアナの鼓膜を叩いた瞬間、彼女の脳内に雷が落ちた。前世――工藤玲子としての記憶が、潮の香りと共に爆発したのだ。


「海……海があるのね!? 網があるなら、当然あるわよね!? 昆布こんぶとワカメが!!」


「こ、こん……? お嬢様、なんですって?」


出汁だしよ! 日本人の……いえ、私の魂の源流! ムーンシルバーの出汁もいいけれど、昆布の旨味があれば、味噌スープはさらなる高みへ昇天するわ! それにワカメの味噌汁! 酢の物! ああ、考えただけで涎が……!」


リアナの瞳が、獲物を狙う猛獣のようにギラリと輝いた。彼女は迷うことなく、近くの騎士の肩を掴んだ。


「すぐに行くわよ! 今すぐ馬車を出して! 隣のデュラン領の海まで、網と……いえ、昆布とワカメを買い付けに行くわ!!」


「ええっ!? い、今すぐですか!?」


騎士は目を白黒させて後ずさった。


「リアナ様、落ち着いてください。ここからデュラン領の海岸線まで、どんなに馬車を飛ばしても片道五日はかかりますよ」


「五日……」


リアナは一瞬、絶望に打ちのめされるかと思いきや、パアッと顔を輝かせた。


「たったの五日!? たった五日我慢すれば、昆布を山ほど手に入れられるのね! 往復十日、準備を含めて二週間あれば、私の食卓に革命が起きるわ! 素晴らしいわ、すぐに出発しましょう!」


「リアナ様……網じゃなくて、その『コンブ』とやらが目的なんですね……」


騎士たちは「また始まった」と肩を落とす。しかし、暴走するリアナの前に、最強の防波堤が立ちはだかった。



6.令嬢の義務


「……リアナ様。ダメです」


冷徹な、しかし有無を言わせぬトーンでエリーが告げた。彼女は主人の目をじっと見据える。


「何を仰っているのですか。今日の午後は、ジョアンナ侯爵夫人による『帝王学』の講義があるとお忘れですか?」


「………………あっ」


リアナの動きが凍りついた。


今日は火曜日。彼女が自分自身で決めた、過酷な令嬢修行の日である。あの厳格なジョアンナが、授業をサボって海へ昆布を獲りに行くことを許すはずがない。


「いいですか、お嬢様。今は網よりも、知識を頭に詰め込む時です。海は逃げません。ですが、ジョアンナ様の雷は今すぐそこまで落ちてきておりますわよ」


「そ、そんなー……! 私の昆布が……ワカメが……ううう……」


先ほどまでの勢いはどこへやら。リアナはがっくりとうなだれ、ずるずると館の方へ引きずられていく。


「ポチ……ごめんね。網はもう少し先になりそうよ。……それまで、トイレは少しだけ我慢して……」


「だからトイレじゃありませんってば!」


「それに網ならこの後に来るゼノさんに頼めばいいだけです!」


エリーのツッコミが響き渡る中、リアナの「海への野望」は、帝王学という名の厚い壁によって一旦お預けとなったのであった。


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