庭園の守護者と、騎士たちの沈黙
1.庭師ホセの災難
翌朝、オルフェウス伯爵邸の専属庭師、ホセはいつものように夜明けと共に目を覚ました。
彼の家は伯爵邸の敷地内、裏門のすぐ近くに建っている。長年、この屋敷の広大な庭を隅々まで管理してきた彼にとって、庭の草木は家族同然。どこにどの花が咲き、どの枝が伸びているか、すべて頭に入っていた。
「ふぁ……。さて、今日もバラの剪定から始めるか……」
ホセが欠伸をしながら裏門を抜けた、その瞬間だった。
彼は自分の目を疑い、手に持っていた剪定バサミを地面に落とした。
「……え? は? だ、誰だこんな所に木を植えたやつは!!」
昨日までは、手入れの行き届いた芝生が広がっていたはずの場所。
そこには今、高さ数メートルはある立派な、それも黄金色の実をたわわに実らせた「未知の樹木」が、堂々と大地に根を張ってそびえ立っていた。
2.騒然とする伯爵邸
屋敷の中は、早朝からひっくり返ったような騒ぎになっていた。
「不審な侵入者か!?」「一夜にして巨木が現れるなど、魔物の仕業か!?」と騎士たちが色めき立つ。
バタバタバタ……バンッ!
「り、リアナ様! 大変です! 起きてください!!」
リアナの寝室の扉が、壊れんばかりの勢いで開いた。
「エリー! 淑女なら扉はゆっくり開けなさいと言ったでしょう……。まだ夢の中なのよ……」
ベッドの中で丸まっていたリアナが不機嫌そうに顔を出すが、エリーは構わず窓に駆け寄り、重いカーテンを勢いよく引き開けた。
「そ、それどころではないんです! 外を見てください!」
エリーが窓を開け放った、その時。
――ザアアアアァァッ。
風もないのに、外からあの「澄んだ音色」のような木々の揺れる音が響いてきた。
それと同時に、窓から流れ込んできたのは、目が覚めるほど鮮烈で、けれどどこか甘く懐かしい、あの柑橘系の香り。
「あら、この匂いは……」
リアナはパッと目を覚まし、裸足のまま窓辺に駆け寄った。
朝露に濡れた庭。その裏門近くに、昨日コロン村で見送ったはずの、あの「ゆずレモン」の木が一本、誇らしげに枝を揺らしていた。
3.愛された主への「先回り」
「清々しい朝に、この匂いは最高ね」
リアナは深く息を吸い込み、うっとりと目を細めた。
対照的に、エリーは窓の外の光景とリアナの顔を交互に見て、顔を引き攣らせている。
「最高、じゃありませんよ! お嬢様、あれ、コロン村にあった木ですよね!? 昨日の夜、私たちは馬車で数時間かけて帰ってきたんですよ? なぜ、あの木がここにあるんですか!?」
「さあ? きっと、私と一緒にいたくて追いかけてきちゃったのかしら」
「木が走って追いかけてくるわけないでしょう! そもそも、植え替えの作業は、まだ模索中ですよ……」
リアナは階下で頭を抱えている庭師ホセと、剣を構えて木を囲んでいる騎士たちを見下ろし、クスクスと笑った。
(やっぱり、あの森はただの森じゃなかったのね。妖精か、あるいは森の意志か……。この木は、自分たちが『価値あるもの』として扱われる場所へ、自ら転移したんだわ)
「エリー、騒ぐのはやめなさい。あの子は、私たちの領地を気に入ってくれただけよ」
リアナは窓から身を乗り出し、黄金の木に向かって小さく手を振った。
すると、木は再びザアーッと音を立て、一枚の葉をひらりとリアナの手元へ飛ばしてきた。
「ラウルとロバートを呼びなさい。彼らに『不審な木じゃないから、丁重に扱うように』と伝えて。……それからホセには、新しい家族が増えたからよろしく、とね」
コロン村からオルフェウス領へ。
百四十七本の移住計画の第一号は、人間ではなく、意志を持った「木」自らによる強行突破だった。
4.執務室の尋問
オルフェウス伯爵邸の執務室には、針が落ちても聞こえるような静寂と、胃が痛くなるような圧迫感が漂っていた。
部屋の中央には、直立不動の姿勢で立つラウルとロバート。
そしてその両脇を固めるのは、伯爵領の全騎士を束ねる騎士団長ガストンと、副団長ヴェインである。二人のベテラン騎士は、まるで重大な軍規違反を犯した部下を詰問するかのように、ラウルたちに鋭い視線を送っていた。
デスクの奥では、領主であるオルフェウス伯爵が、深く椅子に身を沈めている。その指先は、絶え間なく続く頭痛をこらえるように眉間に当てられていた。
「……呼ばれた理由は、わかっているな?」
団長ガストンの野太い声が、室内に低く響く。
「「はい!」」
ラウルとロバートの声が完璧に重なった。
「では、説明しろ。今朝、裏門の近くに突如として現れた……あの『動くはずのないもの』は何だ?」
伯爵が顔を上げ、二人を見据える。その瞳には、主君としての厳格さと、父親としての「またリアナか……」という深い諦念が混じり合っていた。
5.伝説の「種族」
ラウルが一歩前に出て、静かに口を開いた。
「確証はありませんが……。古の伝承に語られる、『トレント(人面樹)』の類かと思われます。それも、高度な意志を持ち、特定の主に忠誠を誓う守護樹の一種かと」
「トレントだと?」
副団長ヴェインが眉をひそめる。
「あれは深い森の奥に棲まう魔物のはずだ。それがなぜ、伯爵邸のど真ん中に、平然と根を張っている?」
「魔物、という定義は適切ではないかもしれません。あの木……いえ、あのトレントは、リアナ様を自らの主として選んだようです。昨夜、コロン村を離れる際、リアナ様が木に触れられた瞬間、共鳴が起きたのを我々はこの目で見ました」
ロバートも言葉を添える。
「今朝の様子を見れば明白です。あの木は、リアナ様が窓を開けられた瞬間にだけ、歓喜の音を奏でておりました。お嬢様の前では実に大人しいものです」
6.伯爵の決断
「害は……あるのか?」
伯爵が、絞り出すような声で尋ねた。
「リアナ様に仇なさない限り、ないかと思われます。 むしろ、あの木がいる限り、裏門からの刺客や魔物の侵入は不可能でしょう。あれは生きた城壁です」
ラウルの断言に、騎士団長と副団長は顔を見合わせた。伝説上の存在が庭に居座るという事態は、騎士団の防衛計画を根底から覆すものだ。
しかし、伯爵は「ふー……」と、この日何度目か分からないほど深い、そして長い溜め息を吐き出した。
「そうか……。わかった。もはや、あの子のやることに常識を当てはめるのが間違いなのだろう」
伯爵は背筋を伸ばし、領主としての命令を下した。
「あの木に一切の危害を加えることを禁止する。 庭師のホセにも伝えろ。あれは庭木ではない、我がオルフェウス家の『特別な賓客』だ。騎士団も、あれを刺激するような訓練は控えよ」
「「はっ!」」
ラウルとロバートは胸に手を当て、深く一礼した。
彼らの内心には、主君からの理解を得られた安堵感があった。
執務室での尋問が一段落した頃、ラウルはふと思い至った疑問を主君であるオルフェウス伯爵に投げかけた。
「閣下、一つ伺いたいことがございます。我がオルフェウス領には古くから『妖精の森』の伝承が残っていますが……あの木がいたミルフォード領にも、似たような伝承はございませんか?」
伯爵は一瞬、あっけにとられたように目をしばたかせた。
「……ミルフォード領、か。あそこは歴史こそ古いが、現当主が実利以外のものをすべて切り捨ててしまったからな。古い伝承など、今や語る者もいないだろう」
伯爵は窓の外で悠然と枝を揺らす黄金の木を見上げ、重い溜め息をついた。
「だが、お前がそこまで言うなら、王立図書館の古文書や古い地誌を調べておこう。……あの子が連れてくるものには、常に『理由』があるようだからな」
7.黄金の沈黙
執務室を出たラウルとロバートを、団長ガストンが呼び止めた。
「おい、ラウル。……あれは本当に、あの酸っぱい実がなる木なんだな?」
「はい。ですが団長、あれを『ただの酸っぱい実』だと思わない方がよろしいかと。お嬢様の手にかかれば、あれは……」
ラウルは、昨夜エリーの顔を崩壊させたあの強烈な酸味と、自分が味わった至高の甘さを思い出し、意味深に微笑んだ。
「……毒にも薬にも、そして世界一の贅沢品にもなる代物ですよ」
一方、庭では。
一本のゆずレモンの木が、春の柔らかな日差しを浴びながら、リアナの部屋の窓に向かって、優雅に枝を揺らしていた。まるで、執務室での議論など、自分には関係がないと言わんばかりの、誇らしげな佇まいで。




