見守る黄金の木と、騎士たちの確信
1.違和感の正体
リアナは、自分の手の中にふわりと落ちてきた二つの「ゆずレモン」をじっと見つめていた。
村長から手渡された実と、木が自ら差し出してきた実。見た目はどちらも黄金色で美しいが、鼻を近づけた瞬間にリアナは気づいた。
(……違うわ。香りの質が、全く別物だわ)
村長からの実は、鋭く刺すような酸っぱい香りが前面に出ている。しかし、今しがた手に入れた二つは、完熟した蜂蜜のような濃厚な甘さと、花の精油のような気品ある芳香が混じり合っていた。
リアナは、格闘の末に収穫ゼロだった三人を振り返り、不敵に微笑む。
「さて。一番採れなかったのは、エリー、ラウル、ロバート。……あなたたち三人ね」
「うう……面目次第もございません、お嬢様」
「丁度ここに三つの実があるわ。好きなのを選びなさい。食べれば罰ゲーム終了よ」
2.運命の選択
テーブル(代わりにされた根)の上に、三つの実が並べられた。
一つは村長が「呪い」と呼んで収穫したもの。残りの二つは、木がリアナに授けたもの。
「それ全部ゆずレモンですよね……リアナ様。どれを選んでも、地獄の行き先は同じではないのですか……?」
エリーが絶望的な顔で呟く。
「いいから選びなさい」
最初に動いたのは、百戦錬磨の騎士、ラウルだった。彼は鋭い観察眼で三つの実を見つめた。
(お嬢様の手元に落ちた実は、わずかに皮の表面が滑らかで、輝きが深い……気がする)
彼は直感に従い、そのうちの一つを手に取った。
続いて、寡黙なロバート。彼は鼻をひくつかせ、最も香りが「柔らかい」と感じたもう一つを手にした。
必然的に、最後に残った「村長の実」がエリーの前に差し出された。
「あら、さすが私の護衛ね。観察力は凄いわね」
リアナが小声でボソリと呟いたが、その言葉は誰の耳にも届かなかった。
3.黄金の裏切り
「……では、いただきます。死ぬ時は一緒だ、ロバート」
ラウルが覚悟を決め、豪快に実を丸かじりした。
ガブリ!
強烈な酸味で絶叫するかと思いきや、ラウルの動きがピタリと止まった。
脳が、今まで経験したことのない感覚にパニックを起こしている。
「え? あれ……? う、うまい……!!」
「何を言っているんですか、ラウルさん! 強がっても無駄ですよ!」
エリーが叫ぶ中、続いてロバートもかぶりついた。
ガブリ!
「…………っ!! な、すごく甘くて美味しい……。これは、果実というより、最初から完成されたお菓子のようだ……」
「美味しいわけないじゃないですか! あまりの酸っぱさに顔が崩壊するんですよ! ラウルさんもロバートさんも、私を道連れにするために舌がバカになったフリをしてるんですか!?」
「いや、エリー、マジでうまいんだって!」
「信じてくれ。今までの酸っぱさが嘘のようだ」
必死に訴える二人を見て、エリーはさらに不信感を募らせる。
「……そこまで言うなら、食べますわよ! そして私が『嘘つき!』と叫んで差し上げますわ!」
満を持して、エリーは手の中の実を大きく一口……。
4.崩壊する現実
――クチャッ。
「…………ッッッッッ!!!!?????」
エリーの全身が、電気に打たれたように硬直した。
次の瞬間、彼女の顔面は凄まじい勢いで中心に収束し、目は固く閉じられ、鼻はひしゃげ、口はありえない角度にすぼまった。
「……すっぱ……! すっぱーーーい!! 嘘つき!私を騙しましたね!!」
エリーは顔を崩壊させたまま、大粒の涙を流して訴えた。
ラウルとロバートは、申し訳なさそうに、しかし至福の表情で自分の実を食べ続けている。
「ひどい……ひどすぎます……! 私だけ、私だけ違うものを食べさせられましたわ!」
「あら、自分で選んだんじゃない。運と観察力も実力のうちよ、エリー」
リアナは優雅にゆずレモンの香りを楽しみながら、そっと心の中で木に感謝した。
(妖精の森に近いこの木たちは、意志を持っている。そして、自分を愛でる者には『最高の雫』を与え、ただ利用しようとする者には『厳しい酸味』で身を守る……。面白いわね)
崩壊した顔で泣きじゃくるエリーを見ながら、リアナはゆずレモンの香りを堪能していた。
5.嵐の前の静寂、コロン村
「村長さん、任せたわよ」
「ウルズ、明日、今取れたゆずレモンの実をオルフェウス伯爵邸まで届けてちょうだい」
「わかりました、リアナ様」
リアナ一行が村を後にした。コロン村の広場には、まだ彼女の言葉の熱気がかすかに残っていた。村人たちの瞳には、未来への希望と、それを上回るほどの「恐怖」が同居している。
「……本当に、やるんだな」
一人の男が呟く。
村長は、リアナから託された「死の病の芝居」を考えながら力強く頷いた。
「この生活から逃れるには、これしかない。いいか、一ヶ月後だ。一ヶ月後にやってくる『税徴収の監視員』。そこを乗り越えればいいだけだ。彼らが帰れば、次の徴収は半年後……その時、我々はもうここにはおらん」
「「はい……!」」
村人たちの声は小さかったが、そこには死を待つだけの民にはなかった「意志」が宿っていた。彼らは、あのお転婆で、けれど底知れない力を持つ令嬢に、自分たちのすべてを賭けることに決めたのだ。
6.街道の違和感
一方、コロン村を離れ、街道を走る一台の馬車。
御者台に座り、馬の手綱を握るラウルは、バックミラー代わりの磨かれた金属板を何度も確認しながら、言いようのない違和感に襲われていた。
「ロバート、一つ気になることがあるんだが……」
馬車の横を並走し、周囲の茂みを警戒していたロバートが、足を止めずに耳を貸す。
「ん、どうした? 魔物か?」
「いや、そうじゃない。俺は、騎士の中でも記憶力はいい方だと思ってる。……なあ、あの村の裏の斜面、木が増えてなかったか?」
その問いに、ロバートは驚く様子もなく、前方を見据えたまま答えた。
「心配するな。増えているぞ」
「……だよな。やっぱり見間違いじゃないよな」
「ああ。リアナ様がさっきまで腰掛けていた、あの木の根の場所だ。俺たちが到着した時には、あそこに木は無かった。だが、立ち去る時に振り返ったら、そこには一本の立派なゆずレモンの木がそびえ立っていた」
二人は一瞬、無言になった。
八歳の少女が座っていた木は、本来なら何年もかけて育つはずの樹木が、瞬時にして成木となって現れた。もはや「植物の成長」という言葉では説明がつかない。
7.妖精の「聖域」の重なり
「はぁ……。あの森、やっぱりただの荒れ地じゃないな」
ラウルが、確信を持って呟いた。彼がそう判断した理由は、大きく分けて二つあった。
一つは、魔物の不在だ。
この国の山林には、必ずと言っていいほど魔物が徘徊している。だが、このコロン村の裏山には、魔物の気配が一切なかった。村人たちが無防備に交代で管理できていたこと自体が、何かに守られている証拠だったのだ。
そして最大の理由が、あの木々の動き。
「あのザアーッという音、そしてリアナ様に呼応するように実を落とす姿……。先日訪れた、オルフェウス領の『妖精の森』と全く同じだ」
「ああ。どうやらリアナ様は、無意識のうちにか、あるいは意図してか……妖精の森の『種』を、あの村にも蒔いていかれたらしいな」
馬車の窓から、リアナが楽しそうにゆずレモンの香りを嗅いでいる気配が伝わってくる。
「……あのお嬢様についていくと、俺たちの常識がいくつあっても足りんな」
「今更だろう。……さあ、急ぐぞ。領地に戻れば、次は『長屋』の建設だ」
騎士たちは苦笑いしながらも、主への敬意を新たにし、馬車を早めた。
彼らの背後、遠ざかるコロン村の斜面では、新しく生まれた一本の黄金の木が、まるで村を、そして去りゆく主を見送るように、風もないのに静かに枝を揺らしていた。




