黄金の果汁と、職人の誇り
1. 拾われた「呪い」の正体
王都での騒乱を抜け、リアナの一行は伯爵邸へと戻った。護衛のラウルに連れられた露店主のウルズは、豪華な邸宅の玄関で、場違いな自分の姿に身を縮めていた。
「ウルズさん、そんなに震えないで。私、あなたを罰するために連れてきたんじゃないわ。……むしろ、あなたが持っていたあの『黄色い実』が、私の領地を、そしてこの国を救う鍵になるかもしれないと思っているの」
リアナは応接間のソファにどっしりと座り、テーブルの上に置かれた例の「酸っぱい実」を見つめた。
「お、お嬢様……。あれは、西の荒れ地に勝手に生えているものです。土地の連中からは『酸い呪いの実』と呼ばれて忌み嫌われていました。食べた馬が泡を吹いたとか、子供が顔を歪めて泣き出したとか……。だから、誰も手を出さなかったんです」
ウルズが消え入るような声で説明する。リアナはそれを聞いて、くすりと笑った。
「呪い、ね。……無知っていうのは最大の損失だわ。エリー、厨房に行くわよ」
「お嬢様、また何か始めるおつもりですね……。あの酸っぱい実をどうにかしようだなんて、エリーの舌はまだ痺れていますのよ!」
文句を言いながらも、エリーはリアナと一緒に厨房へと向かった。
2. シトラス・レボリューション
リアナは厨房に立つと、まずウルズが持ってきた実を丁寧に洗わせた。
「いい、アロイス。この実の真価は、中身の酸っぱい果汁だけじゃないわ。この『皮』よ。ここにこそ、鼻を突き抜けるような香りの成分……精油が詰まっているの」
リアナは、おろし金(のような道具)で皮の黄色い部分だけを薄く削り取った。瞬間に、厨房の中が爽やかな、春の嵐のような香りで満たされる。
「……! なんという香りだ。醤油や生姜とはまた違う、頭が冴え渡るような清涼感ですね」
料理人アロイスが目を見開く。
「この皮を、蜜芋糖と一緒に煮詰めるの。水分を飛ばして、透明なシロップにするわ。……それから、果汁。これは、あの脂っこい『唐揚げ』のソースに使うわよ」
リアナは手際よく指示を出した。
ゆずレモンの果汁に醤油、砂糖、そして微量の油を混ぜ、乳化させる(ポン酢風ドレッシング)。
削った皮と砂糖を煮詰め、黄金色のジャムにする(マーマレード)。
さらに、卵黄と砂糖、溶かしバター、ゆずレモンの果汁を混ぜて火にかける。
「エリー、これをゆっくりとかき混ぜて。火を通しすぎないように、とろみがつくまでよ」
数分後、厨房には、誰も体験したことのない「甘美で鮮烈な香り」が漂った。出来上がったのは、滑らかな黄金色のクリーム――『レモンカード(柑橘のクリーム)』だ。
「さあ、毒見役。エリー、出番よ」
「えっ、また私ですか!? ……あ、でも、さっきのよりは美味しそうな匂いですね……」
エリーが恐る恐るスプーンを口に運ぶ。
一瞬、酸っぱさに身を震わせたが、直後に彼女の表情がパッと輝いた。
「……っ!! なんですか、これ! 酸っぱいのに、甘くて、とろけるようで……! 濃厚なバターの味を、この果汁が全部爽やかに塗り替えていきます! お嬢様、これならパンを何斤でも食べられてしまいます!」
「さすがエリーだわ、合格ね」
「ウルズさんも食べてみなさい、これが『酸い呪いの実』のあるべき姿よ」
ウルズは、恐る恐るレモンカードを口に運んだ。
「こ、これが、あの嫌われていた『酸い呪いの実』⋯⋯」
ウルズはあまりの美味しさに言葉を失った。それを見たリアナはクスリと笑い、次なる行動に移る。
2.狂熱の工房、再び
オルフェウス領で、今、最も熱い場所へと向かった。ハンスとバロンの拠点、木工・鍛冶合同工房である。
扉を開けた瞬間、火の粉の臭いと木の香りが混ざり合った熱気がリアナを襲った。
「ハンス! バロン! 息災かしら?」
「お、お嬢様!? お帰りなさいませ!」
ハンスがカンナを置き、汗を拭いながら立ち上がる。その背後では、バロンが巨大な鉄のネジ山を磨き上げていた。
「見てくだせえ、お嬢様! 二台目の圧搾機、もうすぐ完成ですぜ。十字の回し手も、前回よりさらに太い樫の木を補強して、四人の男が全力で踏ん張ってもビクともしねえ仕様だ!」
バロンが誇らしげに、製作途中の巨大な機械を叩いた。職人たちの顔には、限界を越えた先にある独特の「物作りハイ」な熱が宿っている。
3. 止まらない開発要求
「素晴らしいわ。……でもね、ハンス。残念なお知らせよ」
リアナは完成間近の二台目を一瞥もせず、さらりと言い放った。
「もう一台、追加で作ってちょうだい。今度は大豆や砂糖用じゃなくて、『ゆずレモン』専用の圧搾機よ」
「……はい?」
ハンスの手からチゼルが滑り落ち、カランと虚しい音を立てた。
バロンの槌を振るう腕が、空中でピタリと止まる。
「お、お嬢様……。今、なんて? 二台目のネジを締めるだけで、俺たちの腰はもうボロボロなんですぜ? それにゆず……なんだって?」
「ゆずレモン!王都で見つけてきた黄金の果実よ。これから大量の果汁を絞る必要があるわ。大豆用の網目じゃ粗すぎるし、果皮の油が混ざりすぎないように、より精密な圧力調整ができる『三台目』が必要なの」
リアナは至極当然のように、工房の机に置かれた紙にサラサラと改良案を描き始めた。
「三台目……?」
ハンスとバロンは、まるで死刑宣告を受けた囚人のような顔で互いを見合わせた。
「お嬢様、俺たちは人間でして……。魔法で動くゴーレムじゃねえんです……」
4. 黄金の差し入れ
「わかっているわよ。だから、今日はあなたたちに最高の『燃料』を持ってきたわ」
リアナはエリーに目配せをした。エリーは苦笑しながら、持ってきたバスケットの中から、焼きたての白いパンと、小さな瓶に詰められた黄金色のクリームを取り出した。
「さっき厨房で作ったばかりの『レモンカード』よ。さあ、食べてみて」
「……なんだい、この黄色い泥は。随分と綺麗な色だが……」
バロンがおっかなびっくり、厚切りにしたパンにたっぷりとそのクリームを塗り、口へと放り込んだ。
「…………ッ!!?」
バロンの巨大な体が、ビクリと跳ねた。
続いてハンスも口にする。
「……なんだこれ!? 甘い……いや、酸っぱい! だけど、バターの濃厚な味が追いかけてきて……喉の奥がカッと熱くなるような、目が覚めるような味だ!」
「これが、その『ゆずレモン』の魔法よ」
リアナは満足げに答えた。
「そのクリームには、疲れを吹き飛ばす酸味と、脳を動かす糖分、そして明日への活力を生む油脂が完璧な比率で配合されているわ。どうかしら? 疲れが吹き飛んだでしょう?」
5. 職人の「性」
「……お嬢様。あんたは本当に悪魔だ」
ハンスは最後の一口を惜しむように飲み込むと、鋭い目つきで図面を睨みつけた。
「こんなに旨いもんの材料を絞る機械だっていうなら……適当なもんは作れねえじゃねえか」
「おうよ!世界一の『絞り機』を叩き出してやるぜ!」
さっきまで幽霊のような顔をしていた大男二人が、レモンカードの糖分と酸味によって強引に覚醒し、鼻息を荒くして再び道具を握り締めた。
「期待しているわ。完成したら、今度はこのクリームをたっぷり使った『特製レモンパイ』を差し入れるわね」
リアナは優雅に手を振って工房を後にした。
背後からは、再びギチ……ギチ……!と、木の悲鳴と職人たちの怒号が響き始める。
「……リアナ様、やはりお嬢様は、飴と鞭の使い方がお上手すぎますわ」
エリーの呆れ声に、リアナは楽しそうに微笑み呟いた。
「何台の世界一が、できるのかしらね」




