技術者の熱意と、令嬢の合理主義
1. 職人の意地、領主邸を拒む
ランバート領からの帰宅後、オルフェウス伯爵邸に落ち着く間もなく、リアナは次の行動に移っていた。
「エリー、ロバートにハンスとバロンを呼んでくるよう伝えて。例の機械の進捗を確認したいわ」
「かしこまりました、リアナ様」
メイドのエリーから言伝を頼まれた護衛のロバートは、すぐさま領内の木工工房へと足を運んだ。
工房からは、金属を叩く高い音と、何かが高速で回転するような重低音が漏れ聞こえてきた。
「ハンス、バロン! リアナ様がお呼びだ、すぐに領主邸へ向かってくれ!」
ロバートが声をかけるが、作業台に張り付いた二人の巨漢は振り返りもしなかった。
「……あと少しなんだ! 今、この固定ネジから手を離したら、回転軸が狂っちまう!」
「ロバート、悪いがリアナ様をここに呼んできてくれ! 」
「な……!? お、お前ら、自分が何を言っているか分かっているのか!?」
ロバートは絶句したが、二人の眼光は真剣そのものだった。彼らにとって、今は貴族の呼び出しよりも「目の前の機械」の方が重要だったのだ。
2. 忠義の憤慨
ロバートが邸に戻り、事の次第をエリーに説明すると、彼女の顔が怒りで真っ赤に染まった。
「リアナ様を呼び出すとは、何事ですか!!」
エリーの叫びが廊下に響く。
この世界において、貴族の命令は絶対。ましてや平民の職人が領主の娘を自分の仕事場へ呼びつけるなど、前代未聞の無礼だ。
「ハンスもバロンも、少し腕が良いからと増長しすぎです! 下手をすれば不敬罪に問われ、打ち首になっても文句は言えない行為ですよ! 」
エリーが憤慨して詰め寄るが、それを椅子に座って聞いていたリアナは、あっさりと立ち上がった。
「いいわよ、行くわ」
「……はい?」
エリーが拍子抜けしたような声を出す。
「ロバート、馬車の準備はいらないわ。歩いていくから案内して」
3. 誇りの値段
「リアナ様……。失礼ながら、お嬢様は少々変わっていらっしゃいますね」
工房へ向かう道中、エリーが呆れたように、しかし心配そうに呟いた。
「エリー、どうしたの急に?」
「普通、領民が貴族を呼び出すのはあり得ない行為です。貴族の威厳を損なうことは、領地を治める上でのタブー。皆様、その『誇り』を守るために命をかけるのです」
「誇り、ねぇ……」
リアナは歩みを止めず、ふふっと小さく笑った。
「エリー、その誇りに何の価値があるのかしら? 私がここで威張り散らして、ハンスとバロンの手を止める方が、私にとってはよっぽど大きな損失よ」
「損失……ですか?」
「ええ。彼らが今、熱中しているその『一刻』が、世界を変える機械を完成させるの。私のつまらない誇りを守るためにその時間を奪って、油や砂糖の完成が一日遅れることの方が、私には耐えられないわ」
リアナ(工藤玲子)にとって、前世の職人魂が叫んでいる。
現場が呼んでいるなら、現場へ行く。それこそが最高の結果を出すための最短ルートなのだ。
「……不敬罪で彼らを罰しても、機械は一歩も進まないでしょう? なら、私が行って背中を叩いてあげたほうが、よっぽど生産的だわ」
エリーは目を丸くして、自分よりずっと背の低い主人の後ろ姿を見つめた。
そこにいたのは、伝統に縛られた「お姫様」ではなく、未来の美味しさのためにあらゆる障害をなぎ倒していく「革命家」の姿だった。
「……やはり、リアナ様には敵いませんね」
エリーは深々と溜め息をつくと、主人の歩調に合わせて、足元の泥を厭わず歩き始めた。
工房から聞こえる「人類の勝利」を予感させる音に向かって。
4. 工房の熱気と「不敬」の温度差
木工工房の重い扉を開けると、そこはむせ返るような木の粉と、熱せられた鉄の匂いで充満していた。
「私を呼び出したからには、当然、世界をひっくり返すような代物が完成したんでしょうね!」
リアナが声を上げると、作業台の前にいたハンスとバロンが、弾かれたように顔を上げた。二人とも煤と油で真っ黒だが、その瞳には異様なまでの光が宿っている。
背後ではエリーが、礼儀を欠いた職人たちを睨みつけ、今にも雷を落としそうな勢いで控えていた。しかし、工房の中央に鎮座する「それ」を見た瞬間、リアナの足が止まった。
それは、巨大で、重厚な「ネジ式圧搾機」だった。
「り、リアナ様……! よくぞ来てくださいました!」
「樫の木を鉄の帯で三重に締め上げ、バロンの親父が打ったネジを組み込みました。リアナ様の図面にあった『均一な圧力』ってやつを再現するために、軸を四本にして、一点に力が逃げねえようにしてあります」
「これなら、大豆の油を一滴残らず絞り出せそうじゃない」
リアナの瞳に、期待の光が宿った。
5. 職人たちの「実証実験」
リアナの提案を受け、工房ではさっそく実証実験が始まった。
料理人のアロイスが手際よく大量の大豆を蒸し上げ、それをハンスが作り上げた重厚な圧搾機の篭の中へと詰め込んでいく。
「よし、準備はいいか! 締めるぜ!!」
「ぬおおおおおおおおっ!!」
バロンとハンス、二人の大男が顔を真っ赤にして叫び声を上げた。
彼らが握っているのは、圧搾機の最上部にある太い木の棒だ。全身の筋肉を爆発させ、一歩、また一歩と踏みしめるように棒を回していく。
ギチ、ギチ、ギチィィィッ……!!
極限まで乾燥させた樫の木と、バロンが鍛え上げた鉄のネジが、凄まじい負荷に悲鳴を上げる。二人の血管が浮き出し、踏ん張る力で足元の床板がミシミシと音を立てた。
そこには魔法の光など微塵もない。あるのは職人たちの汗と、きしむ音、そして力任せの回転という「純粋な物理」だけだった。
ネジが一段階深く沈み込んだ、その瞬間だった。
「……出たわ!!」
横で見守っていたエリーが、弾かれたように声を上げた。
圧搾機の底、細かな網目を通って、透き通った黄金色の液体が勢いよく噴き出したのだ。ネジが回るたびに、桶の中に新しい油が流れ落ちていく。
リアナはそっと歩み寄り、溜まっていく液体を見つめた。
人の執念が絞り出した一滴。その重みは、何物にも代えがたかった。
「ハンス、バロン……お疲れ様。最高の仕事だわ」
「はぁ、はぁ……お嬢様……見てくだせえ、これならいくらでも油が……」
肩で息をするバロンに、リアナは労いの言葉をかけつつも、冷静に機械を観察していた。
「素晴らしいわ。でも、今のままだと一人にかかる負担が大きすぎて、長くは続けられないわね」
6. 「テコの原理」と効率化
リアナは滴り落ちる油を見つめながら、男たちが握っていた長い棒に手を置いた。
「ハンス、この回し手をさらに長く作り替えなさい。そして、二人がかりじゃなく、四人で同時に回せるように十字に組むのよ」
「四人ですかい? 軸の周りに四人も配置したら、足場が狭くなって逆に回しにくいんじゃ……」
ハンスが怪訝な顔をすると、リアナは工房の隅にあった木板を拾い上げ、即席の図解を始めた。
「いい? これが『テコの原理』よ」
リアナは図を指差しながら、基礎的な物理の法則を説いた。支点からの距離が長ければ長いほど、小さな力で大きな重さを動かすことができる――。
「つまりね、棒を長くすればするほど、同じ力でもネジを締め付ける力は数倍に跳ね上がるわ。そこに四人の力を合わせれば、今の数倍の圧力で一気に油を絞り出せる。……わかるかしら?」
ハンスとバロンは顔を見合わせ、まるで雷に打たれたような顔をした。
「……なるほど。大きな石を動かす時に、長い棒を下に差し込んで持ち上げる、あの理屈か!」
「重たいもんを動かすだけじゃなく、『絞る力』にも応用できるんですな……! お嬢様、あんたはやっぱり天才だ!」
「天才っていうか、これは理屈よ。……ハンス、バロン、これをもう1台すぐに作ってちょうだい」
油用の圧搾機は完成した。次は、世界を驚かせる蜜芋の圧搾機の作成を指示した。




