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わがまま伯爵令嬢の料理改革  作者: のほほん


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泥まみれの聖域と、芋の深淵

1. 緊張の強行軍


「あ、あの……リアナ様。本当に、本当によろしいのですか? 馬車も泥だらけになってしまいますし、我が領地にはお見せできるような立派な館もございませんのに……」


ガタゴトと揺れる馬車の中で、フェリシア・ランバートは震える声で何度も繰り返していた。


公爵家のお茶会からそのままの勢いで連れ出された彼女は、オルフェウス伯爵家の豪華な馬車に揺られながら、隣に座る「神童」の様子を伺っていた。


「いいのよ、フェリシア。馬車なんて洗えば済むわ。それよりも大事なのは、鮮度よ! あなたの領地の蔵にある『イモ』が、芽吹いてしまう前にこの目で見たいの!」


リアナ(工藤玲子)の鼻息は荒い。彼女の瞳には、もはや高価なドレスも宝石も映っていない。見えているのは、土の中で静かに眠る、あの丸っこくて愛らしい澱粉の塊だけだ。


御者台で手綱を握るラウルが、溜め息混じりに声をかける。


「リアナ様、もうすぐ領境です。……ランバート領に入りますが、道がかなり荒れています。揺れますからご注意を」


「構わないわ、ラウル! むしろこの『荒れた道』こそが、力強い作物を育む証拠よ!」


馬車が大きく跳ねたが、リアナは満面の笑みで窓の外を見つめていた。



2. 歓迎されない「宝の地」


ランバート男爵領。そこは、他の貴族たちが嘲笑った通り、一見すると「何も無い」土地だった。

緩やかな斜面が続き、岩場が多く、豊かな森や華やかな花畑も見当たらない。あるのは、規則正しく盛り上げられた土の列と、そこに這うように広がる緑の葉だけだ。


到着した男爵家の屋敷も、伯爵邸に比べれば「別荘」程度の規模で、壁のあちこちに補修の跡が見える。


「……フェリシア! 戻ったのか! それに、その……オルフェウス伯爵家の馬車ではないか! 一体何事だ!?」


屋敷から飛び出してきたのは、フェリシアの父、ランバート男爵だった。彼は煤けた作業着姿で、手に持ったクワを慌てて背後に隠した。


「お父様! その、オルフェウス家のリアナ様が、どうしても我が家の領地をご覧になりたいと……」


「な、何だと……? 伯爵家のお嬢様が、こんな貧相な場所へ……。お、お初にお目にかかります、リアナ様。無礼な娘が何か粗相を……」


男爵が真っ青な顔で膝をつこうとしたが、リアナはそれを素早く制した。


「男爵、挨拶は抜きにしましょう。……それよりも、あそこに見えるのは『畑』ですね? 今すぐ案内してくださる?」


「え、あ、はい。ですが、今はただの泥んこで……」


「それがいいのよ! 案内して!」


リアナはドレスの裾を自らたくし上げると、男爵が止めるのも聞かずに、ぬかるんだ土の上へと踏み出した。



3. 泥の中の宝石


「リアナ様! ドレスが台無しです!」


エリーが慌てて追いかけるが、リアナは止まらない。


彼女は畑の中央まで来ると、おもむろにその場にしゃがみ込み、素手で土を掘り始めた。


「り、リアナ様!? おやめください、私が掘りますから!」


フェリシアが悲鳴を上げるが、リアナの指先はすでに湿った土の感触を捉えていた。


「いいの、自分で触らなきゃ分からないことがあるわ。……あ、……あった」


指先に触れた、ゴツゴツとした、しかし確かな重量感。


リアナがゆっくりと土を持ち上げると、そこから現れたのは、淡い黄色を帯びた、立派な「ジャガイモ」だった。


「……なんてこと。これ、ただのイモじゃないわ」


リアナは、土を払ったそのイモをまじまじと見つめた。


皮は薄く、張りがあり、瑞々しい。前世で知っていた「男爵(皮肉な一致だが)」や「メークイン」とはまた違う、この土地特有の品種のようだ。


「男爵、これを見て。この土は岩が多いけれど、その分、水はけが良くてミネラルが豊富だわ。だからこんなに身が詰まって、澱粉の密度が高いイモが育つのよ。……これを『貧相』だなんて言った奴らは、全員味覚が死んでるわね」


リアナの言葉に、男爵とフェリシアは呆然と立ち尽くした。自分たちが「恥」だと思っていた作物を、この幼い令嬢は「宝石」でも見るかのような熱量で絶賛している。


「男爵、他にも種類があると言っていたわね? 他の畑も見せて。……赤っぽいのや、中まで紫のものもあるはずよ」


「……は、はい! あちらの斜面には、皮が赤く、甘みの強い種を植えております!」


男爵の目が、少しずつ輝き始めた。初めて自分の仕事を、その価値を理解してくれる者が現れたのだ。



4. 料理人の直感、炸裂


その後、リアナは日が暮れるまで男爵領の畑を歩き回った。


収穫されたばかりの数種類のイモを並べ、彼女は脳内でレシピを高速回転させていた。


(この黄色いのは、ホクホク系。……これは絶対に『ポテトサラダ』か『コロッケ』に合う。こっちの身が締まった白いのは、煮崩れしにくいから『肉じゃが』。そして……)


リアナは、ひときわ大きく、表面が滑らかな個体を持ち上げた。


(これは『フライドポテト』だわ。……油の開発を急がせているハンスとバロンには申し訳ないけれど、今の『動物性の脂』と『お酢』を組み合わせれば、まずはイギリス風の『フィッシュ・アンド・チップス』ならいける!)


リアナは男爵に向き直り、力強く宣言した。


「男爵。明日、あなたの家のキッチンを借りるわ。……あなたの娘が『イモ娘』と笑われるのではなく、この領地が『黄金の恵みの地』と呼ばれるようになることを、私が証明してみせる」


「……あ、ありがとうございます……リアナ様……」


男爵は、ボロボロの作業着の袖で、溢れ出そうになる涙を拭った。



5. 嵐の前夜


その晩、リアナは男爵家の簡素な客間に泊まることになった。


隣の部屋では、エリーが困り果てたように、リアナの泥だらけになったドレスを洗っている。


「はぁ⋯⋯お嬢様は一度火がつくと止まらないわね。明日はどんな料理でこの領地を、いや、世界を驚かせるつもりなのかしら……」


リアナはベッドの上で、明日使うための「イモ」を一つ、枕元に置いて眺めていた。 


「待ってなさい、フェリシア。あなたを笑った令嬢たちが、悔しくて歯ぎしりするような、最高に贅沢で、最高に美味しい『庶民の味』を食べさせてあげるわ」


リアナの瞳には、すでに明日への「勝利」が見えていた。


黄金の油を待つまでもない。今ある技術と、この泥の中から見出した最高の素材があれば、革命は起こせるのだ。


オルフェウス領から少し離れたこの小さな男爵領で、後に「ポテト革命」と呼ばれる歴史の一歩が、静かに、しかし熱く踏み出されようとしていた。

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