社交界の嘲笑と、泥の中の宝石
1. 憂鬱なるお茶会の朝
春の暖かな日差しが差し込むオルフェウス伯爵邸。しかし、リアナ(工藤玲子)の表情は、冬の北風よりも冷ややかだった。
「はぁ……」
鏡の前で着せ替え人形のようにドレスを整えられながら、リアナは今日何度目か分からない溜め息をつく。
「リアナ様、そんなに溜め息をついては幸せが逃げてしまいますよ」
侍女のエリーが困ったように微笑むが、リアナの気分は晴れない。
「だってエリー、今日はサンジェルマン公爵家のお茶会よ? 集まるのは十人以上の令嬢たち。……どうせ中身のない噂話か、誰かのドレスの刺繍を貶すような会話ばかりだわ。そんな暇があったら、醸造所の温度管理をチェックしたいのに」
「社交も立派な領主の娘のお仕事です。さあ、出発ですよ」
しぶしぶ馬車に乗り込みながら、リアナは心の中で「せめてお茶菓子が美味しいことを祈るわ」と呟いた。
2. 令嬢たちの「獲物」
公爵家の広大な庭園に設えられたティーテーブルには、色とりどりのドレスを纏った令嬢たちが十名ほど集まっていた。
オルフェウス伯爵家の「神童」として注目を集めるリアナが到着すると、場は一気に華やいだが、その輪から少し外れた場所に、俯いて立っている一人の少女がいた。
彼女のドレスは仕立てこそ悪くないが、他の令嬢たちのような派手な装飾はなく、どこか慎ましやかだ。
「あら、リアナ様。あちらにいらっしゃる『イモ娘嬢』さんにはもうご挨拶されました?」
一人の令嬢が、扇で口元を隠しながらリアナに話しかけてきた。周囲の令嬢たちが、クスクスと意地の悪い笑い声を漏らす。
リアナは、その「イモ娘嬢」と呼ばれた少女を見た。少し日に焼けた健康的な肌に、意志の強そうな瞳。リアナは素直に思った。
(イモ娘……? 変わった名前ね。この国にはそういう愛称の家系もあるのかしら)
前世の知識(日本語)での「芋臭い」という蔑称を思い浮かべる余裕もなく、リアナは礼儀正しく彼女の前に歩み寄った。
「初めまして。あなたがイモ娘様ですね? 素敵なドレスですわ」
3. 勘違いと嘲笑
その瞬間、庭園に冷ややかな静寂が訪れ、直後に爆発的な笑い声が上がった。
「おーっほっほ! お聞きになりまして? リアナ様まで彼女を『イモ娘』と!」
「まあ、あの方に相応しいお名前ですわね!」
野次めいた言葉が飛び交い、少女――フェリシアは、今にも泣き出しそうな顔で顔を伏せた。
リアナは眉を潜め、周囲の反応に違和感を覚えた。
「……あら?イモ娘というのは、あなたの名前ではないの?」
少女は小さく首を振った。
「……いいえ。私の名前は、フェリシア・ランバートです。男爵家の娘で……。皆様、我が領地を馬鹿にして、そう呼ぶのです」
リアナは周囲を見回した。令嬢たちは勝ち誇ったような顔をしている。
「リアナ様、ご存知ないのですか? ランバート男爵領は、土ばかりが痩せていて、庶民が食べる泥だらけの『イモ』しか採れない、貧相な土地なんですのよ」
「そんな不浄なものを育てる家の娘に、公爵家のお茶会は不釣り合いですわよねぇ」
4. 料理人の魂、点火
「……イモ?」
リアナの耳に、その言葉が突き刺さった。
令嬢たちが「庶民の食べ物」「貧相」と吐き捨てたその単語。しかし、リアナ(元・工藤玲子)にとって、それは宝石の名前よりも輝いて聞こえた。
そこからはリアナのわがままが周りを圧倒する。
「フェリシア様。確認させてちょうだい。……あなたの領地では、その『イモ』が、豊富に、たくさん採れるのかしら?」
「え、ええ。他に育つものがないので、山ほど採れますが……。でも、見た目も悪いし、土の匂いがしますし、リアナ様が口にするようなものでは……」
フェリシアが言い終わる前に、リアナが彼女の両手をガシッと掴んだ。
リアナの瞳には、先ほどまでの退屈さは微塵もなく、獲物を狙う猛獣のような、あるいは未知のスパイスを見つけた研究者のような、異様な光が宿っていた。
「山ほど……! 種類は? 黄色いの? 白いの? それとも粘りがあるもの? 皮は赤いのかしら!?」
「え、ええ!? ええと、いくつか種類はありますけれど……」
周囲の令嬢たちは、リアナの豹変ぶりに呆気に取られている。
5. 強引なる招待
(イモがある! 揚げ物、煮物、サラダ……ポテトサラダにポテトフライ、肉じゃが! 油の開発が始まった今、これ以上の食材がある!?)
リアナはフェリシアを逃がさないよう、その手をさらに強く握りしめた。
「フェリシア様! いえ、フェリシア! 決めたわ。私、今すぐあなたの領地に行きたいわ!」
「えっ……ええ!? 我が家のような、何もおもてなしできない男爵家にですか!?」
「おもてなしならイモがあるじゃない! 土の匂い? それがいいのよ! 泥つきのまま見せてちょうだい! さあ、いつが空いているの? 明日? 明後日? ……いえ、今このお茶会を切り上げて向かってもいいくらいだわ!」
「そ、そんな、急に言われても……父も驚きますし……」
困惑するフェリシアを無視し、リアナは扇をパチンと閉じると周囲の令嬢たちを一瞥した。
「皆様、教えてくださってありがとう! こんなに素晴らしい『宝の山』が近くにあったなんて。……フェリシア様、承諾してくれるわね? 拒否は認めないわよ。私、あなたの家のイモを全部買い取ってもいいと思っていますわ!」
「え、は、はい! 喜んで、お招きいたしますっ!」
あまりのわがままっぷりに、フェリシアは勢いに押されて頷いてしまった。
「よし! 契約成立ね! エリー! 帰るわよ! 馬車の準備を! 男爵領へのルートを今すぐ確認してくださる!」
公爵家のお茶会という社交の場を完全に破壊し、リアナはまだ一口も食べていないお菓子を放置して、獲物を引き連れて馬車へと突き進んだ。
後に残された令嬢たちは、開いた口が塞がらないまま、土の匂いのする男爵令嬢と、狂ったように喜び勇む伯爵令嬢の背中を見送るしかなかった。
「……あの、リアナ様? 油の開発が終わるまで、待つのではなかったのですか……?」
エリーの控えめなツッコミも、リアナの耳には届かない。
彼女の頭の中は、今や黄金色のフライドポテトと、醤油と砂糖で照りよく煮られた肉じゃがのイメージで埋め尽くされていた。




