第Ⅻ話 後編【別れとその先へ】其の四
今度は港へ抜ける道へと飛び込み、階段を駆け降りた。東に抜ける方が長く緩やかな階段が続き、走る速度が増していく。
「はぁ、はぁ……見えた……港だ」
途中で足がもつれ転びそうになったが、寸でのところで壁に捕まり事なきを得た。
階段を降りきると、今までに感じた事がないほどバクバクと、心臓が強く胸を叩いた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
足が震え、ぐるぐると回る視界に、視線が定まらない。高鳴る鼓動を抑えようと、大きく息を吸い込むがそれでも世界が回っていた。
——くそっ、なんだこれ……。
回る世界に、立つこともままならず、その場に座り込んだ。だめだ、胸が張り裂けそうなほど痛い。アイツを追わなくちゃいけないのに。こんな所で……。
悔しさが込み上げてくるが、足を動かすことが出来なかった。
「おや、坊やじゃないか。どうしたんだい?」
この声は……。
聞き覚えのある声に顔を上げると、歪む視界の先に材料屋の老婆の姿が見えた。
「だい……じょうぶです……。早くソウを……探さないと……」
「ソウって、あの夢人かい?」
「知って……るんですか?」
「そりゃあね。夢人なんて、ただでさえ珍しいさね。旅人の格好した奴がケーキの材料をしこたま買っていくんだからね。変な客だよ。どこで作ってたんだか……。しまいにゃ、無理やりルセット渡してきてあんたが来たら渡せって。来なけりゃ捨てろなんていうもんだから、驚いたもんさ」
——アイツは何がしたいんだ。
「それより、坊や顔色が悪いさね、大丈夫かい?——ちょっと待ってな、水を持ってきてやる」
「いえ……時間が……」
だめだ口も回らなくなってきた。止めようと伸ばした腕に力が入らない。少しだけ腕を上げたが、すぐに地面に手をつけた。
ひんやりとした石畳の冷たさ、流れてくる海風。春の陽気の様なポカポカとした温もりが、体の熱を少し和らげた。
「——待たせたね。ほら、これでも飲みな」
手渡された水に、喉を鳴らした。
「ふぅー……ありがとうございます」
「ヒッヒッヒッ、お得意さんだからね」
含んだ笑い声を上げると、老婆はニヤリと笑った。
——あぁ、あれだな……。
「すみません、後で伺うので生クリームと牛乳、コーンスターチそれと塩味と酸味の少ないクリームチーズを準備しておいてもらえませんか?」
「ほぅ」と短く言うと老婆は顎に手を当て、またニヤリと笑った。
「——前まではどんな風にしたいか漠然としていたが、随分と詳しくなったもんだね」
「みんなに教えてもらいましたから——」
「——そうかい」
嬉しそうに笑みを浮かべた老婆は、静かに頷いた。
「それで、ソウの奴がなんだけどね。実はさっきまで店に来てたのさね。選別だって言って“Ⅵ”のバニラと見慣れない在庫をいくつか置いていったよ——」
「えっ……じゃあもう——」
「あぁ、もう行っちまったよ」
「……そんな」
——また追いつけなかった。
言いたいことも聞きたいことも、たくさんある。それなのに……。
よろりと立ち上がり、壁に手をつけた。
「——あぁ、そういえばクンパの所に寄るとか言っていたね。顔馴染みとかなんとか——」
「——ありがとうございます」
まだ追いつけるかもしれない。棒の様に重たい足をゆっくりと上げ、少しずつまた歩き始めた。
ふとある事を思いつき老婆に少しだけ頼み事をした。
「すみません、その——」
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
港から南区へ抜ける裏路地は北区と違い、緩やかな登り坂だ。表通りとは違い人の姿はほとんどない。
震える足を一歩また一歩と、ゆっくり進めていく。チチチチッとなく電灯の材料屋を過ぎ、クンパさんの元へ向かった。
「あと……少しだ」
あの角を曲がればクンパさんの店【クンパッパ】がある。重い足が言う事をきかない。随分と時間がかかり、もう陽は傾いていた。
店の前にはもう誰も並んでいない。店先から覗くが人の姿は見えなかった。
「……誰もいないのか。また、俺は……」
悔しさが滲み、俯きかけたその時だった。頭上から声がかかった。
「エルなのだ?どうかしたのだ?」
店の脇からクンパさんが現れ、その後ろに人影が見えた。
——良かった間に合った。
だが、顔を上げると、そこには販売員のお姉さん——クンパさんの奥さんが立っていた。
「エルくん顔色が悪いわよ……大丈夫?」
「はい……大丈夫です」
一度大きく息を吸い込み、体に力を込め背筋を伸ばした。
「あの……ソウ。夢人のソウは来ませんでしたか?」
二人は一瞬顔を見合わせ、驚いた様な表情で向き直した。
「エル、ソウを知っているのだ?」
「——はい。アイツは嫌な奴で何考えてるかわからない奴だけど。でも——恩人なんです」
「——ふむ、残念ながらもうここにはいないのだ」
「えっ……」
「さっき街を出ると言いに来たところなのだ。——全くアイツはいつも急なのだ」
「——どう言う事ですか?」
お読みいただきありがとうございます。
祝願祭も終わりへ近づき、街の賑わいとは裏腹に、少しずつ「別れ」の空気が流れ始めました。
追いかけても届かない。
それでも前へ進むしかない。
完結まで残り二話となりました。
次回更新は7月22日(水)19時30分です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです!




