第Ⅻ話 前編 【別れとその先へ】其のニ
「ちょっと……ちょっと待って、えっ!本当に?夢じゃないよね……」
エルくんに抱きしめられてから、ずっとソワソワしてる。
「あれってやっぱりそう言う事だよね——キャワワワワ」
枕に顔を押し付け、足をバタバタと動かした。でも、思っていたよりも足は動かなかった。
「やっぱり動きが悪いなー……でも、お医者さんにも言われたし頑張って動かさないと——」
エルくんが帰ってから、お父さんが呼んだお医者さんに診察を受けた。
「しばらく動いていなかったので、歩くまで少しかかるかも知れません」
「……娘の足は治るのか?」
「えぇ。ですが、食事を取れないとなると……」
そう。お腹は空いているのにパンやシチューに手を伸ばすとやっぱり手が震えて食べられなかった。
「どうしてエルくんが作ってくれたケーキは食べられたんだろう……ジュルリ」
思い出しただけで涎が垂れてきた。
「もう一回食べたいなー……ふわふわ……バニラの香り……ジュルリ」
また涎を啜った。
「ハッ!いけないわミーナ。あなたは乙女よ。そんなんじゃエルくんに嫌われて……」
ポッと頬が熱を帯びていくのがわかり、また枕に顔を埋めた。
頭の中に、昼間のエルくんが蘇ってきて自分でもどうしていいかわからない。
「……心配……かけるなよミーナ」ギュッと抱きしめてくれたエルくん——。
「ミーナと……ミーナと一緒に食べようと思って食べなかったんだ」欲しかった言葉をかけてくれたエルくん——。
「もおぉぉー。エルくんカッコ良すぎるでしょー!」
「あぁー早く明日にならないかな……」
窓の外を見るとまん丸な月が煌めいていた。街の賑やかな音が部屋に届き、窓帷を揺らした。
♥♡♥♧♣︎♧
「あぁ、三柱の女神よ——娘を起こしていただき感謝の念に絶えませぬ」
「私の願いを聞き届け、娘を起こしてくれたのですな……」
違う……娘を起こしたのはあやつだ。そう何度言い聞かせても、父として素直に認める事が出来なかった。
——なぜだ。どうして私が愛する娘を助けてやれなかった。
どんなに手を尽くそうとも目覚めさせる事が出来なかった。
——だか、それでも今は……悲しみよりも嬉しさが勝る。
何度、声をかけても。どれほど切望しても、目を覚まさなかったミーナ。それがやっと……目を覚ましてくれた。
強く……強く、妻と共に抱きしめ私は幸せを噛み締めた。私の宝を誰にも奪わせてなるものか、そう思っていたのだが……。
私よりも先にミーナを目覚めさせたのは、我が親友の子。ミーナが話す事を時折耳にはしていたが、いざ目の当たりにすると父として複雑な思いだ——。
三柱に祈りを捧げ終えると、教会を後にした。
ふと顔を上げると、空に浮かぶ満ちた月。呑み合う大人達の談笑の声。
——あぁ、やっと私は……。
自宅へと向け、静かに街へと入って行くと、今夜はその賑わいに迎えられた。そんな気がした。
♥♡♥♧♣︎♧
「奥様、お嬢様お目覚めになられてようございますたね」
「えぇ……本当に」
あの人と二人であれほど苦しい日々を送ったのは初めての事でした。商会を立ち上げた時も、あそこまで不安を覚えた事はありません。
あの子の代わりに私が眠り続けられれば良かったのにと……。
眠る我が娘の隣で夜を過ごし、味のしなくなった食事でお腹を膨らませては、また傍へ。
何かが出来るわけでもない。あの人ほど伝手があるわけでもない……。その伝手すらも、袖にも掛からず原因がわかる事はありませんでした。
もしも叶うなら、もっと優しくしてあげられていたら……。あの子の笑顔を思い浮かべては何度も頬を濡らし、あの娘の手を掴みました。
——あぁ……お願いです。この娘をお救い下さい。
幾度となく傍で願いを込めましたが、叶う事はなく。もしも三柱の女神が見守っているのなら、何故助けてくれないのかと心が荒んでいくのがわかりました。
なんの因果か娘の想い人である、エルネスト様が尋ねて来られました。ご一緒だったのは、ミーナを幼い頃から知るお二人。
領主からお止めされていると伺っていた名乗り。それを破ってでも娘に、会いに来て下さったエルネスト様。
それなのに私は、不覚にも心配をかける形で終えてしまいました。その事が今でも悔やんでなりません。
主人が戻ってくると、同じようにエルネスト様の話になりました。ですが、何が出来るのだろうかと気を揉んでいたようです。
私には、娘にとって何か良い事が起こるのではないかと、少しだけ期待しておりました。ですが、日は流れてもエルネスト様は中々来られません。
このまま別れさせても良いものか。そう思わずにはいられません。寝たきりの娘に会えたとて落胆するのは目に見えています。
もうこのまま離れた方が良いのではと……。複雑な思いが棘のように胸に刺さりました。
ですが、今日訪れたエルネスト様は今までに見た中で一番ミーナを任せられる。そう思わずにはいられぬほど大きく見えました。
主人は納得いっていないのか、出かけてくると言ってまだ戻って来ません。少しは気が晴れてくれると良いのですが……。
「奥様——奥様」
ばあやが慌ててリビングへと入ってきました。何やら文のようなものを携えています。
「こっ……こ、こちらを」
「これは——」
「——そうでしたか……本当にあの方は面白い方ですね」
文を胸に抱え、思わず笑顔が零れました。
——この先別れる事になろうとも二人なら乗り越えられる。
そう思えるほど、窓から見える満月が美しく輝きを増しました。
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お読みいただきありがとうございます。
誰かが笑顔を取り戻すということは、その人を想い続けていた誰かの心も、少しずつ救われていくのだと思います。
エルが届けた一つのケーキが、どれだけ多くの人の心を動かしたのか。そんな余韻を感じてもらえたら嬉しいです。
次回更新は7月12日(日)119時30分です。
次回も読んでいただけると嬉しいです。




