第Ⅹ話 後編【約束のケーキと再会】其のニ
アリーチェが切り分けてくれたクリームチーズ。その残りを少しだけ切り、口へと運んだ。
――違う……。
よくあるクリームチーズで舌触りも滑らか、適度な塩味と酸味が程よく感じられる。だが、これではない。それだけはわかった。
「――そういう事だったんだ……」
「エルさま?どうしたんですー」
「ルセットに書いてあったクリームチーズ。その隣に小さく書かれていたのを覚えているか?」
「はい、あれですー。えーっと……クリームチーズが決め手?でしたっけ」
「あぁ。その意味がやっとわかった……」
「なんだったんですー?」
――俺の感じた事が間違いじゃなければおそらく……。
夕食前に失敗したスフレチーズは室内で熱を取っていた。その膨らんで割れた部分をちぎり、口へと運ぶと確信へと変わった。
「……やっぱりだ。このクリームチーズは使えない」
「えっとー……」
「アリーチェも食べてみてくれ、そうしたらわかるよ」
「はい」
アリーチェも同じように少しだけちぎり口へと運んだ。
モグモグと口を動かし味を確かめているように、ゆっくりと目を閉じた。ゴクリと飲み込むと口を開けた。
「——んー……不思議な味ですねこれー。少しですけどー酸味が気になりますー」
「さすがだな。この酸味が——いや、クリームチーズの酸味が邪魔をしていると思うんだ」
渡されたルセットには、今まで集めてきた材料がほとんど使われている。生クリームや卵、砂糖などの基本的な材料。それと、生クリームや全粉乳などのミルク感を足す物とバニラ……この時点で気付けば良かった。
このルセットは、ミーナに渡す物だと知っていて受け取った物だ。それなのに、このクリームチーズはミーナが好きな味じゃない。
いつだったか、ケーキを食べていたミーナが「これも、違ったー」と言っていていた事がある。
唐突に言い始めるのはいつもの事だが……。
俺には何の事かわからずに尋ねてみると、チーズケーキの味の話だった。
「売られているチーズケーキのほとんどから、柑橘系の香りと酸味がするんだよー」
「……普通じゃないのか?」
「そうなんだけど、そうじゃないんだよ!」
「……何言ってんだミーナ」
相変わらず訳がわからなかった。
「ふっふっふ、お子ちゃまのエル君にはまだ早いようだね。お姉さんが説明してあげよう——」
色々と言いたい事はあるが、とりあえず黙っていよう。
「あのねチーズケーキに酸味が含まれてる理由はわかる?」
「えっ……そんなのクリームチーズと相性がいいからな——」
「そうだね、それもあると思うの」
まだ言い切っていないと思うんだけどな……。
「でもね、クリームチーズは牛さんから絞った乳を加工した物でしょ?だから、もっとミルキーなのがあってもいいと思うの」
「つまり……どういう事だ?」
「もう、だからミルク感が弱いって言ってるんだよ」
クリームチーズのミルク感に文句言うなんてミーナぐらいじゃないか、その時はそう思っていた。
でも、クリームチーズの酸味に合わせて柑橘の香りを重ねてケーキを作っていたとしたら……。
「——ダメだ。このクリームチーズじゃない……このクリームチーズは酸味が強すぎる」
どうする。今から街へ行っても材料は揃うとは思えない。クンパさんを尋ねても、店はとうに閉まっている。
時計を見ると時間はすでに二十一時になろうとしていた。
「くそっ。もう少しのところまで来てるのに……」
「エルさま……」
アリーチェは何か言おうと名前を呼ぶが、そこから先には続かなかった。
その時厨房の扉が開き、サルヴァが荷物を抱えて入ってきた。
「お待たせいたしました——なにかございましたか?」
「あぁ。もう作れないかもしれない……」
「——どういうことですか?」
クリームチーズの事をサルヴァに話すと、サルヴァは頭を下げた。
「エルネスト様、申し訳ありません。先ほど少しだけですが気にはしておりました……」
カスタードクリームを炊き終わり、クリームチーズを混ぜた時。鼻につく香りが少しだけ酸味が強く感じたそうだ。
気のせいかと思っていたらしいが、今の話を聞いて悔やんだみたいだ。
「本当に申し訳ございませんでした。あの時、お止めしていれば買いに行くことも出来たでしょう」
深く頭を下げたサルヴァだが、気付かなかった俺が悪いと宥め謝罪は受け入れなかった。
それにしても、クンパさんもそうだったがサルヴァも嗅覚が鋭い。俺はクリームチーズを開けた時も混ぜた時もいたが気付かなかった。なのに、混ぜている最中に上がる香りだけで酸味が強いとわかる。俺には到底出来ないことだ。
だが、時間だけは過ぎていく。他の方法を考えたいが……考えたところで今日作れる保証なんてない。
——どうする……。
「——エルネスト様。上手くいくかは分かりませんが、一つだけ方法がございます」
「本当か!サルヴァ教えてくれ」
「あの香りを嗅いでから、本邸の厨房にあるクリームチーズを確かめました。ですが、使えそうな物はなく……」
「ですが、こちらのマスカルポーネを使えば出来るかもしれません」
お読みいただきありがとうございます。
今回の話を書いていて感じたのは、一人では見えない景色があるということ。
エルが気付いた違和感。
サルヴァが見つけた可能性。
アリーチェが思いついた方法。
それぞれが少しずつ足りない部分を埋め合いながら、理想のケーキへ近付いていきます。
次回更新は6月16日(火)19時30分です。
引き続き読んでいただけると嬉しいです。




