第Ⅹ話 前編【約束のケーキと再会】其の二
クリームチーズの混ざったカスタードクリームはなんとか形になった。気付けば陽は傾き、午後の十七時になろうとしていた。
「――エルネスト様、そろそろ私は夕食の準備に参らなければいけません。少し外す事をお許しください」
サルヴァは申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、本当に助かった。――今晩の夕食も楽しみにしているよ。十九時には向かえると思う……」
「――承りました、ご満足頂ける品をお作りいたします。では――」
笑顔で感謝を述べると、サルヴァは離れを後にした。
サルヴァの助言はもう少し欲しいところだったが、仕方ない。今日も朝から出ていて何も食べていない。
二度目をしている途中から腹が鳴り、二人は複雑な表情を浮かべていた。
二度目を失敗した時に、朝から何も食べていなかったと正直に話すと、サルヴァには驚かれ、やんわりと注意された。
アリーチェはポケットからビスケットを取り出すと、いきなり口に押し込んできた。
乾いた口にビスケットは相性が悪い。……盛大に咽せた。
サルヴァが、心配し水を持ってきてくれたので治ったが………危ないところだった。
「すみません」とアリーチェには頭を下げられたが、俺を心配しての事だとわかっているので何か言うつもりはない。
ただ……一言は欲しかったな、いきなりは焦る。
「エルさまー早く作らないと夕食に間に合いませんよー」
「……あぁ、そうだな」
次はメレンゲだな。
シフォンケーキで何度もしたから、作るのは大丈夫だ。だが、サルヴァの助言では立てすぎると膨らみ過ぎて割れると言っていた。いつもよりも控えめに立てるようにしよう。
「アリーチェ、シフォンケーキのメレンゲよりも手前で止めたい。立てすぎたくないんだ、途中で止めてもらえるか?」
「かしこまりましたー。ガシッと腕を掴みますね」
「――いや、声をかけてくれるだけで……」
メレンゲに砂糖を少し加えて、泡立て器を手に持った。ここからだと、息を整え立て始めた時だ。
腕をガシッとアリーチェに掴まれた。
「……アリーチェ、まだ立ててもないだろ。ふざけるのも――」
アリーチェの真面目な顔を見て言葉を止めた。
――なにかおかしいのか……。
「どうしたんだ?」
「――エルさま、砂糖を出来れば全てもしくは二回までで入れましょう」
「……なぜだ。シフォンケーキの時は三度に分けて入れたじゃないか?」
「シフォンケーキとは違います。何度も砂糖を加えて立てれば強いメレンゲが出来てしまい、膨らみが強くなるかもしれません。このように重たい生地――カスタードクリームなら柔らかくて伸びのあるメレンゲがいいと思うのです」
アリーチェの喋り方がいつもと違う。起きた時と同じで丁寧な喋り方にふざけた様子はどこにもなかった。
「一度で加えて立てるのは、かなり大変です。ですので、多めに入れて二回に分ければどうかと――思うですー」
最後はいつものアリーチェだったが、言いたいことは何となくわかる。初めてメレンゲを作った時、間違えて砂糖をすべて入れてしまい全然立ち上がってはこなかった。だが、立てている時の状態を思い出すと、柔らかくて伸びのある感じはあった気がする。
アリーチェの言葉を聞いて、半分くらいになるように砂糖を足し、手に持った器をアリーチェへと渡した
「砂糖を入れるのは任せた。俺は頑張って腕を動かすよ――」
「はいですーエルさまなら出来ますよー」
――俺なら“出来る”か。
今まで一緒に作ってきたアリーチェが言うんだ、俺だってやれるはずだ。
スーっと息を吸い込み、静かに止めた。
泡立て器を握る腕に力を込め、まずは左右に勢いよく動かしていく。
卵白は最初にサラサラな部分とプルンとした部分を合わせるために切るように左右に動かす。メレンゲを作っていてアリーチェに教わった事だ。
大きさの違う泡が表面を覆い、繋がっていたものは切れたようだ。
次は――丸い円を上下に描きながら空気を含むように、泡立て器を動かしていく。
これも教えてもらった事だ。
少し白くなってきたところで、アリーチェが残りの砂糖を入れた。砂糖が入るとジャリジャリと底に当たり、腕にかかる負担が増した。
砂糖の量が増えるだけでメレンゲの状態は中々変わってこない。砂糖が溶けたのか卵白は白くドロリとした状態へと変わり重たさだけが増していく。
少し慣れてきたつもりだったけど、砂糖全量は全然違う。腕を止めると、もう立てるのを辞めてしまいそうだ。
……それだけは避けないと。そう思い必死に腕を動かした。
徐々に白さが濃くなっていくメレンゲ。大粒で抱え込んでいた空気が、混ぜるごとに細かくなり見えなくなるほど細かな粒へと変わっていく。
腕が痺れてきたのか、かなり痛い。動かしている感覚がなくなってきたが、アリーチェはまだ反応を見せない。
――まだか……。
ハァハァと短く息を吐き出し、息も上がってきた。
それでも混ぜ続けていると、泡立て器がメレンゲをすり抜けるようになり始めた。泡立て器にメレンゲが着いてこない、通り過ぎると筋だけが残るようになった。
「それぐらいですー」
アリーチェの言葉に手を止め、掬い上げるようにメレンゲを持ち上げるとヌーっとメレンゲが伸びながら切れた。
ふわりとしたメレンゲではなく、伸びのあるメレンゲ。言葉通り、シフォンケーキのふわりとした感じではなく見たことない不思議な感じがする。
泡立て器を戻そうとした時だ、異変に気付いた。
泡立て器を握っていた手が開かない。指の感覚が痺れてよくわからず、力を抜いているはずなのにそのまま固まってしまった。
「あれ……おかしいな、外れない――」
動かない指、開かない手にあたふたしていると、隣からスッとアリーチェの手が伸びてきた。
「大丈夫です。ゆっくりで――ゆっくりで構いません」
固まった腕を、アリーチェの温かい手が――優しく包み込んだ。
お読みいただきありがとうございます。
失敗を重ねるたびに遠く感じた完成。
それでも諦めず手を動かし続けたからこそ、ようやくここまで辿り着くことが出来ました。
一人では届かなかった答え。
支えてくれる人達の言葉。
積み重ねた経験。
その全てを抱えて、エルは次の一歩を踏み出します。
次回の更新は6月8日(月)19時30分です。
次回もお読みいただけると嬉しいです。




