第Ⅸ話 後編【スフレチーズと友愛の先】其の五
「寝てしまって、ごめんなさいですー」
寝る前に準備は終わらしてくれていたようだ。台の上には計量された材料が並び、シフォンケーキでは無い方の型が置かれていた。
「いや、疲れていたんだろう。大丈夫か?」
「――はい、寝させてもらえたんで全然大丈夫ですー。作られるですー?」
アリーチェが寝ている間、起こさないように静かに作り方を見ていた。何度見返しても、スフレチーズはかなり難しそうだ。
コーンスターチを使ったカスタードクリームに、メレンゲ。シフォンケーキで覚えた物が全て詰まっている感じだ。
メレンゲの立て具合で膨らみが変わるらしく、一人ではその具合がわからない気がした。
幸いにもアリーチェがいてくれるので、メレンゲは大丈夫だとは思うが……。もう一度、ルセットに目を落とし、焼き上げの横に小さく書かれていた湯煎焼きの文字。持って来た理論書を、読んでも湯煎焼きなんて言葉はどこにもなかった。
「――なぁ、湯煎焼きってわかるか?」
「湯煎焼きって何ですー?」
この返しは本当にわからないって事だろう。アリーチェも知らないとなると、クンパさんは……まだ早いか。
アリーチェが起きるまで待っていたとはいえ、まだ十五時を過ぎただけだ。夕方にもなっていない、今行っても迷惑だろう。
「エルさまー。それなら料理長に聞くのはどうですー?」
そうだ、この前の夕食でもかなりこだわりが強く、なにより勉強熱心だった。畑違いとはいえ、料理にも何か通じる物があるかもしれない。
「アリーチェ、計量は……もう終わってるのか……それなら――」
「エルさまー。代わりに聞いてくるので、少しエルさまも休んでて下さいー」
そう言い残すと、返事も聞かずに走って行った。
アリーチェが戻ってくるまで、することも無く。ただ、のんびりと過ごした。しばらくすると扉がガチャリと開き、アリーチェが戻って来たようだ。開いていた本を閉じると、そこにはアリーチェ、そして料理長も一緒だった。
「エルネスト様、湯煎焼きがわからないとアリーチェから伺い参りました。湯煎焼きも多少違いがございます、微力ながら私もお手伝いしたく――」
「……いいのか?みんなの夕食の準備があるんじゃ」
「たまには他の料理人に任せるのも大事なので、大丈夫ですよ。――あぁ、もちろんエルネスト様の夕食は私がお作りしますのでご安心を」
料理長は胸をトンっと叩いた。
――任せるのも大事……か。
きっと何か考えがあって、来てくれているのだろう。
ここ最近、大人たちと話すようになって、その考えの深さに驚く事が多い。一言の重さが、俺が放つものよりも重たくて深い……そんな感じがする。
だが、今はその言葉がありがたい。素直に手を借りよう。
「――ありがとう」
二人の顔を見て言うと、二人は顔を見合わせ笑んだ。
♦︎♢♦︎♢♦︎♢
「――湯煎焼きとは、深めの金属盆にお湯を張り、その上に型を乗せて焼く焼き方です」
「お菓子ではプリンなどが、その焼き方ですね」
料理長――サルヴァが湯煎焼きについて教えてくれた。湯煎は料理でもするらしく、直接火にかけたくない物を間接的に火を入れるらしい。だが、説明を聞いてもよくわからなかった。
湯煎を使った料理が想像出来ず、どんな料理か気にはなった。だがそれはミーナが旅立ってからでも聞ける話だ。
――それよりも今はスフレチーズに集中したい。
サルヴァは、ルセットをジッと見ると眉を寄せた。
「……これは、正直かなり難しいですね。何か一つ状態が異なるだけで、仕上がりは変わる物のようです」
「どういうことだ?」
「例えばメレンゲの立て具合。メレンゲを立て過ぎればおそらく膨らみ過ぎて、表面が破れます。カスタードも同様です。炊き込みがゆるければ、焼き上げても形をなさないでしょう……」
卓越した料理人が、そこまで言うものなのか。そんなにも難しいとは思っていなかった。
やはりミルクシフォンにするべきだろうか……。時間もない、一度作っているのでおそらく失敗もしない。でも……。
――いや、やってみないとわからない。
シフォンケーキだって最初はわからない事だらけで失敗を重ねた。スフレチーズも同じだ、初めての事なんて誰もわからない。
「――サルヴァ。この前の夕食で食べた前菜のサラダ。白身魚の燻製だったかな。あれは作るの初めてだと言っていた気がするんだけど……失敗したらとか考えなかったのか」
サルヴァは一瞬悩んだそぶりを見せたが、すぐに振り払ったかのように口を開けた。
「それはもちろん考えます。新しい料理を試す際に、不安が無いわけではありませんから。――ですが、私はそれよりも楽しみの方が大きいですね」
「楽しみ?」
「えぇ。ご存知の通り、私の仕事はこの領主館の料理番です。御領主とその奥様、そしてエルネスト様。その他に働く者、皆に料理を作っております。健康を守るためだけならば、新たな事をする必要はありません。同じように作り上げればいいだけなのです」
「ですが……日々の生活の中で、嬉しい事も嫌な事も様々あります。そんな時、誰かと囲む食卓に花が咲けば、嬉しい気持ちはより輝き、嫌なことは忘れられはしなくとも、誰かと分け合えば少しは軽くなるかも知れません」
「食事とは楽しむこと。そのために私が臆してはいけない――そう己に誓っています」
――食事とは楽しむこと。
ミーナが言っていたのは、この事なんだろうか……。サルヴァの言っている事は最もだと俺も思う。
だが、ミーナが言っていた食事にとって一番大事な物とは何か少しだけ違う。
……そんな気がした。
お読みいただきありがとうございます。
新しいことに挑戦する時、不安になることは誰にでもあります。
失敗するかもしれない。
上手くいかないかもしれない。
それでも一歩踏み出せるのは、支えてくれる誰かがいるからなのかもしれません。
今回のエルも、アリーチェやサルヴァの言葉に支えられながら前へ進もうとしています。
次回はいよいよスフレチーズ作り。
どうぞ最後まで見守っていただけると嬉しいです。
次回更新なんですが、じっくりと内容を描きたいので二日置きの更新になります。
次回更新は6月4日(木)19時30分です。
楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。




